1937年の8月13日に日中が全面軍事衝突となった第二次上海事変で開始し、8年の泥沼戦争となった「支那事変」(日中戦争) は、現在に至るまで中国では「戦争を起こしたくて仕方がない日本が口実を作って一方的に起こした侵略」と教えられている。
特にその象徴的な「南京大虐殺」はホロコーストと並ぶ近代史上最大級の大量虐殺として国際的に認識され、戦前・戦時中の日本人は殺人鬼のレイプ魔であり、独裁軍事政権によるアジアの野蛮国の「悪の帝国」は、欧米から民主主義を与えられて、戦後は西側自由主義陣営の近代国家に生まれ変わったと欧米では認識されている。
しかしそれは単なる先入観によるイメージの問題であり、1937年7月7日の盧溝橋事件から1ヶ月の間に、中国軍による奇襲攻撃や日本人襲撃惨殺事件が相次ぎ、華北在留邦人1万5000人殺害計画が未遂に終わるなどの事件が相次いだ後に、上海の邦人居住区が中国軍に包囲されるなど、開戦が避けられない状況になっており、中国側の言うような日本が一方的に侵略をしたという状況とは全く異なる事は、多少でも歴史を見て行けば分る事である。
そして国際的にまことしやかに語られているのが、日本人が殺人鬼でレイプ魔で、生首を陳列したり死体損壊を楽しむような蛮行の限りを尽くしたという残虐民族であるという事である。
これは数年前の日本でもイメージ的にそのように信じられていた訳だが、実際こういった死体損壊や残虐行為を楽しむという猟奇趣味や公開処刑のエピソードは全てことごとく現代に至る中国の歴史に存在する事である。
写真:第二次上海事変の4日前の1937年8月9日、上海の虹橋空港で中国軍に射殺され死体損壊の限りを尽くされた大山勇夫海軍中尉の遺体を運ぶ多国籍警察。
(鉄血社区)
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中国の公開処刑に関して調べものをしていて、中国の斬首写真ばかりを集めて掲載している『Beheaded Art』 というサイトに行き着いた。
そのサイトのトップの解説文にはいささか捨て置けない事が書かれている。
BEHEADED ART 首のない芸術
BEHEADING
Beheaded Art is about public beheading. View more than 100 pictures and drawings of capital punishment by decapitation at Beheaded Art.
Beheadings in China or Japan (馘首) were often photo graphed by foreigners and this is where most of the execution photos available at Beheaded Art come from.
If you are offended by pictures of blood and death and decapitated (馘首) bodies – you might not enjoy this web site.
打ち首
『Beheaded Art』は公開斬首に関するものである。このサイトでは100点以上の断頭刑の写真と絵を見る事が出来る。
中国や日本の斬首 (馘首) はしばしば外国人によって撮影され、このサイトに掲載されている大半の写真がそこから来ている。
もしこれらの写真の血まみれの斬首 (馘首) 死体で気分が悪くなる方はご遠慮頂きたい。
このサイトには106枚の写真と21枚の絵が掲載されており、その写真の大半が中国や日本の首切り写真であるとの説明だが、見たところそれらは全て携帯用カメラが商品化された19世紀末以降の、清朝末期から辛亥革命 (1911)、そして上海クーデター (1927) 時に中国で撮影されたとみられる写真であり、日本の斬首と見られるものは見当たらない。
ところがこのうち2点3枚が日本の長崎で撮影されたと説明されており、そしてタイトル (説明文) に「Japanese」の単語を含む写真が以下の4点5枚。
註:本エントリーでは写真の検証のため清朝時代の斬首写真を掲載しているため、好ましくないと感じる方はご遠慮下さい。なお残虐写真に関してはモザイク処理を行っており、全ての写真はクリックで無修正版がオリジナルサイズで見られるように設定しています。
『Beheaded Art』のトップページは「full details」と「thumbnails」の二つのモードがページ下部のメニューで切り替えられるようになっており、「full details」の方で説明文が表示されるようになっているが、ブラウザによっては写真を読み込まないケースがあります。その場合は「Full details」専用のURL があるのでそちらで試してみて下さい。
なお『Beheaded Art』の元サイトは本エントリー掲載の4点より更に残虐な写真も掲載されているため、訪問する方はご注意下さい。
追記 (2014.4.1):「Beheaded Art」の元サイトが仕様変更になり各写真のリンクが全体のページに繋がってしまうだけでなく、恐らく長期放置ページのためかページトップに猥褻写真が表示されるようになっています。当エントリーでは情報ソースの証拠としてリンクは残しますが、閲覧は自己責任 でお願いします。
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1937年(昭和12年)7月29日午前2時過ぎに北京の東の通州 (現在は北京市通州区) で起こった「通州事件」。
これは日中の軍事衝突が開始した7月7日の盧溝橋事件から、本格的全面戦争状態に突入した8月13日の第二次上海事変の間に連続して起こった日本人襲撃惨殺事件で最大規模のものであり、当時通州にあった冀東防共自治政府 の中国人保安隊が、通州に居住していた日本人と朝鮮人の軍人と民間人230人を残虐な方法で虐殺した事件である。
7月25日の廊坊事件 、26日の広安門事件 に続いて起こったこの日本人大量虐殺事件は当時日本でも大々的に報道され、それによって対中世論が一気に悪化したと、当時を知る方はそのように話している。
まだ死体も全部は片付けられていない事件4日後の8月2日、生々しい状況下での通州事件の生存者による座談会が行われ、それが昭和12年10月号の月刊『話』に掲載されている。
