To Tom (and/or John): 投稿者:岩谷文太 投稿日:2005年01月17日(月)07時54分
There is a lot of fun for you to see how the Chinese tortured and killed the Japanese in 1937 in Shanghai. Many pictures in Iris Chan's book have been made up by the Chinese or were not actually taken in Nanking, but these Shanghai pictures are said taken by a Swiss photographer that CNN confirmed with the son of the photographer. It is not the issue what we think but what you can prove. 先日中国人による南京写真(?)の中国語ページのリンクの連続投稿がありましたが、私からの返答はこれです(ああいうのは大抵はマルチポストで、戻って来ることはないと思いますが)。このリンクはCNNによる上海での日本人捕虜に対する中国人の蛮行に関する特集(英文)です。外国人のお知合いがいらっしゃる方は是非このリンクを送ってあげて下さい。残虐映像を含んでいますので御覧になりたい方のみどうぞ。以下は私の拙訳ですが参考までに。 |
某掲示板にある日、「Tom」「John」というHNで、「南京大屠殺」という中国語サイトのURLが貼付けられて「これをどう思うか?」と英語で書かれた投稿が連続してされたので、それに対して上記の英文レスと、参考資料としてCNN記事の全訳を投稿したのが3年ほど前の話である。ひと昔前なら「南京」と言えば日本人は黙るだろうという期待を込めた“魔法の言葉”であった。
このCNNの記事『上海での残虐行為を写真が裏付ける』は1996年に尖閣諸島問題の特集としてCNNが掲載した一連の記事の一つで、1937年の第二次上海事変当時、上海で日本人捕虜や日本に協力した上海住民に対する残虐公開処刑を目撃したというスイス人の証言と、その様子を撮影したものとされる18枚の写真に関して報じたものである。
註:記事中のリンクは全て元ページにあるものを再現したもので、うち数点が記事中で言及されている残虐写真を含むため、ご覧になりたい方のみ自己責任でお願いします。


上海での残虐行為を写真が裏付ける
1996.9.23 10:15 EDT (14:15 GMT)
トム・ミンティアー(CNNバンコク支局チーフ)
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【タイ・バンコク (CNN) 】日本と中国の関係は、小さな島々の領有権問題の議論連鎖によって、ここ数カ月緊張状態にあるが、59年前に撮られた18枚の小さく不鮮明な白黒写真の存在は、日中関係に更に火に油を注ぐものになるかもしれない。
(113 sec./937K QuickTime movie - 注:残虐映像含む)
1937年の上海界隈でスイス人写真家によって撮影された写真は、すべて中国兵士による日本人捕虜と、日本の軍事侵攻に協力して逮捕された上海住民に対して行われた残虐行為を撮影したものである。
Vivo動画を |
上海に仕事で滞在し、中国人による処刑を見届けるよう言われたトム・シメンさんが隠していたそれらの写真は見るもおぞましいものである。しかし彼は息子にこれらの写真を公表するように言った。
ジョン・シメンさんは「父は出版を望んでいた。病院生活での経済負担の資金源になるだろうと言っていた」と語った。

ジョン・シメンさんは写真を公表するための出版社を探している。写真一枚につき3千ドイツマルクを支払うとの申し出もあった。しかしながら彼にとって最も重要なことは、父親が言っていた上海で起こった事を世の中に知らせることである。
シメンさんは「奴らは楽しんでいたと思う。首が切り落されるのを待っていて、そしてそれでフットボール[サッカー]をした・・・考えただけで身の毛がよだつ」と語った。 (13sec./134K AIFFまたはWAVファイル) [首を切断された死体の写真]
首を木の枠で固定して吊るし餓死するまでそのまま放置するなど、中国兵は様々な拷問方法で捕虜を虐待殺戮したとシメンさんの父は彼にそう言ったという。[拷問の写真]
射殺され共同墓穴に捨てられた捕虜が多かったが、特に日本に協力した中国人に対しては、大きな刀によって首が切り落されたという。 [荷車の上の死体]
「当時日本人に協力した者は、中国人にとっては日本人よりも更に悪いものでした。何故なら裏切り者だからです」とシメンさんは言う。

シメンさんの父親は、中国出国に際してネガを破棄したそうだが、彼の妊娠中の母が写真を服の下に隠して国外に持ち出したのだそうだ。
