Red Fox

清瀬一郎:東京裁判冒頭陳述

 前エントリーで紹介したあきらさんが、東京裁判で日本側弁護団副団長と東條英機元首相の主任弁護人を務めた清瀬一郎の東京裁判の冒頭陳述のうち、中国に関する第三部をテキスト化、5回に渡ってミクシィ日記で紹介されましたが、戦時中から東京裁判の時代をリアルタイムで体験されたあきらさんが、解説も書いていらっしゃいますので、併せて紹介させて頂きます。

(以下あきら氏の日記より)

清瀬一郎:冒頭陳述第三部(全)

 清瀬一郎、戦後衆院議長も勤めたことでも知られていますが、彼の功績はあの東京裁判に於いての堂々の主張にあるかと思います。

 正式名称極東国際軍事裁判…これが如何に茶番であったかは今では広くしられておりますが、残念なことにわが国は未だこの茶番の呪縛から抜け出せてないのが現状であります。結局この「裁判」は日本軍の戦争犯罪を裁く場であって、連合国の戦争犯罪を問題にしているのではない、と云う裁判所の抑々の発想だった。殺し合いを本質とする戦争である以上、お互い様と云う発想は一切封殺された。通州事件の如きわが国民の犠牲者は省みられることなく、南京事件のような極めて疑わしい事案については、極めて一方的に神か仏に対してでもなければ有り得ないほどの人道主義的完璧性を要求したのが東京裁判の実態でした。

 清瀬は後にこう述懐する…「この裁判の最中に、毎日流されていった法廷記事なるものは、半分は嘘であった。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為ばかりしておったのだと、日本国内は無論のこと、世界の隅々にまで宣伝した。しかも我が方としては、これに対抗する手段は封ぜられていた。判決は下されても、判決批判は一切禁じられていた」


 さらに云う…「それゆえ、世間では、日本の旧軍人は、戦時中敵国捕虜の虐待や、婦女の陵辱ばかりしておったのかしら、日本政府は強盗やギャングのような侵略戦争の共同謀議ばかりしておったらしい。マッカーサーは偉い。マッカーサーのお陰で、天皇陛下は戦犯ともせられず、お助かりになったのだ、というような感想を国民に植え付けてしまった。ほんとうはかかる感想は大いに過っているのだが、しかしこれが誤解だといっても、今では世間は信用しない」… 清瀬の悔しさがよく表れた述懐です。

 当時悪いことに、権力追随の事大主義的ジャーナリズムが、これを日夜煽りたてたわけです。どことは言わずともよくおわかりでしょうが…。昨日まで軍部に迎合していたいわゆる「文化人」も官僚らも見事なまでに豹変して占領政策を謳歌し、軍部の悪口を並べたてだします。まさしく世をあげて日本の伝統や権威までも抹殺して占領政策の片棒を担いだんです。戦後の出発点は東京裁判であることは間違いありません。

 今私達は東京裁判を基軸にしたアメリカ占領政策の根こそぎひっくり返さない限りいくら美しい国を口にしても無駄だと知るべきでしょう。私は今更原爆投下を敢えて責め立てるつもりはないですが、少なくともわが国による一方的な侵略であり、日本が絶対悪であるとされてきた汚名だけは晴らさねばならないと思います。愚かにもアメリカ下院がいかがわしい極みの慰安婦決議を採択するなら我々は改めて原爆投下の非人道的な極悪戦争犯罪を問わざるを得ません。

 ここに東京裁判に於ける清瀬博士の冒頭陳述の一部をご紹介します。当時日本人弁護人の方々が生活職務上の悪条件は、米国人の検察官・裁判官・弁護人達のそれと比べるに筆舌に尽くし難いものでした。清瀬博士自身空襲の罹災者であり、自宅焼け跡近くの寮に仮住まひを求め、焼け跡にドラム缶を置いて据風呂とし、南瓜を栽えて食糧を自給するといった生活でした。 (小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』解説p39より)

 以下、昭和21年2月24日午前、清瀬博士は弁護団席から立ち上がり、歴史的冒頭陳述を朗読し始めました。



東京裁判 冒頭陳述
日本側弁護団副団長 清瀬 一郎

(第三部)

 第三部は中華民国との関係であります。 (これ) は訴因としては、第三、第六、第十九、第二十七、第二十八、第三十六、第四十五乃至 (ないし) 五十、第五十三乃至第五十五に関係いたしております。

