Red Fox

読まずにレッテル貼りをする人は出入り禁止

シナ人と呼んで何が悪い?

 

 挑発的なタイトルだが、これには理由がある。

 2月14日のエントリー「『人体の不思議展』の謎の主催者」のコメント欄に2月25日に以下のシークレットコメントを受け取った。

よく調査なされていて感服しました。
ただ、中国人のことを「シナ人」と呼ぶのはあなたのためにならないと思います。
いずれ言葉尻を取られてレッテルを貼られるかもしれませんから。
中国人に対するあなたの見方を端的に示すメルクマールとして使っているとしても、もう少し上手い方法があるはずです。
公正かつ倫理的な態度で社会問題を取り扱おうとされるのならば、それにふさわしい態度を示す方が得策だと思います。
2010/02/25(木) 03:20:28 | mone | #

 これは当ブログが一昨年夏から連載しているシリーズ「人体展と中国の人体闇市場」の最新エントリーに書き込まれたシークレットコメントだが、どうもそこでの言葉の使い方に関してクレームをつけているようだ。

 最初に「感服しました」と取って付けたように書いているがその内容の実に90%は批判とレッテル貼りと指図である。
 しかし、該エントリーでは「シナ人」という呼称は使っていないため、全くの誤認に基づいて上から目線で批判をしている完璧なフライングコメントである。
 エントリーをまともにすら読まずに一体何に対して「よく調査なされていて感服しました」なのかさっぱり訳が分らない。

 該エントリーではブログ『非理法権天』さんが『人体の不思議展』の会場を訪問して事務局に質問を行ったやり取りを引用しているが、非理法権天さんは一貫して「シナ」を用いている方である。
 他人の文章の引用をメルクマールでいちいち改変しろとでも言うのか?


 アクセス解析ではこの人物は2月10日以降に数回訪問があるだけで、当ブログで用いられている用語や中国へのスタンスを全く理解していないという事は当然ながら以前からの読者ではない。
 それだけでなく、リファラ解析によれば少なくとも『人体展と中国の人体闇市場』シリーズは全く読んだ形跡すらない。

 一体何しに来たのだ?


 シークレットコメントの守秘はあくまでも道義的問題であり、通りすがりの書き逃げ行為に対してその義務はない。
 昨年8月にもろくに読まずにレッテル貼りをした中傷書き捨てメールを公開した事がある。

写真:イオンレイクタウンの支那そばや (埼玉県越谷市) (裏の川で フライフィシング) [A]




 折角なので、「シナ」の呼称に関する当方の見解とその歴史と定義に関して改めて書いてみる事にする。


現代における「シナ」の定義と用例

 「シナ」の呼称は現在完全に死滅した訳ではなく、以下の例で用いられる事もある。

  1. 「シナ・チベット語族」(Sino-Tibetan languages) 等、「中華人民共和国」という現在の国家の枠組みの遥か以前からある文化的・民族的な枠組みを示す学術用語。ラテン語「Sinae」やギリシャ語「Σινάι」(Sinai) の音訳。

  2. 「東シナ海」(East China Sea) や「インドシナ」(Indochine) 等、地名など国際的名称に用いられている英語「China」や仏語「Chine」等の訳語として用いられている例。

  3. 「中国」とは中華思想における「世界の中心」を意味する自尊自大な意味を持つ名称であり、彼等を中国と呼ぶ事は中華秩序を認める事を意味するとし、それを嫌い西洋語の「China」等に相当する「シナ」を使うという考え。

  4. 「中国」とは辛亥革命以降の「中華民国」や「中華人民共和国」の略称であるため、清以前の呼称に用いる事や、歴史的に領土の範囲や国家の枠組みが変わり続けた地域全体に中華民国以降の国名の略称「中国」を用いるのは正しくないという考え。