「これらの写真は日本と中国の一連の戦争において、1937年の上海での両国の関わりに関して、新たなスポットを浴びせるものとなりそうである」とシメンさんは語る。彼はまた、第二次世界大戦中ドイツのナチスによって行われた残虐行為とは対照的に、中国で起こったことの多くが未だ知られていないのが現状であるとも述べた。
記事中の「113 sec./937K QuickTime movie - 注:残虐映像含む」のリンク先の動画は報道で言及されていた18枚の写真がストリーム式に収録されたもので、その動画ファイルから直接ピクチャーファイルに読み出したものを以下に掲載する。
これらは生首写真など残虐映像を含むので、クリックで見られるように設定している。
トム・シメン氏が持ち帰ったとされる写真 CNN 1996年9月23日 10:15 EDT (14:15 GMT) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (残りの写真を見る)[残虐写真注意] |
以下は記事中のリンクのVivo動画「上海での残虐行為の写真記録 - 注:残虐映像含む」の3分間のCNNのニュース動画である。
これは1996年の報道で、この動画ファイルのVivoフォーマット自体が現在サポートされていないものであり、YouTubeのファイル変換システムが改良されたため何とか閲覧可能な状態になった。番組内容はジョン・シメン氏のインタビューを中心にこれらの写真が画面上に挿入されるというものでテキスト自体は上記の記事とほぼ同一である。
訳・字幕=岩谷
中国の公開処刑
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実際、市中引き回しに打ち首晒し首の1900年当時の清国は、日本で言えばさしずめ江戸時代以前のように見える。ましてや内戦状態の中華民国に至っては戦国時代のような国と日本は戦争していたようなものかもしれない。
中国でよく知られる「揚州十日記」と「嘉定屠城記」と言う物語は、清朝が明朝を滅ぼした際に降伏勧告を無視し城砦都市内に立てこもった民衆を僅か十日間に80万人余を「大屠殺」する凄惨さが記述されているものである。また手足を切り落とし目をくり抜いた人間を『人豚』と称して見せしめにするなど、中国という国はそもそも歴史的にも猟奇的エピソードの宝庫である。
近代の清朝末期に至っても『凌遅刑』や公開斬首など残虐な公開処刑が行われていたのは、当時西洋人が撮影した写真で多数見る事が出来、魯迅の『阿Q正伝』にも斬首処刑が観衆の退屈しのぎの喝采の中に行われると描写されているように、公開処刑で人間を切り刻んだり首をはねたりするのを黒山の人だかりが興奮して見物するという文化が中国には伝統的にあるようである。
以下は「中国の盗賊の処刑 (1894年頃)」と説明が書いてある清朝末期の斬首処刑写真である。後ろ手に縛られ足枷をかけられた状態で斬首され、死体も見せしめに放置され晒されたという(クリックで実サイズ写真)。
1894年![]() ![]() 中国の盗賊の処刑 (1894年頃) (The Nausea)[b] |
やはり見物人が大勢いる。子供も見ている。
死体を見せしめに放置して晒すというのは、以下の文革時代の処刑写真でも同様の行為が見られる。
1927年
![]() 上海クーデターの公開処刑と見られる写真。路上だけでなく後ろの建物も見物人でぎっしり。 (beheaded Art) [c] |
1968年
![]() 文革期の「反革命分子」の処刑。1968年4月5日ハルピン郊外の黄山墓地。黒山の人だかり。 (© Li Zhensheng) [d] |
1990年代
![]() 中国の死刑囚連行。武装警察の制服から1990年代初頭の撮影と見られる。これは裁判所か留置所から集団処刑の刑場に連行される時に建物の前でやはり黒山の人だかり。老若男女、子供も見ている事から見物しているのは一般民衆。 (博訊新聞) [e] |
2001年
![]() 雲南省昆明市のスタジアムで2001年に行われた「厳打」キャンペーンの一環と見られる公開処刑パレード。アムネスティによればこの様子は政府番組で生中継をされたとの事。後ろ手に縛られ首から札を下げている事からこの人物は死刑囚。 (網易論壇への投稿/China Digital Times) [f] |
2009年
![]() 2009年1月15日、山東省龍口市公安局と市法院が行った公捕公判大会。1000人余りの群衆が見物に訪れた。2006年以降中国で公判大会は行われていなかったようだが、北京オリンピックが済んで再開された模様。中国では現代でも公判大会は普通の行事である。 (膠東在線) [g] |
刀が銃になったという点を除けば、市中引き回しに打ち首という風習は100年前と変わっていないようである。
