Red Fox

チベット国境で故国のために祈る〜あるチベット高僧の旅



 ナショナル・ジオグラフィックが1994年に制作したドキュメンタリー『ムスタン〜禁断の王国』から、インドに亡命したチベット仏教の高僧の一人、カムトルール・リンポチェ師がチベットの山々の見える国境で祈りを捧げる場面と、「チベット子供村」の場面がYouTubeにアップされているので、それに日本語字幕をつけてみました。

チベット国境で故国の解放を祈るリンポチェ師&チベット子供村
『ムスタン〜禁断の王国』より (5'35")
Rinpoche on the border of Tibet praying for Tibet to be free
Tibetan Children's Village (from Mustang: The Hidden Kingdom)

訳・字幕:Red Fox

(テキストで見る)

 この『ムスタン〜禁断の王国』は、ネパール領内にあるチベット族の自治王国のムスタン王国の2人の子供にダライ・ラマの下で伝統的仏教教育を提供するために、ダライ・ラマの代理としてリンポチェ師がダラムサラからムスタン王国に3ヶ月の旅をしたそのドキュメンタリーです。

ムスタン〜禁断の王国
(ナショナル・ジオグラフィック)

監督・撮影:トニー・ミラー
プロデューサー:ティモシー・カウリング、ヴェネッサ・ボーイ
出演:カムトゥルール・リンポチェ、ダライ・ラマ14世、ジクメーパルバル・ビスタ王、テンジン (僧侶)、ロブサン (僧侶)、パサン (馬主)、ダルサン・ワンドゥ&ワンドゥ・チョサン (ムスタン王国の2人の子供)
語り:ハリソン・フォード
音楽:ライル・メイズ
ロケ地:ムスタン王国、ダラムサラ
制作:1994年 ディスカバリープロダクション、インターピッド・フイルム
カラー、100分

 ムスタン王国はネパール東北部のチベットと国境を接するヒマラヤ地域にあり、南北80km、東西45kmの奈良県に相当する大きさで、8000m級の山々がそびえ立つ標高2700-4070mの峡谷に小集落が点在している人口およそ9000人の山岳王国で、1991年まで長い間外国人が立ち入り禁止だったために「禁断の王国」と呼ばれ、チベットの伝統や文化が古代そのままに残っている地域です。

 ここに出て来るカムトゥルール・リンポチェ師はニューヨークのチベット仏教協会『ネチュン財団』のウェブサイト上の紹介によれば、かなり偉い方のようです。

ネチュン財団
客員指導
カムトゥルール・リンポチェ師

 著名なチベット仏教学者。経典、タントラ教、および薬学の専門家として、現在これらの伝統を引き継ぐ数少ない指導者の一人である。彼はまた大成就瞑想のイニシエ−ションを世界各地で行う指導者として著名である。リンポチェ師はナンギャル寺院のニンマ派儀式長として、またネチュン寺院の指導者の一人として知られている。1990年にネチュン護衛の儀式書を発表。

 東チベットのカム州に生まれ。東チベットのガルジ・カムトルル・ミドロル・ジャンチョル寺院の共同大寺院長のドルジ・ナムゲの4代目の権現と認められた。最終的に彼は寺院の最高責任者となった。

 1960年にインドに亡命して以降、リンポチェ師はアッサムでチベット難民の生活クオリティの監督を行った。数年後にはチベット亡命政府の宗教局に加わり、最終的に同局書記長を勤めた。

 カムトゥルール・リンポチェ師はチベット国外でダライ・ラマ五世から伝わる権限、伝導と指導を持つ数少ないリンポチェの一人であり、未来の世代に指導を継続して行うためダライ・ラマ14世の要請によって、リンポチェ師はインドのダラムサラにチメ・ガツァル・リン寺院を建立した。

訳:Red Fox

 チベット仏教で「リンポチェ」とは「尊いもの」の意味で、転生ラマ(活仏)や宗教的指導者に与えられる称号。

 カムトゥルール・リンポチェ師が1960年に亡命したという事は、8万6000人のチベット人が死亡しチベット寺院が壊滅的に破壊され多くの僧侶が公開処刑された1959年の蜂起の翌年になるので、チベットの記憶は辛い思い出なのでしょう。



