![]() ミネソタ州、中央の「DONOR」の赤文字 (Life Source) [a] |
プレミア社の疑惑のニュースとは直接関係ない話だが、ABCニュースがハーゲンス氏の人体展『ボディワールド』における献体プログラムの紹介として2月26日に報じられた、米国内でのドナーの問題の記事を紹介する。
前エントリーで扱った新唐人テレビ論説委員の李天笑氏の記事では、死体を“物”として扱う事に中国では抵抗が強いという興味深い記述があるが、これは肉体にこだわらない仏教よりもむしろ儒教的価値観であり、文革期に儒教を徹底弾圧した中国であっても現在でも文化的習慣は根強いようである。
また中国では遺体の扱いが来世の運勢に影響すると信じられているという儒教とも関係のない文化的習慣があるために、中国ではなかなか献体が出ないという背景にあるという面もあるとか。
![]() ペンシルバニア州、写真下「ORGAN DONOR」の緑文字 (Pennsylvania Department of Transportation) [b] |
尤もキリスト教における宗教的奉仕の精神や、「器である肉体」に対する認識などの文化背景はともかくとして、しかし一方では現実問題として葬儀や埋葬費用を避けたいために献体を希望するというケースもあるようで、日本でも身寄りのない人の献体希望が近年増加傾向にあるという報道を少し前に見た事がある。[>>2]
以下は、中国の死体ビジネスから既に撤退し、欧米からの献体を主に扱っているプラスティネーション発明者のハーゲンス氏の人体展『ボディワールド』に献体を希望する人物に関して書いたABCニュースの記事である。
![]() プラスティネーション展示のために人体提供者は自らのポーズを選んでいる 多くの人体提供者は、自身の体が伝統的埋葬をされるよりもプラスティネーションの方がより「有用である」と言っている。 アンナ・シェクター ABCニュース 2008年2月26日
彼女は、細胞や骨がシリコン浸けになりプラスチック化する「プラスティネーション」と呼ばれる処理法での死体保存を希望しているドナーの一人であり、ハーゲンス氏のドナーリストにはおよそ8000人が登録をしている。 ハーゲンス氏は1970年代にプラスティネーション処理を発明し、これまでに献体された数百体の人体を加工し、展示会のために様々なスポーツ、楽器、チェスやポーカーのプレイのポーズを取らせている。展示会は世界の数十の都市で開催された。 その人生の大半を医学分野で働いているパヴリックさん (52) は、展示されたあかつきには「ようやく旅に出られる」と語った。彼女の27歳の娘のエレンさんは看護婦であり、展示会に飾られたいという母親の願望は彼女の性格から来るものであると語った。エレンさんは「母はいつでも自身が関わった社会に恩返しをしたいと考えている。私がプラスチック化した母を初めて見る時に非常にショックが大きいであろう事は確かだが、長い目で見ればいい事なのだと思う。母が望んでいる事なのだから」と語った。 バレーボールのポーズに加え、パヴリックさんは展示会に出される前にまず家族や友人に対してプライベートに展示して欲しいと希望している。 ハーゲンス氏は、ドナーの希望に出来るだけ沿いたいが、プラスチック化した彼等の体に将来何が起こるかを正確には約束出来ないとしている。 ドナーは、自身の体が最寄りのハーゲンス氏が運営する死体保存施設に輸送される費用を家族が持ち、未使用の部分も家族に返される事はないという条件を家族が理解しているという誓約書にサインをしなければならない。 一部のドナーはプラスティネーションを費用の高額な葬儀、埋葬や火葬を避ける方法であると考えている。ドナーの多くはそれを伝統的埋葬よりもより「実用的である」と考えている。カリフォルニア在住のリン・クラトミさん (46) は「ドナーになる事は建設的で教育的で実用的である。誰だって展示されたいと思う筈でしょう?」と語った。 クラトミさんは日系米国人で仏教を信仰している。彼女は「私の文化では、それは人生を今どう決断するかの問題」と語ったが、死後展示されるという彼女の決断を夫や息子は快く思っていない。
今月のABCニュースの『20/20』に出演したアトランタ在住のラビ・ルイス・フェルドスタインさんは「死をエンターテインメントに利用する事は、かつて生きていた人生の尊厳と神聖さを踏みにじるものである」と批判している。 現在は700人近くのアメリカ人が献体希望をしている。7000人がドナーリストにあるドイツに次いで米国は二位である。数人の米国人は既にプラスティネーション処理されているがまだ展示されてはいない。 昨年一人の米国人男性が切断した足を献体した。ハーゲンス氏の下で働くナディーン・ディウェルシ氏によれば、その足は展示される準備がほぼ整っているそうだ。 ディウェルシ氏は、一体の人体を完全にプラスティネーション処理するのは平均で1年かかるが、「(ハーゲンス氏が) 展示に出すに満足するようにポーズを取らせるには数ヶ月かかる」と語った。 [訳=岩谷] (原文:英語) (原文:英語、写真は元記事付録)