清朝時代の習慣はそのまま支那事変の時代に引き継がれ、それが文革の時代にも生き続け、現代の処刑方法にしても特殊銃弾で頭部を粉砕[>>10][>>11]するという、殺害目的そのものには必然性のない儀式めいた方法で死刑を行うのは斬首の伝統の名残とも考えられる。
中国人が死体損壊にこだわるのは古代より行われている歴史的なものであるが、それが日本人に対して行われたのが支那事変の時代の通州事件や大山中尉殺害事件、近藤二等兵殺害事件などで殺害後の死体にも執拗に破壊行為を行った例である。
風水や儒教の影響で中国では死体を冒涜する事は故人の来世まで破壊出来ると信じられているのだという。
こういった現代に至るまで行なわれている見せしめや死体損壊に対するこだわりというものは、やはり文化や伝統は一続きに受け継がれて来たものなのである。
中国で処刑は娯楽
以下は中国のネットで出回っている日本の“戦犯”の処刑写真。出回っている写真を見る限りは雑誌に掲載されている写真のようである。1947年6月11日南京雨花台刑場での「松本浩」という戦犯の銃殺刑と説明されているが、この日本人が誰であるかの具体的なデータは不明である。当然ながら黒山の人だかりである。
2番目の写真の銃を構えている兵士の顔には歯が見えており、笑いながら射殺をしようとしている写真である。


(博訊) [h]
以下はハルピンの『東北虎林園』(ハルピン野生公園) で、観光客から金を取って生きた牛や鶏を虎に与えているニュース。中国人が処刑を楽しむ文化は現代でもこういう所にも見られる。
中国の動物園:動物収容所スカイニュース 2007年5月22日 (火) 17:57
中華的ロジック
「日本の侵略と残虐行為」と“魔法の言葉”を言えば日本人は黙るだろうと期待を込めて、実生活で中国人に絡まれた件は以前のエントリーでも書いた事がある。彼等は自分の国がどういう文化でどういう歴史を背負っているのか理解して言っているのかどうだか分りかねていたが、しかし最近はむしろ彼等がそれを相殺するために日本を非難し続けるのだと思うようにもなった。
自分の恥を相殺するためにとにかく何でもいいから相手を非難し続けるというのは、これはとても中華なロジックによる論法である。YouTubeのコメント欄などでも関係ない話題を持ち出して来て罵倒の限りを尽くして、自分達に都合の悪い本来の話題には触れないというユーザーはその殆どが中国人と言ってもいい。
それと同時にもう一つの理由は恐らく、彼等は自分達を基準にして日本人を見ているという点である。中国人全般に共通しているのは「東アジア人は全て中華の影響で全て同じ文化」という、中華思想から来る強烈な思い込みであり、日本人も彼等と全く同じ文化を持ち同じ事をすると信じていると思われる点は彼等を観察しているとそういう思い込みが随所に見られるのも中国人の特徴である。
異民族支配と虐殺に明け暮れ血にまみれた歴史の大陸国家と、狭い島国で押し合いへし合い暮らしている農耕民族では同じ筈がない事を理解していないという、決定的な認識のずれを感じる事はよくある。
明治維新で磔や晒し首は禁止し、それから1世紀半個人犯罪レベル以上の残虐事件は起きていない日本と、21世紀になって未だに集団銃殺刑や市中引き回しに黒山の観衆が群がる自国を比べて、一体どの口から自分達が一方的に被害者であるという発想が出て来るのかという話であるが、彼等はむしろ自国の残虐文化を否定出来ないから更に残虐なものを作り出し日本を攻撃するのである。
それにしても某掲示板で「Tom」と「John」親子の名前で南京に関する投稿をして来たというのは、一体何の冗談だろうか? (了)
このCNNの報道を見た中国人が自国の残虐文化の歴史を否定出来ないでいる様子は次回エントリーで扱う。
また姉妹エントリー『中国の死刑写真とBBC「南京大虐殺」の酷似』も是非併せてご覧頂きたい。
その他には、『猟奇的な大山中尉殺害事件』『通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会』『現代中国の私刑』『生きた牛が虎の餌 中国のサファリパークの残酷見せ物』などのエントリーで関連テーマを扱っている。
追記:
トム・シメン氏の写真のニュースが立ち消えになった理由
読者の方からメッセージで指摘があったので情報を付け加える。
![]() 1920年代の中国人官憲による処刑と記述のある写真 (Galveston Massachusetts)[C] |
この記事を訳して掲示板に投稿したのは3年ほど前の話であるが、このエントリーを書いた時点である程度リサーチを行って関連情報を得ようとしたが、「Tom Simmen」「John Simmen」などのキーワードで検索をかけてもCNNの記事をソースとするもの以外に全く関連情報がない状態であったため、この信憑性にはある程度「クエスチョン」の含みを持たせた表現にしていた。
その後になってこれらの写真のうち数点が、清朝末期の処刑写真として博訊新聞[>>1]や、銃を持った警官の写真が1920年代のものとして巡洋艦ガルベストン搭乗員のスクラップブックのコレクション[>>3]に掲載されているなど、写真の画質や範囲などからそれらがCNNのサイトからの転載ではない同一写真をネット上で確認している。[>>12]