 1と2はより一般的な使われ方であるのに対し、3と4はよりスタンスや定義論となるが、非理法権天さんのスタンスは恐らく3であり、当方は基本的に4である。

 4に関する理由としては、現在の国家の名称として「シナ」に現在ある国を「中国」と呼ぶのは、ビルマを「ミャンマー」と呼ぶのと同じ事であり、また現在中国人自身が自国を「中国 (ヂョングォ) ~世界の中心」 と呼んでいる一方で、彼等は日本を「日本 (リーベン) ~日いづる国」と呼んでいるのだから、自尊自大さの相互関係としてはある意味お互い様である。

 しかし、これはあくまでも現在の「中華人民共和国」と国民党時代の「中華民国」の略称であり、清以前の時代まで遡って「中国」と呼ぶのはナンセンスである。

 1937年以前の「英領ビルマ」を「英領ミャンマー」と一体誰が呼ぶのか?


「シナ」の意味

 「支那」とは本来は「秦」を表すサンスクリット語の「चीन (Cin)」が隋の時代に逆輸入され漢字に音写されたものである。[>>1]
 日本において「支那」とは常に国家の枠組みや範囲が変わり続けた東アジア大陸における特定の国家や王朝でなく、「漢民族と本来の漢民族地域」として民族と地域を指す名称として江戸時代から用いられていた呼称である。

 そして清国が終焉した明治44年以降から大正から戦前にかけて日本では普通に用いられていた「支那」がいつの間にか差別用語となり、現代に至ってはそれを用いる事がmone氏曰く「中国人に対する見方を示すメルクマール」となってしまうという現象自体が実際不可解である。

 これは近年流行りの、仕掛人による「言葉狩り」と同様の現象である。


 実際明治から戦後にかけて当時日本ではシナ大陸が地図にどのように表記されていたのかを見てみよう。


明治37年 (1904)
辛亥革命の7年前の清国の時代、義和団事件の4年後、地図には「清 (国)」と表記されている。
この地図で東シナ海が「東海」と表記されているのは、欧米で古くは南シナ海が「China Sea」で東シナ海が「East Sea」と呼ばれていた影響。
明治37年最新詳密世界全地図 (明治37年8月16日発行) (【索引】阿房列車(あほうれっしゃ)ピクトリアル) [B]
    備考:
  1. 日清戦争 (1894-95) の後であり台湾が日本領になっている。
  2. 1897年に日本の支援で大韓帝国が成立しているがこの地図上では「朝鮮」となっている。
  3. この年に日露戦争 (1904-05) が開戦している。


明治41年 (1908)
辛亥革命の3年前、「清国」と表記。
その中が「満州」「蒙古」「支那本部」「西蔵」(チベット) 「新彊」と区分され点線で範囲が示してある。
東シナ海は「支那東海」、南シナ海は「支那南海」と表記。
    備考:
  1. 「新彊」にはまた「東土耳其斯坦」(東トルキスタン) と並記。
  2. こちらの地図では大韓帝国が「韓国」と表記されている。
  3. 日露戦争後の1905年に南樺太が日本領となっている。
  4. 清国領であった沿海州は1860年にロシア領となっている。



大正11年 (1922)
辛亥革命の11年後、「中華民国 CHINA (支那)」と表記。
「東支那海」「南支那海」と表記。
日本政府は辛亥革命の2年後の1913年 (大正2年) に外交文書や国書を除いて「支那」と表記する事を閣議決定している。

    備考:
  1. 国の範囲はモンゴルやトゥバを含んだ清国時代と同じである。
  2. 1910年の韓国併合で朝鮮半島が日本領になっている。
  3. 1920-22年に存在した極東共和国が表示されている。
  4. 赤文字表記は日本と国交のある国。
  5. 1920年にグアムを除く南洋諸島が日本の委任統治となっている。



大正14年 (1925)
小さくて見えにくいが「支那」と表記。

    備考:
  1. モンゴル人民共和国はソ連の支援で1924年に中華民国から独立しているが日本の地図には表記はなし。




小学世界地図 (三省堂昭和5年8月1日発行)
(愛しき昭和~あの頃に戻りたい~) [F]
昭和5年 (1930)
満州事変の前年。済南事件の2年後。「支那」と表記。