ムスタン王国のギュ村の祈祷旗 (標高4077m) (Bob Witlox)
 ここで貼られているカラフルな旗はチベット仏教の祈祷旗のルンタ (風馬旗) で、チベット、ネパールやインドにかけて用いられているもので、三角や四角の五色の旗が高い所から低い所に斜めに張られた糸に青 (天)・白 (風)・赤 (火)・緑 (水)・黄 (地) の順に張られます。

 これは祈祷者を仏の下に導くものではなく、平和、慈悲、強さと叡智をもたらすものと考えられ、風が吹く度にマントラと祈りがその地域一帯に広まり大気を清め、屋根や塔など高い場所から低い場所に向けてルンタを張る事で全てにご利益があるというもので、このドキュメンタリーではチベット国境でリンポチェ師が「全ての生きるものに幸福を」と祈りを行ったのも、そういう意味合いがあるのでしょう。


 リンポチェ師の国境訪問は恐らく、ダライ・ラマの代理としてムスタン王国の訪問中にドキュメンタリーの一環として現地の協力を得て行われたものと思われますが、映像でも馬を引いた一団が見られるように、荷馬か徒歩でのみ通行可能という地域で、山間の集落やテントに宿泊したりなどの行程で、ジョムソン空港から首都のロ・マンタンまで馬で6日、更にチベット国境までローマンタンから北にヒマラヤの山道を延々と登って3日という、なかなか簡単に行ける場所ではないようです。

ジョムソン空港 (標高2700m) は地図下端の3番、ムスタン王国の首都ローマンタン (3700m) は24-29番の赤印。ローマンタン北部の国境地帯は峠で標高は4000m台。両側のグレーの山岳地帯は標高5000-8000m。
写真中白線南がネパール、北がチベット。A-Eがローマンタン
View Larger Map

 Google Earthの衛星写真で見られるように、実際にムスタンとチベットの国境は8000m級の山々がそびえ立つ険しい山岳地帯で、現在複数の団体が『チベットへの行進』『チベット自由の聖火』と銘打ってチベット国境を目指して行進やリレーを行っている訳ですが、ネパールやインド側のチベット国境はどこも見てもヒマラヤ山脈なので、最後は標高4000mの山道を酸欠状態で登るタフなヒマラヤ登山大会になりそうです。





チベット子供村
Tibetan Children's Village (TCV)


2008年5月9日:チベット文化を保護するために生徒達は毎年『我が国チベットプロジェクト』を行う。今年のテーマはチベットと中国での暴力的弾圧への抗議の高まりに関して (TCV Lower Dharmsala)
 このドキュメンタリーでもう一つ触れられているのが『チベット子供村』ですが、これはインドに逃れて来たチベット難民の子供達にチベット語教育、仏教教育、チベット民族教育を行う学校で、インド各地に7校が運営され 1万5000人のチベット人の子供達が学んでいるものです。

 このドキュメンタリーでは、ダライ・ラマの下でチベット教育を受けさせるために子供をダラムサラに送るケースですが、TCVサポート団体KIKUのウェブサイトには、中国での同化政策・民族浄化に対してチベットの文化とアイデンティティを残すために、親がチベットに残り子供達をヒマラヤを越えてインドに亡命させるというケースが多く、中にはチベット人の妊婦がヒマラヤを越えてダラムサラで出産をして子供を託すケースもある旨が書かれており、地上から「チベット人」と「チベット文化」を消滅させないための民族全体の強い意思がそこに見られます。


2008年5月2日:「中国は2008年五輪開催に価するか」のテーマで英語ディベート大会が行われた。XBクラスのテンジン・ザンポ君の優秀なスピーチは聴衆の心を掴み第一位を獲得した (TCV Lower Dharmsala)
 ちなみに本ブログで何度か取り上げた事のある、SFTのテンジン・ドルジ副代表もこの『チベット子供村』の出身で、インド育ちながら流暢なチベット語を話すビデオがYouTubeでも見られます。

 またインドで育った亡命チベット人が英語を流暢に話せるのは、TCVで英語ディベート教育も行っている事が大きいようで、またこれが亡命チベット人が世界にネットワークを確立する事を可能にした大きな理由の一つでしょう。