![]() 清朝時代の刑法と記述のあるCNNより範囲が広い写真。 (分享互聯網社区)[>>5] |
そしてそれらは当時欧米や日本で絵葉書として売られ出回っており、中国に駐留した欧米兵士が現地のダフ屋から入手したらしいという話もよく目にする事である。
しかし支那事変前後の中国は、残虐処刑や死体損壊は普通に行なわれていた時代であり、日本への留学経験者や親日派中国人に対する漢奸狩りが盛んに行われ数千人規模の銃殺や斬首処刑が行われた事は当時の日本やアメリカのメディアでも報じられており、中国には歴史的に敵軍捕虜の人権の概念は全く存在しておらず、トム・シメン氏が1937年当時に上海で公開処刑を目撃したという証言自体は史実とは矛盾していない。
また後の文革や、2001年に至って山西省での死刑執行の集会に180人が集まったり雲南省の公開処刑パレードがテレビ中継されなど[>>6-9]、死刑囚を見せしめにするために民衆が駆り集められるのは中国では現代に至っても普通に行なわれているお国柄上、シメン氏が公開処刑を見るように言われたというのはこれも中国の伝統である。
日清戦争時の日本軍死傷者に加えられた残虐行為から後に日本軍で、中国戦線では捕虜になるより自決する風潮が生じたと言われているが、「生きて敵の辱めを受けるよりは死を」というのは、中国においては生け捕りになった方がよほど悲惨な末路であった事に他ならない訳である。
支那事変関連エントリー:
・歴史から消された広安門事件と廊坊事件 (2007.7.11)
・清瀬一郎:東京裁判冒頭陳述 (2007.7.19)
・南京事件考 (2007.8.7)
・東條英機元首相 公的遺書 全文 (2007.8.14)
・英語・中国語版Wikipediaにおける大山事件と第二次上海事変の記述 (2007.8.18)
・中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似 (2007.10.28)
・上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (2007.11.4)
・日本人捕虜の残虐処刑写真に関する中国人の議論 (2007.11.9)
・猟奇的な大山中尉殺害事件 (2007.11.14)
・通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会 (2009.3.20)
・清朝時代の処刑写真を日本のものとして展示しているサイト (2009.9.26)
脚註:(脚註を見る)
写真:
- ^ 老昆明的珍貴照片. 『戴枷的犯人 (1899年,昆明) 』. [魚拓]
- ^ The Nausea. "psychopaths (usually) have the power: china".
- ^ このサイトが出典を表記していないため正確なデータは不明。民衆や警官の服装や建物から辛亥革命後の時代のものと見られる。Beheaded Art. "Decapitation (11)", 2003-2007.
- ^ Li Zhensheng (李振盛). "1968 China and the Cultural Revolution" (© Li Zhensheng). Contact Press Images. 該当写真は以下の掲示板への投稿より:苦丁. 『[転帖]会経的恐怖:60年代末処決“反革命”真実場面(組図)』. 独角獣論壇, 2006年7月7日. [魚拓].
- ^ 武装警察の制服の様式から1990年代と推定される。詳しくは『中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似』を参照のこと。 博訊新聞. 『令人震撼的枪决图片(2)(警告!恐怖)』, 2004年12月13日. [魚拓]
- ^ この写真の出所は中国のネットで出回ったとの事だが、同人物が同日に撮影されたEPA通信の写真がの脚註4のガーディアンに掲載されており、場所や撮影時期などはCNNやBBSの記事にも表記されている。Xiao, Qiang (蕭強). "Photo: “Strike Hard” Campaign Executions - BBS"China Digital Times,. [魚拓] (出所は「多くの中国のBBSで出回った」と表記)
- ^ 膠東在線. 『龍口警方与法院連合召開公捕公判大会(図)』, 2009-01-16 09:47:28. [魚拓]
- ^ 博訊新聞. 『日本戦犯松本浩被壓赴刑場執行槍決』. [魚拓]
- ^ 李永先. 『徐福東渡与中日韓文化交流』. 山東省人文自然遺産保護与開発促進会主弁
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