前エントリーで紹介したあきらさんが、東京裁判で日本側弁護団副団長と東條英機元首相の主任弁護人を務めた清瀬一郎の東京裁判の冒頭陳述のうち、中国に関する第三部をテキスト化、5回に渡ってミクシィ日記で紹介している。戦時中から東京裁判の時代をリアルタイムで体験した世代のあきらさんが解説も書いていらっしゃるので、併せて紹介させて頂く。 註:Google Chromeはフリガナがサポートされてなく文字が欠落するため正確な内容で表示されません。IE、Firefox、Safari、Opera、Flock等のブラウザを推奨。 (以下あきら氏の日記より)![]() 清瀬一郎、戦後衆院議長も勤めたことでも知られていますが、彼の功績はあの東京裁判に於いての堂々の主張にあるかと思います。 正式名称極東国際軍事裁判…これが如何に茶番であったかは今では広くしられておりますが、残念なことにわが国は未だこの茶番の呪縛から抜け出せてないのが現状であります。結局この「裁判」は日本軍の戦争犯罪を裁く場であって、連合国の戦争犯罪を問題にしているのではない、と云う裁判所の抑々の発想だった。殺し合いを本質とする戦争である以上、お互い様と云う発想は一切封殺された。通州事件の如きわが国民の犠牲者は省みられることなく、南京事件のような極めて疑わしい事案については、極めて一方的に神か仏に対してでもなければ有り得ないほどの人道主義的完璧性を要求したのが東京裁判の実態でした。 清瀬は後にこう述懐する…「この裁判の最中に、毎日流されていった法廷記事なるものは、半分は嘘であった。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりしておったのだと、日本国内は無論のこと、世界の隅々にまで宣伝した。しかも我が方としては、これに対抗する手段は封ぜられていた。判決は下されても、判決批判は一切禁じられていた」 |