チベット子供村ダラムサラ校での英語ディベート (0'26")

Posted by lowertcvschool (2008.5.2)

チベット子供村ダラムサラ校での英語演説コンテスト (0'30")

Posted by phoeniz123 (2008.3.28)

 演説というよりも演劇みたいですね。

 ここダラムサラでは随分レベルの高い教育を行っているようですが、だからこそチベットから子供達を送り出すのも、ムスタン王国のような高山集落からも、次世代に高度教育を受けさせたいという民族全体の渇望に見えます。




余談:

 『ムスタン〜禁断の王国』のビデオは、YouTubeにポストされていたものにそれが一体いつどこで何のために撮影されたものかの情報が一切書かれていなかったために、最初は亡命チベット人や支援団体が制作してYouTubeにアップした数あるビデオの一つと思っていたのですが、それにしては映像の作りや質が映画並みのクオリティで、音楽も本格的なので一体これは何だと思って「Khamtrul Rinpoche」の名前だけをキーワードに2週間ほど検索してようやく見付けたといういきさつがありました。アマゾンに中古ビデオが1点だけあったものを注文したので、また内容の確認が出来たら追記で報告するかもしれません。

 ドキュメンタリーの正体を突き止めて更に分かったのが、ナレーションがかのハリソン・フォード、それから音楽担当がパット・メセニー・グループのライル・メイズと、かなりの大物を起用していた事です。今から18年前の1994年にディスカバリーチャンネルがチベット仏教、亡命チベット人やチベット人学校のドキュメンタリーに随分と力を入れて制作していたのが今となっては驚きではあります。


1994年頃のハリソン・フォード (Popstar Plus)

ライル・メイズ (Ted Kurland Assosiations)





おまけ:

ムスタン王国の風景

 以下はアメリカの公共放送PBSのサイエンス番組『NOVA』のウェブサイトに載っているムスタン王国のフォトアルバムで、それぞれに詳しい解説が書かれています。まるで数百年の昔にタイムスリップしたような風景が魅力。このフォトアルバムには数点パノラマ映像があり、これは画面上をクリックする事で360度のパノラマ映像が見られます。

チベットの失われた秘宝
文・写真:リースル・クラーク

 ネパール西北部にある禁断のチベット王国のムスタンに初めてヨーロッパ人が足を踏み入れたのは1950年代であり、1992年まで外国人には正式に解放されていなかった。地図上の1番からヒマラヤの高地の魅力的な王国のバーチャルツアーが開始する。写真は2000年秋と2001年夏に撮影。(うち数点はパノラマ写真でQuickTimeプラグインが必要)



1.【カトマンズ】ネパールの首都カトマンズで砂のマンダラ制作に熱中する若い僧侶。マンダラは仏教で宇宙を表現する

2.【カトマンズ】ペマツァル学校の生徒と教師がこの砂のマンダラを3日間かけて色の砂を特殊な道具を使って作った。全ての砂のマンダラが完成した時、僧侶達はそれを壊す。そして彼等はその聖なる砂を近くの川に流す。この破壊行為は仏教の「無常」を具現化したものである。

3.【ジョムソン (2700m)】ムスタンツアーの出発地であるジョムソンではじゅうたんの鞍をつけた馬が次の仕事を待っている。ムスタンでは古来より馬は交通手段であった。

4.【カグベニ村】角の色は個体識別のため。これらのヤギはチベットから持ち込まれ、カトマンズでのダサルン宗教祭で生贄にされる。10月に開かれるヒンズー祭は女神ドゥルガの悪霊への勝利を祝うものである。

5.【カグベニ村の近く】世界で最も深い峡谷の一つを刻むカリガンダキ川。この川はチベットとインドの流通路として今日に至るまで2000年の歴史を描いて来た。

6.【タンペ村】カリガンダキ川の岸にあるタンベ村は巨大な崖の下にはちっぽけに見える。それらの崖もヒマラヤの高峰の中ではちっぽけなもの。

7.【タンペ村上流】カリガンダキ川のほとりの荷馬。1450〜1600年のムスタン最盛期には、チベット人は塩と米を取引するためにこの川に沿ってはるばるインドにやって来た。