明治37年の地図と同様に内部が赤線で区切られ、「満州」「内蒙古」「蒙古」「新彊」「青海」「西蔵」「西康」「支那本部」と区分されている。

この2年前に成立した蒋介石の南京国民党政府が「支那」の呼称に不満を示していたため、日本政府は10月27日に「中華民国」の呼称を閣議決定。この地図はそれ以前の8月の発行であり「支那」と表記されている。

    備考:
  1. 枠入り赤文字は当時の独立国。
  2. インドシナ半島は「仏領印度支那」と表記。
  3. 「新彊」(東トルキスタン)、「青海」(チベットのアムド州)、「西蔵」(チベットのウーツァン州)、「西康」(チベットのカム州)
  4. チベットのカム州であった「西康省」は中華人民共和国成立後の1950年に西半分が西蔵に併合、1955年に東半分が四川省に併合され消滅した。



昭和8年 (1933)
「支那」と表記。

    備考:
  1. 1932年の満州国の成立を受けて「満州国」が表記。



上記と同じ年だがこちらは「中華民国」と表記。
区分が「蒙古」「新彊」「西蔵」「青海」「支那本部」の赤線で区切られているが、それぞれの区分の名称の表記はなし。

アジア州政治区劃図(古~い世界地図) [H]
    備考:
  1. 内蒙古と外蒙古が一つになっており、「西康」(チベットのカム州) が支那本部に含まれている。
  2. インドシナは「仏領インド支那」でインドのみがカタカナ表記。



これも同年の地図。「中華民国」と表記。
区分は「外蒙古」「内蒙古」「新彊」「青海」「西蔵」「支那本部」

    備考:
  1. こちらは西康が「西蔵」に含まれ、外蒙古と内蒙古が分れており、同じ昭和8年でも中華民国内の区分が地図によってまちまちである。



昭和9年 (1934)
盧溝橋事件、第二次上海事変、南京陥落など支那事変開戦の3年前。
小さくて見えにくいが、「中華民国」の表記である。

昭和9年版復刻版地図帳 (帝国書院) [J]
    備考:
  1. この当時には珍しい左横書の地図。



昭和17年 (1942)
太平洋戦争・大東亜戦争開戦の翌年。「支那」と表記。

第4図 世界総図〔その三〕 (大東亜戦争以前) (古~い世界地図) [K]
    備考:
  1. 1924年にソ連の支援で独立していたモンゴル人民共和国がこの時点では、ソ連と支那の二重国境の帰属未確定地域のような形で表示されている。その南の茶線で表記されているエリアは日本の支援で1939年に内蒙古東部に成立した「蒙古聯合自治政府」
  2. こうやって地図上で見ると、当時の視点では日本とソ連が「外支那」(Outer China:支那辺境非独立地域) の権益を巡って争っている構図に見えるが、また日本の勢力地域がロシアの南下の防護壁ともなっている。



同年の詳細な地図。国名はやはり「支那」と表記 (クリックで拡大)
区分は「外蒙古」「内蒙古「新彊省」「西蔵」「青海省」「支那本部」となっている。
左上の「民族分布」には「蒙古族・トルコ族・西蔵族・漢族(支那人)」と表記。

第15図 支那 (中華民国) (古~い世界地図) a b [L]
    備考:
  1. 「外蒙古」(タンヌツワ人民共和国と蒙古人民共和国) 「内蒙古」(蒙古聯合自治政府と寧夏省) にそれぞれ区分されている。
  2. また左下の「行政区画」には内蒙古・華北・華南の海側を「親日地方及び日本占領地」、モンゴル人民共和国を「親ソ自治地方」、新彊が「ソ連勢力漸進地方」、チベットが「英国勢力漸進地方」と表記されている。
  3. トゥヴァ人民共和国 (地図上では「タンウツワ人民共和国」と表記) は1926年から1944年まで存在したソ連とモンゴルによって承認された国であるが、日本は承認していないためこの時点でも支那の一部として表記されている。