 彼の一九三七年七月七日の廬溝橋に於ける事件発生の責任は我方 (わがほう) には在りませぬ。日本は他の列国と一九〇一年の団匪 (だんぴ) 議定書[*1] () って兵を駐屯せしめ又演習を実行する権利を有って居りました。又 (この) 地方には日本は重要なる正常権益を有し相当多数の在留者を有って居ったのであります。 () () の事件が当時日本側で希望した様に局地的に解決されて居りましたならば事態は () くも拡大せず、従って侵略戦争がありや否やの問題に進まなかったのであります

 それ故に本件に於いては中国は此の突発事件拡大について責任を有すること、又日本は終始不拡大方針を守持し問題を局地的に解決することに努力したことを証明いたします。
*1. 団匪議定書(北京議定書):1901年に調印された義和団事変における列国と
清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書

 近衛内閣は同年七月十三日に「陸軍は今後とも局面不拡大現地解決の方針を堅持し全面的戦争に陥る如き行動は極力 (これ) を回避する。之がため第二十九軍代表の提出せし十一日午後八時調印の解決条件を是認して之が実行を監視す」と発表しております。 (しか) るに[*2]其後 (そのご) 支那側の挑戦は止みません。郎坊に於ける襲撃、広安門事件の発生、通州の惨劇等が引きつゞき発生しました。中国側は組織的な戦闘態勢を具へて、七月十二日には蒋介石氏は広汎なる動員を下令したことがわかりました。一方中国軍の北支集中はいよいよ強化せられました。豊台に在る我軍は支那軍の重囲に陥り非常なる攻撃を受けたのであります。そこで支那駐屯軍は七月の二十七日に止むを得ず自衛上武力を行使することに決しました。書証 (しょしょう) [*3] (および) 人証 (じんしょう) [*4]によって此の間の消息を証明いたします。

 それでも日本はやはり不拡大方針をとって参りましたが蒋介石氏は逐次 (ちくじ) [*5]戦備を (そな) えまして、八月十三日には全国的の総動員を下令しました。同時に大本営を設定いたしまして、自ら陸、海、空軍総司令という職に就きました。全国を第一戦区(冀察方面)第二戦区(晋察方面)第三戦区(上海方面)第四戦区(南方方面)に分ちて (これ) に各集団軍を配置して対日本全面戦争の体制を完備しました。
*2. 然るに:それなのに、*3. 書証:証拠書類
*4. 人証:人格証拠、*5. 逐次に:次々と

 外交関係は依然継続しておりましたが () の時期には日支の間に大規模な戦闘状態が発生したのであります。以上緊迫状態に応じて我方では北支に於ける合法的権益を擁護するために、遅れて八月三十一日に至って内地より北支に三個師団の兵力を派遣すると共に、また駐屯軍を北支方面軍と改称いたしました。 () の司令官に対しては平津地方の安定を確保すること、相手方の戦闘意志を挫折せしめ、戦局の終局を (すみやか) にすべきことを命じました。 (かく) の如く此時 (このとき) に至っても我方 (わがほう) () いては北支の明朗化と該地方に於ける抗日政策の放棄を要求して () っただけであります

 日本政府は () の事件を初め北支事変と称して事態を北支に局限し得るものと考えて居りましたが、これが八月中には中支に飛火いたしました。その原因については別に説明いたします。支那側は一九三二年英米 () の他の代表の斡旋によって成立いたしました、上海停戦協定を無視して、非武装地帯に陣地を構築し五万余の軍隊を上海に集中いたしました。この地に在った日本の海軍陸戦隊は僅かに四千名にも足りませぬ () くて日本の在留者の生命と財産は危機に陥ったのであります。このとき我海軍陸戦隊の中隊長大山中尉が無残にも射殺されたのであります。日本は八月十三日に在留民の生命財産を保護するために上海に派兵することを決定いたしました。中支に於ける闘争が開始しましたのは実は (かく) の如き事情の (もと) (おい) てであります。

 換言すれば事件を拡大して () の範囲 (および) 限度を大きくしたものは中国側であります。我々は以上の事実に関し証人を申出 (もうしで) で戦闘開始の責任の御判定に () せんと[*6]するものであります。

 中国との闘争は支那事変と称しまして支那戦争とは称しませんでした。戦争状態の宣言又は承認は (いず) れの当事者よりも又他の国よりも (ため) されませんので、実に蒋介石大元帥も一九四一年太平洋戦争の発生するまでは我国に向かって宣戦を布告しませんでした。 (これ) は欧米の人々には真に奇異に感ぜらるることと思います。然しか し我方の (かんがえ) はこうであります。 () の闘争の目的は支那の当時の支配者の反省を求めて、日本と支那の関係を本然 (ほんぜん) [*7]の姿に立戻そうとするのであります。中華民国の一部分に実際に排日運動を捲き起こしたのは、中国共産党の態度に因るのであります。