8.【チャイリ村 (3058m)】この家はムスタンの典型的な作りの住宅。壁は天日干しのレンガで、戸口や窓に掛かっている頭骨は魔除けである。

9.【チャイリ村】マントラで複雑に削られたマニ石はムスタンの至る所で壁の上に積み上げれられているのを目にする。旅行客はこれらの祈りの壁の左側を通らなければならない。

10.【サマール村 (3540m)】麦を風選している女性がそよ風に助けられている。大麦、ソバ、小麦はムスタンの主要な農作物。

11.「自己発出の谷」の外側の直射日光の当たる崖の日陰で、チベット僧のラマ導師ギャルツェンが経っている。この聖なる修行の地は、人の形の岩のロバスが峡谷の岩壁から「発した」と伝えられる所。

12.【ガミ村下流】ムスタンの峠で祈祷旗を結んでいる僧侶。このような旗を張る事によってご利益がルンタ(馬風旗)の上に乗って飛んで行くと仏教徒達は信じている。ルンタは四つの聖なる方向にメッセージを発する。

13.【ガミ村 (3520m)】ムスタン最大、そして恐らくヒマラヤ最大ののマニ壁が乾いた盆地を横切って伸びる。壁を装飾する顔料は近くの山のミネラル鉱から作られる。

(画像をクリック&ドラッグ)
14.【ガミ村】ガミ村はジョモソムから4日かかる伝統的な村。調理燃料用に乾燥貯蓄されている木材が積み上げられた屋根の上からこの画像は映している。この樹木のない地では木材は貴重品であり、点火用にのみ用いられ、その後は乾燥厩肥が燃やされる。後ろには大麦や小麦が緑色の畑で育っている。

15.【ガミ村上流】瞑想の洞窟は崖の上に届かない位高い所にある。残念ながら王朝時代の人工洞窟は少しずつ風化しつつある。これらの多くはかつて驚くべき壁画や彫像を含んでいた。

16.【ツァラン村 (3580m)】仏教徒が石を削り旗に書いた巨大なマニ壁の横を通る旅行者。この壁のように仏教徒達は常にそれらを右側に位置する。旗がついているこの高い木製の柱は南の地域から運ばれた貴重な物資である。

(画像をクリック&ドラッグ)
17.【ツァラン村 (3580m)】後ろに見える緑のオアシスのツァラン村は、ムスタンで二番目に大きな集落でムスタン王ラジャの冬期宮殿がここにある。宮殿と寺院は14〜15世紀の名残を残している。絶え間ない風に祈祷旗ははためき、カリ・ガンダキ川は深い峡谷を蛇行する。我々のカメラマンのネッド・ジョンソンとペマツァル学校のリグゼン先生、カメラ・アシスタントのカミ・シェルパがツァラン村を撮影している様子が見える(これは360度のパノラマではない)

18.【ツァラン村】緑のじゅうたんが旅行客を歓迎する。ムスタンの生活経済は農産品と家畜でまかなわれている。大麦とソバが名産である。大麦を挽いたオートミールのような農産品の「ツァンパ」はムスタン各地で見る事が出来る。

19.【ツァラン村】鮮やかな色彩のツァラン寺院の正面は堅固に出来ている。残念ながらこの建物の内部は崩落の危険がある。チベット仏教のサキャ派によって建てられた。サキャ派はかつて数百人の僧侶がいたが現在は数十人が残るのみである。

20.【ツァラン村】えび茶色の外衣を来た僧侶達が鮮やかな色の祝典用のギャルゼンを持っている。ツァランでの宗教式典で順番を待っている幼い僧侶達。

(画面をクリック&ドラッグ)
21.【ヤラ村上流】古代の洞窟寺院ルリ寺への道で、旅行者は乾いた高台を横切らなけらばならない。遠くにはアナプルナ山脈が見える。我々のアシスタントカメラマンのムスタン在住のプシュパ・トゥラチャンが「惑わしの高台」と呼んだこの高台は信じられないくらい平らである。この高台はわずかでもこの標高では厳しい上り坂であり、それは多くの勇敢な訪問者を疲労困憊にさせた。疲れきった我々のカメラチームを全員見る事が出来る:ネッド・ジョンソン(カメラマン)、ジョティ・レイナ(録音)、カミ・シェルパ(カメラアシスタント)