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キリスト教的な善行の精神としてアメリカ人は「社会に奉仕したい」と考える人は確かに多いのだが、一概に宗教的動機と言っても、聖書に具体的に献体が言及されている訳でもなし、考え方は人それぞれではあるようである。また、本人が希望しているからと言って家族が納得をしていないという、こういう辺りは日本とそう大差はないような面もある。
またここに出て来る日系人で、仏教徒だからその文化的背景から献体を希望しているという、「今人生をどう決断するかの問題」というのが仏教文化と言われても、それが一体何を意味するのかもいささか意味不明である。
死後の審判と現世の対比という視点において、キリスト教と仏教は対極にあるものではないのだし。
そもそも同じ仏教でも鳥葬や水葬などを行うチベット仏教辺りでは肉体には拘らない文化だとしても、日系人にそういう背景はないであろう。
関連記事:
読売新聞 2008年3月22日14時34分
大学の医学部に、献体を申し出る人が増えている。解剖実習は医師免許を得るために欠かせない課程の一つ。大学はかつて献体集めに大変な苦労をしたが、最近では希望者が多すぎて登録の制限を始めたケースもある。世の中、何が変わったのか。
「私なんて必要ないんでしょ。献体のことだって……お母さんはいつも自分ひとり」。女優の松嶋菜々子さんが、悲しそうな表情を浮かべる。昨年公開された映画「眉山(びざん)」(さだまさしさん原作)のワンシーンだ。がんに侵され、死期の迫った母は家族に相談なく、献体を決めた。娘はそれを納得できずにいるのだ。
献体は自らの体を医学の教材にと、代償を求めず提供すること。しかし遺族にとっては、死後であっても遺体にメスを入れるのは、かわいそうに思えるし、遺骨が家族に帰るまでに平均2年かかる。「娘」が戸惑うのはこうした事情からだ。
「県内を駆け回っても、なかなか必要な数が集まらず、東京の医大から分けてもらっていました」。こう振り返るのは、琉球大の担当者。本人がその気でも家族が反対したりで、なかなか確保が進まなかったという。
ところが、近年、状況は一変している。長く献体運動を進めてきた「篤志解剖全国連合会」(東京、87大学加盟)によると、20年前、10万人に満たなかった献体登録者は現在、21万6000人と倍増している。
神戸大学の献体窓口団体「のじぎく会」には現在、約5500人が登録しているが、一時は献体が必要数を上回る事態に。「解剖されないまま遺体の保管が長くなるのは、遺族を心配させる」と1997年から9年間、入会者を年50人に制限した。
このほか、千葉大など多くの大学が、年齢制限や面接といった方法で登録数の調整に踏み切った。献体の実態調査をする財団法人「日本篤志献体協会」(東京)は「相当数の大学で制限や登録の一時停止など、何らかの措置を講じた」としている。
献体運動にかかわってきた順天堂大の坂井建雄教授は、日本人の死に対する意識が変わったことが大きいと分析する。「通夜から納骨に至るまで、何日もかかる一連の儀式を見届けることで、日本人は肉親の死を受け入れてきた。でも、医学の進歩に役立つという意識を持つことで、多くの人が死に理性的に対処できるようになったのでは」と話す。
「申込者はほとんどが60代か70代。自分の死を思い描ける年齢になって、世のために何か役立てたら、と思われるようです」。こう話すのは、千葉大学の窓口団体「千葉白菊会」会長の丸山武文さん(70)。同会には年約300件もの相談が寄せられる。
中には、懇願するように頭を下げる人も。「両親や兄弟、子どももいない。だから死後の面倒を見てほしい、というのです。本来の趣旨と外れているので、お断りしたいのですが」。大学は慰霊を行い、遺骨の引き取り手がない場合、納骨もする。千葉大には戦前に作られた納骨堂があり、今でも年に数体が納められる。
5年前には、悲しい出来事があった。登録者の80代の男性がアパートで孤独死したのだ。発見が遅かったために、遺体の損傷が激しく、大学に送ることはできなかった。丸山さんは思い出すたび、やるせない気持ちになる。
社会の寂しさは、だれが治療するのだろう。
(2008年3月22日14時34分 読売新聞)
脚註:(脚註を見る)
写真:
- ^ Life Source. "Document Your Decision".
- ^ Pennsylvania Driver & Vehicle Services. "Organ Donation".
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