 蒋氏は世間を聳動 (しょうどう) [*8]したかの西安事件以来、共産党を認容するに至っておりまするが、日本政府はこの蒋大元帥の行動は遺憾なる一時的の脱線であると見て () ったのであります。当初は日支の間には外交関係は断絶してをりません。又両国の条約関係は依然効力を保持して居りました。降伏して来ました中国兵は (これ) を釈放しました。日本在住の中国人は敵人として之を扱わず安んじて () の生業を営むことを得せしめたのであります。

 又中国に対し宣戦を布告しなかった目的の (ひとつ) は戦争法規の適用に () って、第三国人の権益を制限せぬようにしようというのでありました。 (しか) (なが) ら我国の希望に反して、戦闘はだんだんと拡大して行きました。 () の結果占領地に於 () ける第三国人は自づから或る程度の影響を受くることは免れぬことになって行きました。それが日本とイギリスとの間に一九三九年七月所謂 (いわゆる) ・クレーギー協定が出来た所以 (ゆえん) であります。
*6. 資せんと:役立てようと、*7. 本然:本来、*8. 聳動:驚かし動かすこと、動揺させること

 もしこれが宣戦した戦争でありましたら、却って九カ国条約の問題も生じなかったかと存じます。何となれば () の場合には中国と日本に関する限りは、条約の効力は自動的に効力を失うか少くとも戦時中は効力を停止さるるからであります。 (しか) (なが ) ら実際は中国も日本も双方宣戦はしませんでした。そこで九カ国条約の適用の問題が生ずるという矛盾した状態に逢着 (ほうちゃく) [*9]したのであります。

 九カ国条約が成立しました一九二二年と、支那事変が起こりました一九三七年とのこの十五年の間に、東亜の天地には五つの異常な変化が起こっております。

  () の変化の第一は (かよ) うであります。九カ国条約以後中国は国家の政策として抗日侮日政策を採用しました。不法に日貨排除を年中行事として続行するに至ったことであります。中国は反日感情が広く青年層に伝播するようにと公立学校の教科書を編纂しております(排日教科書)。

 其の二は、第三インターナショナルが () の時代に日本に対する新方略 (ほうりゃく) [*10]を定めて、中国共産党がかの指示に従い且つ蒋介石政権も (これ) を容認したことであります。

 其の三は華盛頓 (ワシントン) 会議で成立しました支那軍隊削減に関する決議がひとり実行せられざるのみならず、却って支那軍閥は以前に何倍する大兵を (よう) [*11]、新兵器を購入し抗日戦の準備に汲々 (きゅうきゅう) [*12]たる有様であったことであります。
*9. 逢着:出あうこと、でくわすこと、*10. 方略:計略、はかりごと
*11. 擁し:勢力下に従え、*12. 汲々:あくせくする

 其の四は、ソ (れん) の国力が爾来 (じらい) [*13]非常に増進した事であります。ソ聯は九カ国条約当時之これ に参加しておりませぬ。従って () の条約の拘束を受けません。そして三千哩[里]に (わた) るソ支両国の国境を通じて異常なる力を発揮して (これ) に迫って参りました。実に外蒙古を含む広大なる地域は中国がその主権を主張して居りまするけれども、実際はソ聯の勢力下に置かれたのであります。
*13. 爾来:それ以来、その後

 其の五は、九カ国条約締結以来、世界経済が経済的国際主義より国内保護主義への転換を示して来たことであります。

 九カ国条約は修(終)了期限のない条約である事に注意しなければなりませぬ。この五種類の事情が如何に帰着するかは後に明白となりましょう。提出せらるべき証拠は自ら () の内容を語るものでありましょう。ただここに申上げることは () くの如き状態に於いて九カ国条約は非現実のものとなりました。その厳格なる実行は不可能に陥りました。 (しか) も中国も日本も宣戦しては居りませんが、大きな戦闘に進んで居りました。 () の場合占領地であろうとなかろうと、中国の領土に九カ国条約の文字通りの実行は実際上不可能になってしまったのであります。

 被告側では (かか) [*14]場合に此の条約を文字通り実行しなかったということが、必然的に犯罪を構成する道理はないと主張いたします。 () の前提の下において、以上の五点が条約当時考えられて () った状況を変更し、条約の効力適用を無力ならしめたことを証明するものであります。
*14. 斯 (かか) る:このような