22.【ヤラ村上流】この壮観な浸食崖は岩や粘度や海の砂の混合物である。ヤラ村の上流で止まない風に浸食されている。

23.【ローマンタン南】ロ・マンタンへ向かう旅行者を仏舎利塔が迎える。常に左側、彼等は旅行者に仏教の規範を示す。ムスタンでは仏舎利塔は明るい色彩に塗られている。

24.【首都ローマンタン (3700m)】ムスタンの首都ロ・マンタンの要塞門。標高4000mの風景。「マンタン」は「薬効ハーブの豊かな大地」の意味。イギリス人がこの単語から「ムスタン」いう呼び名を作った。

(画像をクリック&ドラッグ)
25.【ローマンタン】このパノラマはロ・マンタンを取り巻く古代の城壁から撮影。15世紀のチベット仏教寺院のトゥブチェン・ゴンパの壁の欄干を修理する人々が見える。この8mの高さの壁のペイントは貴重である。写真で一番高いチャンパ・ゴンパ寺院は、ロモンサンで最古の寺であり、14世紀に建造されたと伝えられる。ムスタンの全ての寺院はチベット仏教の特徴的な深い赤に塗られている。背景には市街の外にあるマスタード畑と古代の宮殿の跡が乾いた丘の上に見える。

26.【ローマンタン】ロ・マンタンの城壁の外側の畑での借り入れ。殆どの女性が伝統的チベットのチュバを着ているのに対して、ムスタンの多くの男性と同様に、彼は西洋式の服を着ている。チュバは着色したウールのスカート、手織りのベルトと準宝石で飾られた長く黒い外套。

27.【ローマンタン】雲行きの怪しい空でスポットライトを浴びているロ・マンタンの上流にある古代の要塞。この不毛の土地の環境が、容赦なく吹き付ける風の中これらの建築物の面影をとどめている。

28.【ローマンタン】スブチェン寺院の15世紀のボディサットゥヴァ (菩薩) の壁画。「ボディ」は「悟り」、「サットゥヴァ」は「存在」を意味する。自身のためだけでなく全ての感情を持つ物のために悟りを探求する事である。この写真は修復の後の壁画である。

29.【ローマンタン】この仏像はツブチェン寺院の中央にある仏陀像である。仏陀はおよそ2500年前にインドでシッダールタ王子として生まれた。彼が宮殿の外の貧困を見たとき彼は特権階級を捨て人間の苦しみを終わらせる方法を探求し始めた。彼は35歳で悟りを開いた。今日仏教は世界に5億人の信者を持つ。
訳:Red Fox

 以下はドイツの写真サイトのグローボサピエンスが毎月開催しているフォトアルバム・コンテストでの優勝作品で、スイス人撮影によるムスタン王国の写真アルバムが本人の解説付きで紹介されています。

 ムスタンは全体が富士山の標高かそれ以上の高さの巨大渓谷に小さな集落が点々とあって、それらに宿泊したりテントに泊まったりなど、実際に同行したのがガイドと3人の料理人と4頭の馬と馬主という一団で13日がかりの馬による移動という、なかなかタフなツアーのようです。別なサイトでは全19日の日程のツアーもあります。


ムスタン〜禁断の王国
Posted by kailas
2006年2月のグローボサピエンス・フォトアルバム・コンテスト優勝

 ムスタン王国は1992年までは旅行客が立ち入りが許可されない「禁断の王国」であった。アッパームスタンは今なお年間立ち入る事の出来る人数が制限されている (およそ1000人)。もう一つの制限事項は許可証であり一人につき700ドル [約8万円] かかる。南からは徒歩、馬、飛行機(ジョモソム空港)で行く事が出来る。北のチベット側からはローマンタンへは状態の悪い道路があり、ツァランまでが現在工事中となっている。

 旅行行程は13日でジョムソンからローマンタンは往復150kmで高度差は2700mから4300m。私と妻にはツアーガイド、料理長と2人の料理人、そして4頭の荷馬とその馬主が同行した。彼等は私達の旅行を快適なものにしてくれ忘れられない人々である。アッパームスタンを旅行したい人達には、道路が完成して峡谷の持つ独特な雰囲気が失われる前に行く事を勧める。このスライドショ−は撮影順に並んでいる。