昭和25年 (1950)
戦後、日本がまだ連合国軍占領下にあった昭和25年。この前年に共産党政権の中華人民共和国が成立しているが、「チョンホワ民国」という見慣れない名前が表記されている。「チョンホワ」とは「中華」の北京語読みであり、日本の地図にはまだ「中華民国」として表記されていた。

昭和25年版復刻版地図帳 (帝国書院) [M]
    備考:
  1. 戦後には漢字全廃の動きが出るなど、当時の国語改革は欧米式に表音化を推進する風潮があった訳であるが、北京語の発音のカタカナ表記もその流れによるものだろう。




昭和25年版復刻版地図帳 (帝国書院)
(帝國朝曰新聞社 Красная Армия) [N]
またこの時点で「東支那海」が「東シナ海」とカタカナ表記になっている。

    備考:
  1. 1948年に韓国と北朝鮮が成立しているが、この地図には「ハーヌ民国」となっており北朝鮮が表記されていない。韓国語では「大韓」が「テハン」なのでこの「ハーヌ」は意味不明である。
  2. 北緯30度の大隅諸島と吐噶喇列島の間に国境が引かれている。1952年2月に吐噶喇列島が復帰、1953年12月に奄美群島が復帰。



 いかがだろうか? 明治から戦前・戦中に至るまで日本において「支那」という呼称がどのように用いられていたかが一目瞭然である。

 日本における「支那」の意味は昨今のネットでは既に広く知られるところではあるが、これは単純に漢民族の地域が「支那本部」であり、漢民族を「支那人」、清国の支配範囲だった領域を丸ごと「支那」と呼んでいた、ただそれだけの事である。
 そして満州王朝が漢民族を支配していた清国の時代にも、日本の地図では漢民族の地域に対して「支那本部」の呼称が用いられていた。

 当時の世界地図を見れば世界中植民地だらけであり、「支那」に関しても「支那本部とその勢力範囲の辺境非独立地域」という認識をされていたのである。


支那本部

 この「支那本部」(China Proper) という概念は18世紀より西洋に存在する呼称である。

英語:China Proper 本来の・固有のシナ
仏語:Chine historique 歴史的シナ
オランダ語:Historisch China 歴史的シナ
チェコ語:Vlastní Čín 伝統的シナ
ロシア語:Внутренний Китай 契丹内地
イタリア語:Cina delle 18 province シナ18省

 欧米では支那本部はまた「内シナ」(Inner China) とも呼ばれ、シナ帝国 (Chinese Empire) による被支配地域の「外シナ」(Outer China) (チベット、東トルキスタン、モンゴル、満州) と区別されていた。
 「China Proper」は、現在も民族学・地理等の学術用語として欧米で用いられている名称である (「一つの中国」を標する現在の中国は「China Proper」を認めていない)。

 明治時代の日本は国際用語として西洋の概念を積極的に輸入しており、「支那本部」は単純に「China Proper」の訳であり「支那」は「China」の訳として用いられていた

 また清国時代の明治41年の地図に既に「支那東海」「支那南海」という呼称が見られるが、これら「China Sea」(Mar da China) は古くは16世紀から欧米で呼ばれていた呼称である。



さて昔のヨーロッパの地図には「清国」「支那本部」「支那海」がどのように表記されていたか見てみよう。

1696年 (元禄9年)
17世紀末のヨーロッパで作られた地図。
明朝の滅亡から55年後、清国の時代。日本は江戸時代。
東シナ海と南シナ海がまとめてラテン語で「Mare Sinicum」(シナ海) と表記されている。
清国はラテン語で「Sina」と表記されている。