 検察官は、被告は経済侵略について責を負うべきものと致して居ります。弁護団は中国に (おい) 何等 (なんら) 経済侵略はなかった事を証明するでありましょうが、更に又 (いず) れにするも経済的の侵略はそれ自体犯罪ではありませぬと主張いたします。

 麻薬に関する検事の主張につき上申いたします。検事の主張は、日本は一方に於て麻薬を中国に販売することに依って、中国人の戦意を (くじ) き、他方に (おい) てはこれによって戦費を獲たというのであります。

 裁判所の御注意を願いたい事は、我国はかつて台湾に (おい) て阿片吸飲者を漸減 (せんげん) [*15]した特殊の経験を持って居ることであります。

 台湾に於て、その日本の統治下に在った時代には阿片専売及び統制を布きまして、 (これ) () って阿片の取引を禁じ漸次 (ぜんじ) [*16]阿片吸飲者の数を減少しました。中国では主として其の西洋との交通の結果阿片の吸飲は古く且つ広く行はれた習慣でありまするが、日本は出来得る限り今申し上げた経験を中国に利用したのであります。

 此こ の点に関して具体的事実と数字を挙証し、阿片売買の収入が戦費に利用されざれし事を証明致します。最後に被告中に此の事に関係を持った者の存在せざる事も上申いたします。
*15. 漸減:だんだん減らす、*16. 漸次:だんだん、しだいに

 日本の一部の軍隊に () って中国に (おい) て行われたといふ残虐事件は遺憾な事でありました。これ等はしかしながら不当に誇張せられ、或る程度捏造までもされて居ります

 その実情につき出来る限り真相を証明致します。日本政府 (ならび) に統帥責任者はその発生を防止することを政策とし、発生を知りたる場合には、行為者にこれに相当するの処罰を加うることに (つと) めて居ります。

 元来中国の国民との間には親善関係で進むことが日本の顕著なる国策の一つでありまして、又現在も左様 (さよう) であります。それ故中央政府にあり又派遣軍を嘱託 (しょくたく) [*17]されて居ったような軍の幹部が、 () かることを軽々しく行うたり又はこれを黙過するという事のあるべき道理はありませぬ。

 我々は被告の誰もが斯かる行為を命じたり、授権 (じゅけん) [*18]したり、許可したり、 (ならび) にそういうことのないこと、 () の点に関する法律上の義務を故意に、又は無謀に無視した事のないことを証する為た めにあらゆる手段を尽すでありましょう。
*17. 嘱託:仕事を頼んでまかせること、依嘱、*18. 授権:特定の人に一定の権限を与えること

(小堀桂一郎編『東京裁判 日本の弁明』より)

  …了…

 いかがでしたか。これは清瀬が行った冒頭陳述全五部の中の第三部の全文です。この清瀬の渾身の主張を耳にしながら、朝日新聞東京裁判記者団編の『東京裁判』に次の一文があります。これは私自身中学生の時に目にして思わず顔面が熱くなるほど怒りを覚えた部分です。多分新聞記事にあったかと思います。

 朝日新聞曰わく…
中国人民十年の忍苦…
 我が国の政府が日華事変中、「蒋介石を相手にせず」とうそぶいたのに対し、「一般日本国民に罪なし」との蒋主席の終戦布告ほど、日本国民にとって手痛い現実はなかった。それは戦いに敗れたと言うことだけではない。あれほど戦時中高く喧伝されてきた「日本精神」が、ついに中国の美徳の前に頭を下げたことだ。だからわれわれは、戦火に追われた十年の年月を耐えてきた中国民族の忍苦をあらためて思わざるをえない。十年!検事側はこの歳月の中に厳しく日本の侵略の足どりを追及した…。

 まぁ今打ち込んでいても当時の怒りが沸々として湧いてくる想いです。こともあろうに、日本精神が支那の美徳に頭を下げたとは…何たる傲慢、何たる非国民、国賊か!…この糞根性は未だに変わらないのが朝日であります。長々お読みいただき有難うございました。ご訪問いただき有難うございます。


以上あきら氏の日記より。(フリガナ及び注釈:Red Fox)


*解説の清瀬の発言は『パール判事の日本無罪論』(田中正明著:小学館文庫)p212より

写真はあきら氏提供

引用部分:あきら氏の日記『清瀬一郎をご存知ですか?』2007.7.17
/『清瀬一郎:冒頭陳述第三部(全)』1〜4 (7.17-18)
上記をまとめた全文:mixiコミュニティ 2007.7.19 23:01