盧溝橋事件から3週間、そしてその11日後の第二次上海事変に始まる日中の8年にわたる泥沼戦争に入る直前の現地の混乱した状況下でのリアルタイムでの生の証言、そして日中が本格戦闘に入って間もない同年9月発売の月刊『話』に掲載されたこの座談会はまた、その当時のリアルタイムの臨場感を持って伝わって来るものがある。
なおこの座談会は運良く難を逃れた無傷の生存者のものであり、『東京裁判却下 未提出弁護側資料』 に見られるような現場に駆けつけた軍関係者の目撃証言の凄惨さとは違った角度であるが、歴史的事件の体験談だけでなく、事件4日後の時点での現地在住民間人が何を見聞きして知っていたか は、これは超一級の貴重な記録である。
この記事が掲載された月刊『話』は現在の週刊文春の前身。
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中国語版のYouTubeのようなビデオアップロードサイト「YouMaker」に昨年9月に、路上で2人の泥棒を住民がリンチをして殺害するビデオがアップロードされている。
ビデオでは中国の街角で、泥棒とされる2人に対して住民と見られる複数の人物が執拗に殴る蹴るの暴行を加えブロックで打ちのめし て、投稿者によるとこのリンチを受けた人物は死亡した との事である (ビデオの最後では頭から血を流して動かなくなっている)。
清朝末期の公開斬首処刑 に見物人が沢山集まっていたり、90年代の死刑囚の連行に黒山の人だかりの見物人 が群がり、死刑執行の際にも不必要に大人数の武装警察が見物をしていたりなど、現代に至って中国の民衆が残虐行為を好んで見物する例を当ブログでこれまでにも幾つか取り上げた事があったが、今回のビデオに関しては中国にカムコーダーが普及して以降のものである事は確かなので、これは少なくともここ数年以内に撮影されたもの と推定される。
暴力シーンが苦手な方にはお勧めしない。
註:YouMakerの埋め込みはブラウザによっては広告が出るだけで動画自体が再生されない事があるので、その場合は元サイト の方を参照下さい。
このビデオへのコメント:
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日中が本格的戦闘状態に突入した1937年8月13日の第二次上海事変の4日前の8月9日に起こった上海虹橋空港での大山勇夫中尉惨殺事件は、
以前のエントリー で英語版と中国語版のウィキペディアでの記述の比較検証を行った事があるが、今回は
『反日ワクチン』 さんが掲載されている、当時の朝日特電、東日(現在の毎日新聞)特電、国民新聞・新愛知新聞(現在の東京新聞と中日新聞)の報道を紹介する。
これらの記事は、「各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』」(1937年12月18日刊) という本から『反日ワクチン』の小楠さんがテキスト起こしをしてブログに掲載されたものである。ここで重要な事は、大山事件が単なる暗殺事件ではなく、肉体破壊の限りを尽くした猟奇趣味的な殺人事件 である点で、それは通州事件とも同種のものである。
通州の日本人と朝鮮人居住者の212人が殺害され、日本世論を硬直させた7月29日の通州事件から12日後に起きたこの「大山中尉殺害事件」は、当日の夜に朝日特電によって日本で報じられている。ここでは当時中国主要都市各地に設けられていた外国人共同租界(外国人居住地区)内で、あたかも現代のイラクのテロリストを彷彿させるような中国兵の様子が描かれている。
写真:1937年8月10日、大山事件を受けての日本海軍上海陸戦隊の緊急徴集とされる写真
(写真:解放網) [A]
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トム・シメン氏が1937年に上海で撮影し国外に持ち出したという、第二次上海事変での中国人による日本人捕虜虐殺とされる18枚の写真が1996年にCNNで報じられた記事を前エントリー『上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑』 で紹介したが、今回はこのCNNの記事を取り上げた中国人の掲示板で起こった議論を紹介する。
これは『英華園』(LKCN) というイギリスの中国語新聞のウェブサイトの中の『英華論壇』という掲示板にCNNの記事が取り上げられたもの。このスレでは英語と中国語が入り交じっており、使われているのが簡体字であるため恐らく大陸中国出身者か又は中国本国からのアクセスであり、うち2名は英文のレベルが高いため英語圏滞在が長い人達と思われる。
以下該当スレッドの全訳。
誰が歴史を捏造しているのか:上海での残虐行為を写真が裏付ける 英華フォーラム掲示板
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To Tom (and/or John): 投稿者:岩谷文太 投稿日:2005年01月17日(月)07時54分
"Photos document brutality in Shanghai" (CNN Interactive)
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/index.html
There is a lot of fun for you to see how the Chinese tortured and killed the Japanese in 1937 in Shanghai. Many pictures in Iris Chan's book have been made up by the Chinese or were not actually taken in Nanking, but these Shanghai pictures are said taken by a Swiss photographer that CNN confirmed with the son of the photographer. It is not the issue what we think but what you can prove.