Exactissima Asia delineatio. (Voyager Antique Maps) [K]
    備考:
  1. この頃までに清朝は満州、沿海州、支那本部とモンゴルを支配下に治めているが、まだチベットや東トルキスタンまで支配は及んでいないという時期。ただし当時の情報伝搬速度を考えればアジアの情報は1969年よりもより古い明代のものと見られる。
  2. 日本は「Japonia」、北海道が「Yedso (蝦夷)」と表記。
  3. この時代の地図では詳細は不正確であるが、清国の北西に「Turchestan (トルキスタン)」、北には「Cathay (契丹)」、チベットと北インドが「Magni Mongolis Imperium (大モンゴル帝国)」と表記されている。



1899年 (明治32年)
ドイツの小学校地図帳のアジア地図。辛亥革命12年前の清国の時代。
「支那本部」に「China」、そして「Tibet (チベット)」「Mandschurei (満州)」「Mongolei (モンゴル)」「Ost-Turkestan (東トルキスタン)」が並記され、その総称 (清国) が「Chinesisches Reich」(シナ帝国) と表記されている。
この地図では東シナ海が「Ostchinesisches Meer」(東シナの海)、南シナ海が「Südchinesisches Meer」(南シナの海) と表記。

Asien, Politisch. Kleiner Schul-Atlas. (Mapsorama.com) [J]
    備考:
  1. トルキスタン (Turkestan) は国境をまたいで現在のキルギス、タジキスタン、ウズベキスタンまで広がっており、ロシア帝国内が「West- (西-)」、シナ帝国内が「Ost- (東-)」と表示。
  2. 沖縄本島と宮古島の間に国境が引かれている一方、鬱崚島が日本になっており、硫黄列島が日本領から外れている。
  3. 日本は全体が「Japan」で、北海道が「I. Jeso (蝦夷)」、本州が「Nipon」、四国が「I. Sikok」、九州が「I. Kiusiu」、日本海が「Japanisch Meer」となっている。

 明治32年のドイツ製の地図は日本製の地図と言語の違いはあれこそ全く同じ名称が用いられている。つまり、日本では基本的に西洋との統一表記を基準にしていたのである。



「支那」は英語「China」の訳語として採用されている

 日本政府は辛亥革命の2年後の1913年 (大正2年) に、「今後国号がいかに変化しようとも、日本は『支那』と呼称する」として条約や国書を除いて「支那」と呼称する旨の閣議決定を行っている[>>2]

 これは清朝以前から欧米で用いられて来た国際共通の呼称であり王朝交代に関わらず普遍の名称である「China」の訳として「支那」を採用したものであり、対外的・欧米向けには「Empire of China」(シナ帝国) の継承国家として「Republic of China」を名乗っている中華民国を「支那共和国」と訳した。つまり当時の日本の方針は漢字圏のみで通用する言葉よりも国際語を導入するというスタンスであったのである。


中華民国が国際社会に承認されていなかったため「支那」が採用された

 一方で中華民国は、1916年に袁世凱が皇帝即位宣言をして失敗し、1920年代は内乱状態となり複数の政府が存在するなど全く統一国家としての体を成していなかったため、日本側としても「中華民国」の呼称を採用するには至っていなかったという事である。

 その後1928年に蒋介石が南京国民党政府を樹立した2年後の1930年10月27日に、浜口雄幸内閣が「中華民国」の呼称を閣議決定している。[>>3]

 その閣議決定の理由として言われているのが、清国から中華民国に国号が変更された後にも幾度も政治組織の変転がありながらも「中華民国」の名称が不動であったためという事である。


「シナ」は差別用語か?