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コメント

朝日は・・。

もう、賞味期限過ぎているんですけどね。それが生きているのは、日本人の優しさというか、甘さがあるのだと思います。これからの日本人は、チャイナ人を言い負かすだけの根性と戦略眼が必要だと思います。最近、孫氏兵法を読んでいますが、チャイナ人の汚さを理解し、次の一手を読むのには、ちょうどよい本だと思います。ただし、チャイナ人の書いた本なので、癪に障りますが・・・。

  • 2007/07/21(土) 14:12:55 |
  • URL |
  • OK野朗 #-
  • [ 編集]

こんつは〜っス、熱闘欲っス。

清瀬さんって方の主張は、まるで現在の保守派が口にする意見を代弁してるみたいっスね。
戦前、満州にあって日本軍は、度重なる支那からの挑発的な攻撃に隠忍自重してきたのが、遂には堪忍袋の緒が切れて、大陸へ支那国民党軍の殲滅に乗り出したっス。その陰じゃ盛んに両者の敵意を煽って漁夫の利を得ようとしてた共産党の陰があったっスが。
清瀬さんはそうした已むを得ない事情を抜きに、敗者日本に全ての罪科、いや、それだけじゃなく、ありもしなかった罪科まで押し付けようとしてた連合国の欺瞞に正論を述べたっスが、勝てば何とやらで、まるで聞き入れられなかったようっスね。
正義ってのは絶対的な概念じゃなしに、千差万別で立場が違えば各々違ってくるものっス。連合国や、日本人非戦闘員を無残に惨殺した支那人にも、夫々の“正義”ってのがあって、それを証明しようと試み、日本の正義を全否定してる訳っスが、自身を正当化するのに対立者を不当に貶めるのは常套手段ってことっスかね。
これって、ウヨサヨの対立にも通じるとこあるっスね。右も左も信念とする正義の立脚点が全く別の方向性なんで、激しく火花を散らしてる訳っスが。

  • 2007/07/21(土) 14:28:44 |
  • URL |
  • ドウモっス #bgTjmk0w
  • [ 編集]

こんばんは。

怒る小市民さん
OK野朗さん
清瀬の国家弁護はまことに立派なものでした。残念ながらこの正当な主張が却下されたこと自体、東京裁判がいかに問題があったかを示しております。冒頭散々荒れた管轄権問題にしてもウェッブは追って宣告するとしながらうやむやにして裁判を強行してしまいます。支那事変は対する敵が一枚岩でなかった珍しい例であります。共産党も日本軍の活躍がなければ現在の政権はなかったでしょう。皮肉なものです。毛沢東や周恩来が元気な頃はまだまともだったと言えるでしょう。朝日が靖国や教科書で支那を焚き付けた罪は万死に値します。

  • 2007/07/21(土) 19:13:16 |
  • URL |
  • あきら #-
  • [ 編集]

>>OK野朗さん
敵と対峙するには敵を知るのは重要です。島国と大陸では決定的にメンタリティが違うと言う事を理解してない日本の日中友好スクールは、日本の常識で一生懸命彼等を理解しようとしてますが、それでは永遠に振り回されるだけです。

>>ドウモっスさん
この陳述には、戦後悉く否定されて来た支那事変に関する日本の立場がありありと描かれてますね。私が最初に見たのは帝国電網省のコラムで、この清瀬一郎の陳述をベースに書いてるようなスタンスでしたが、あれから7年、今では保守派のスタンダードとなった感がします。

私はやはりリアルタイムの生の証言と言うものに関心はありますね。時間が経てば後の時代の価値観や政治的な思想に影響されて来るものですが、リアルタイムのものは、そこにある人間ドラマが見えますから。

  • 2007/07/21(土) 20:44:31 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

>あきらさん

勝者の論理に追随して日本批判に熱中し、いかにも自身らが良識を体現しているかを取り繕うマスゴミには反吐が出ますね。

  • 2007/07/21(土) 22:42:59 |
  • URL |
  • 怒る小市民 #bgTjmk0w
  • [ 編集]

怒る小市民さん

一頃『ドイツを見習え』なんて風潮がありましたからね。ワイツゼッカーでしたっけ、やたら日本にケチをつけてたアホは。それにのせられた左翼も情けないもんです。

  • 2007/07/22(日) 00:10:25 |
  • URL |
  • あきら #-
  • [ 編集]

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