ジョムソン (2720m) とカグベニ村の間にあるカリガンダキ川の河原


カグベニ村、カリガンダキ川とニルギリ山 (6940m)


カグベニ村とチュクサン村 (2950m) の間のカリガンダキ川


カグベニ村とタンゲ村の間の沢道


チャイリ村付近 (3050m)。カリガンダキ川の上の崖から


チャイリ村上流のゴルゲ村


ゲリン村 (3520m) 上流の仏舎利塔、後ろはアナプルナ山 (8091m)


蕎麦畑に囲まれたガミ村 (3520m)


ガミ村


ガミ村上流の浸食した山


ガミ村のソバ畑


ガミ村周辺


ツァラン村中心部 (3580m)


ツァラン村


ツァラン村の仏舎利塔


ツァラン村


首都ローマンタンへの道。まるで月面のよう


ローマンタン (3700m)


ローマンタン


ローマンタンの鳥葬場


ローマンタン東側の山々


ローマンタン東側の風景


ダクマール赤岩群の前の仏舎利塔


ダクマール赤岩群


ロゲカール村から見たマラン山 (4353m)


シャモチェン村 (3800m) とガミ村の間の仏舎利塔


テタン村 (3660m) とニュ村の間の浸食岩


ニュ村 (4068m) の羊の群れ


ジャルコット村 (3500m)


プラン村の秋の訪れ


カグベニ上流の峡谷


ジャルコット村からエクロバッティ村に至る沢道から見たカグベニ村の風景


訳:Red Fox

 チベット仏教の鳥葬は聞いてはいましたが、こんな感じの所でやっているんですね。また生贄用の山羊は儀式で殺すために運ばれて来たという事。宗教的価値観に根ざしているとはいえ、何でも川に流してしまうなど、文明社会の視点から見ればかなり近代の価値観とは異なる原始的な面を持っています。

 「Sky burial」で写真検索すればチベットの鳥葬の写真は見られますが、実際見ると結構おぞましい光景なので余りお勧めはしません。中国政府も"特例"としてチベットの鳥葬は認めているようですが、撮影や見物は禁じています。


 実際YouTubeやあちこちで見られる中国人のコメントや、中国人の知人の話を聞いていても、彼等が口を揃えて言うのは版で押したように「中国がチベットを豊かにしているのであって、チベット人も豊かな暮らしと教育を求めており、中国と一緒の方が彼等にとっては幸せなのだ」という意見です。

 中国がチベットの民族浄化と文化根絶を目論んでいるというのは、これはせいぜい文革くらいまでの話であって、現在は少数民族文化の保護を彼等なりに考えてはいるのは、現地の中国人の知人と話していてもそういう話は出て来るし、実際チベットや四川の自然保護活動をやっている中国人は、全てが自然のままの「無常」の世界で、自然保護や文化財保護という概念を持たないチベット人には任せておけないと考えているし、同様の事は上記のPBSの番組でもムスタンの文化財保護の難点に関して触れられています。

 実際中国人はチベット人を未開の蛮族と考えているので、そこに文明をもたらして生活と経済水準を引き上げようとしているのは必ずしも侵略主義の悪魔的発想ではない訳ですが、宗教を中心の価値観を持つチベット側にはそれが同化政策にしか映らない訳で、そうすると中国人はそれをカルト視しか出来ずダライラマの影響力を危険視しているという悪循環で、根本的な価値観の相違からコミュニケーションが取れていない状態です。

 一方、彼等は版でついたように「中国は56の民族が共生する多民族国家である」と言いますが、それは侵略の結果の既成事実を正当化しているに過ぎないのだと、その本質的な部分を彼等が理解出来ないのがやはり自分達のイデオロギーを押し付けるだけの中華思想であり、宗教と民族アイデンティティを否定した共産主義なのであろうと、そういう印象があります。




関連サイト:

日本人でムスタン王国に旅行をした方のサイトに写真と詳しい解説があります。

秘境ムスタン (2001.5.14〜6.2) (ネパール旅行記)
ネパール『幻の王国』ムスタンを訪ねて。 (Hidechanさんの旅行ブログ)
ムスタン旅行記2004-2005




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コメント

力作ですね!