新浪網 (SINA Corporation) のロゴ

 そして閣議決定では更に、当時中華民国側が「支那」の呼称を好んでいなかったという事も言及しているが[>>4]、これは彼等が名乗っている国名と全く別な漢字が充てられている事に抵抗があったのであり、現在中国の大手ポータルサイト「新浪」(Sina.com) などの例に見られるように、「シナ」の発音そのものに彼等は全く抵抗を示してはいない。[>>6]

 しかし、これはあくまでも外交や正式呼称であって、一般的に「中国」という略称は当時の日本には全く普及しておらず、学術書を含む殆どの本で「支那」が用いられていた。
 そしてその7年後、支那事変の時代に蒋介石政権との関係が悪化するにつれて「支那事変」など公式名称に「支那」が復活しているが、これは敵国を呼ぶのに「中華」という自尊自大な名称を用いる事が嫌われたためである。


(Anseo博客)

 そして戦後になってそれが差別語となり昭和21年に外務省総務局長から主要メディアや国家機関宛に「今後は理屈を抜きにして...支那という文字を使わなければよい」という通達が出され、「支那」という言葉が消えた訳である。[>>5]


 英語と中国語のウィキや中国語の百度百科の「支那/Shina」の項目を見てみると、その両方とも「支那」は古来より存在する語であり、日本において「支那」とは元々は「China」に相当する語に過ぎず、内戦状態の中華民国が国際社会から承認されなかったため日本では「支那」の名称が定着、その後に戦争中の敵国感情においては敵意を持つ言葉として使われたと、あちらでもちゃんと説明されている。

 要するに嫌われているのは発音でなく漢字であって、外務省が使わないように通達を出したのも漢字であり、それならカタカナで「シナ」と書いても本来は問題はない筈だが、それすらも「差別」と言い出したのはむしろ日本側なのである。

 ましてや中華民国成立以前まで遡って「中国」を用いるのはどう考えても行き過ぎである。


自主規制

 戦後のどさくさで旧仮名遣いや旧漢字を廃止し新仮名に略字体漢字を導入した国語改革はGHQと関わりがあるが、一方で『蛍の光』や『われは海の子』等の戦時色のある唱歌が悉く葬られたのは何もGHQの指令に限らず、日本側が率先して自主規制をしていた例も多いという。
 日本の戦後政策の経験からイラクの戦後処理も思う通りになると豪語していたブッシュ前大統領であるがその通りにはならなかった訳である。これは逆に言えば日本人に節操がないのである。

 そして終いには当時の吉田茂首相など「シナ」と言えば失言や差別発言として国内で批判される絶好のネタとなってしまい、こういう「言葉狩り」や「自主規制」というものは当時も今も日本は全く変わっていないとつくづく思わさせられる。

 1988年9月に日産セフィーロのCMで井上陽水氏が窓から「皆さんお元気ですか?」と言うシーンが、昭和天皇の体調悪化で音声カットとなったのは当時非常に話題になった有名な自主規制の例である。




レッテル貼り

 さて話をシークレットコメントに戻そう。

よく調査なされていて感服しました。
ただ、中国人のことを「シナ人」と呼ぶのはあなたのためにならないと思います。
いずれ言葉尻を取られてレッテルを貼られるかもしれませんから。
中国人に対するあなたの見方を端的に示すメルクマールとして使っているとしても、もう少し上手い方法があるはずです。
公正かつ倫理的な態度で社会問題を取り扱おうとされるのならば、それにふさわしい態度を示す方が得策だと思います。
2010/02/25(木) 03:20:28 | mone | #

 そうではない。当ブログが河野談話・村山談話のバナーを貼っているから最初からレッテル貼りをして、たった一つのエントリーの内容すらも確認もせずにフライングコメントをしたのは先方の方である。

 言葉尻を取ってレッテル貼りをしているのは一体誰なのだ?