先日中国人による南京写真(?)の中国語ページのリンクの連続投稿がありましたが、私からの返答はこれです(ああいうのは大抵はマルチポストで、戻って来ることはないと思いますが)。このリンクはCNNによる上海での日本人捕虜に対する中国人の蛮行に関する特集(英文)です。外国人のお知合いがいらっしゃる方は是非このリンクを送ってあげて下さい。残虐映像を含んでいますので御覧になりたい方のみどうぞ 。以下は私の拙訳ですが参考までに。
某掲示板にある日、「Tom」「John」というHNで、「南京大屠殺」という中国語サイトのURLが貼付けられて「これをどう思うか?」と英語で書かれた投稿が連続してされたので、それに対して上記の英文レスと、参考資料としてCNN記事の全訳を投稿したのが3年ほど前の話である。ひと昔前なら「南京」と言えば日本人は黙るだろうという期待を込めた“魔法の言葉”であった。
このCNNの記事『上海での残虐行為を写真が裏付ける』は1996年に尖閣諸島問題の特集としてCNNが掲載した一連の記事の一つで、1937年の第二次上海事変 当時、上海で日本人捕虜や日本に協力した上海住民に対する残虐公開処刑を目撃したというスイス人の証言と、その様子を撮影したものとされる18枚の写真に関して報じたものである。
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アイリス・チャンの『レイプ・オブ南京』を下敷きに、米AOLの副会長テッド・レオンシス氏が200万ドルの私財を投じて制作した映画『南京』が7月上旬に中国で公開されたものの、蓋を開けてみたら中国で殆ど話題に上らず『トランスフォーマー』に押されて上映中止が相次ぎ大失敗に終わったニュースが報じられていたのはまだ記憶に新しい所である。
今回のエントリーは、映画『南京』の今年の6月のアメリカ公開、今年1月のサンダンス映画祭公開に先立つ昨年の11月に、テッド・レオンシス氏のブログに、私の知人の怒る小市民さんが投稿したコメントが中国の新華社通信などで新聞記事になった件を取り上げてみる。
映画『南京』関連記事:
・
映画「南京」 サンダンスで初公開 際立つ「日本の残虐性」 (産経新聞 2007.1.26)
・
映画「南京」、米首都圏で初上映 (産経新聞 2007.6.21)
・
注目の映画『南京』、中国で上映もほとんど話題にならず (東方通信 2007.8.20)
以下がその投稿であるが、これは怒る小市民さんの書いた文章を基に私が英語版を作ったものである。
写真:テッド・レオンシス氏 (2007.7.4 北京) (Photo: Reuters)
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光華門、昭和13(1938)年1月頃(日本海軍、第13航空隊撮影)、奥村正武『私の見た南京事件』(PHP研究所) 掲載写真 (電脳日本の歴史研究会)
これまでもあきら氏のミクシィ日記から、通州事件の記事や清瀬一郎の東京裁判の冒頭陳述を紹介して来たが、今回は南京事件に関して昨年の暮れに11回に渡ってミクシィの日記で連載されたものをまとまった形に再編集した。1937年7月7日の北支事変(盧溝橋事件)から12月13日の南京陥落までを、当時をリアルタイムで経験されている世代のあきらさんならではの視点で、分かり易くまとめてあるので紹介させて頂く。
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