私のブログなんぞちゃちなモノに見えてしまいます・・・。

  • 2008/06/06(金) 02:57:49 |
  • URL |
  • あら座 #EBUSheBA
  • [ 編集]

あら座さん

多分ヒマラヤの雄大な風景に助けられていますねw

  • 2008/06/06(金) 05:02:37 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

文太さん、ご無沙汰しております。

仰る通り、宗教が第一義である宗教国家にとって、押し付けの「文明化」は余計なお世話以外の何物でもありませんね。
西洋諸国のチベット支持の姿勢は、歴史を経て彼らが獲得したバチカンに対する距離感(国家と宗教、どちらが上位であったかという経緯は全く異なりますが)、「触れてはいけない」という距離感が結構影響しているのではないかと思ったりしています。

習っていないのか。それとも血を見ずには納得できないのか(時に中国には西洋以上の強烈な体験主義を感じます)。或いは仏教に大きく携わってきた自国にはチベットを総括する資格があるとでもいった傲慢か。
いずれにせよ、中華主義でしょうね。

それにしても見事な景色です。デスクトップの背景にしたくなりましたw

  • 2008/06/06(金) 13:36:19 |
  • URL |
  • ぐい呑み #-
  • [ 編集]

ぐい呑みさん

ご無沙汰と言いますか、こちらも1ヶ月ほどお休みを頂いていました。

確かに西欧がチベット問題をどう見ているかという点は彼等の宗教観とも関係している筈なので、そういう点は興味深いですね。中国はチベット仏教の「転生」にすら中国政府の許可を要求している訳で、結局のところ宗教の根幹に関わる部分を共産党の意思で決めるという、それを認めたらもはや宗教でなく共産党の一機関に過ぎないというのは、西欧の視点から見てもそう映るでしょうね。

パンチェン・ラマの誘拐が世界に与えたインパクトは大きかったのではと思います。

ムスタンにはネパール側からでなく、チベット側からの道路を中国が建設中だとかで、中国人に言わせれば「チベットに属するものは中国だ」なんだそうですが。
中国人と話したり書き込みを見たりしてもいつでも思うのが、「中華主義」というのは世界の七不思議の一つだという事です。あのロジックはどうにも理解出来ない。

このエントリーはムスタンの風景を扱いたいから書いたようなものですw

  • 2008/06/06(金) 20:51:37 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

お久しぶりです。
チベットの人々の暮らしを見ているととりわけ豊かではないにせよ
食べる分には困らずむしろ精神的な豊かさを感じられます。
人間と動物の大きな違いは何かと聞かれたら間違いなく
ココロがあるか否かだと思います。
これを見ても何も感じない特亜、とりわけチャンコロ共は
獣以下の存在でしかないと感じます。
美しいものに感動せず人としての身体を持ちながら人から逸脱した行動を取り
際限なく暴虐の限りを尽くす。
こんな光景を漏れらの子孫に味合わせたくないですし
一刻も早くチベット、東トルキスタン、はてはネパールの
人々も救いたいです。
心を持つ人間として。

  • 2008/06/08(日) 23:57:38 |
  • URL |
  • 七神 #-
  • [ 編集]

七神さん

このエントリーで書いた事の一つはむしろ、例えばムスタン王国はネパール領、シッキム王国はインド領、現在も中国とインドで揉めているアルナーチャル・プラデーシュはインドが実効支配と、チベット系や少数民族の地域がことごとく大国に編入されている現状が依然としてあり、要するに彼等が果たして独立して国としてやって行けるかどうかは精神性だけでは道のりは険しいというのが現実問題としてそこにある点は、西側世界の洗礼を受けたダライ・ラマや亡命チベット人側にとってはそれが次の課題となるでしょうね。

中国のような1世紀遅れの帝国はオスマントルコのように解体されるべきとは思いますが、まず被支配民族が自立を出来るように国際社会が支えて行く必要はあるし、今回のオリンピックでは世界中から批判が集まった事は中国の政府だけでなく国民も痛いほど味わった筈なので、経済発展に酔いしれ、国家・民族としての自信への渇望が強い彼等が国際社会の一員として孤立の道を選ばない方が賢い選択である事は認識すべき話です。

  • 2008/06/09(月) 11:24:57 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

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