 何が「メルクマール」かと問うなら、上記のような膨大な説明と根拠が必要となる。それを「差別用語」と取るか「学術用語」と取るか「歴史的用語」と取るかなどそんな物は受け取る側の都合であり、受け取る側の知識と「公正かつ論理的な態度」の問題なのである。

 それが気に入らないならそれはもはや主義信条にすらならない知識不足か単なる好みの問題であり、仕掛人による言葉狩りに踊らされているに過ぎない。


 人体展のリサーチに関しては、現在は既に当ブログが日本語サイトでは一番情報量が多いサイトとなっているが、その1年半にわたる19エントリーのリサーチが一つの単語で無意味となると言うのであれば、そのような連中などこちらから願い下げであり、レッテル貼り上等である。





支那事変関連エントリー:
歴史から消された広安門事件と廊坊事件 (2007.7.11)
清瀬一郎:東京裁判冒頭陳述 (2007.7.19)
南京事件考 (2007.8.7)
東條英機元首相 公的遺書 全文 (2007.8.14)
英語・中国語版Wikipediaにおける大山事件と第二次上海事変の記述 (2007.8.18)
中国の死刑写真とBBC『南京大虐殺』の酷似 (2007.10.28)
上海事変における中国人による日本人捕虜の残虐処刑 (2007.11.4)
日本人捕虜の残虐処刑写真に関する中国人の議論 (2007.11.9)
猟奇的な大山中尉殺害事件 (2007.11.14)
通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会 (2009.3.20)
清朝時代の処刑写真を日本のものとして展示しているサイト (2009.9.26)



脚註:

  1. ^ このサンスクリット語「Cin」の起源は諸説あり、「晋」(265-420) やアフガニスタン東部のダルド族のシン人との説もあり。

  2. ^ 外務省. 外交資料Q&A:『戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。』.
    戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。

     外務省記録「各国国名及地名称呼関係雑件」のなかに、1930年(昭和5年)10月に、浜口雄幸内閣が中国の呼称を常則として「中華民国」とするとの閣議決定を行った際の記録が残されています。

     この閣議決定が行われるまで、日本政府は、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国の呼称として通例「支那」を使用していました。しかし、中国は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」という呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求めていました。たとえば、中国国民政府文書局長であった楊煕績は、1930年5月に日本と中国との間で結ばれた関税協定において、日本が条文中に「支那」という字句を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。

     こうした中国官民の感情に配慮して、外務省は1930年10月27日に中国の呼称変更を閣議に請議し、同月30日に閣議決定となりました。

    .『第二次外相時代 幣原外交終焉の時』. (外務省外交史料館特別展示,「弊原外交の時代」2006・平成18年8月―12月の展示資料16,17による)
    【中国の呼称変更】

     日本政府は当時、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国に対する呼称として通例、「支那」を使用していました。

     しかし、中国側は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」との呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求める意見が強まっていました。たとえば、1930年(昭和5年)5月、国民政府文書局長の楊煕績は、日本が関税協定の条文中に「支那」を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。

     こうした中国官民の感情に配慮して、1930年(昭和5年)10月、浜口内閣は常則として「中華民国」との呼称を用いる旨を決定しました【展示史料16、17】。

  3. ^ 国立国会図書館. 『支那国号ノ呼称ニ関スル件』.(昭和5年10月31日 閣議決定).
    支那国号の呼称に関する件
        昭和5年10月31日 閣議決定

     支那においては、清朝覆滅・共和制樹立と共に従前の国号「清国」を「中華民国」と改称し、爾来幾度か政治組織の変転ありたるも、右中華民国の国号は一定不動のまま今日に及び、我が方に於いても大正2年10月6日、在支帝国公使より共和制新政府に対する承認通告の公文中「中華民国を承認する」旨を明かにしたるが、一方政府は同年6月閣議を経て邦文公文書に用うべき同国国号に関し、条約又は国書など将来中華民国の名称を用うることを要するものは別とし、帝国政府部内並び帝国と第三国との間に於ける通常の文書には、今後総べて従来の清国に代うるに「支那」を以ってすることを決定し、前記新政府承認の官報告示文には、支那共和国を承認したる旨を記載せるか、爾後に於ける慣行は条約国書など前期閣議決定中特例を設けたるもの付いても、実際上「支那国」又は「支那共和国」の呼称を用うるを例とし来れり。

     然るに、右支那なる呼称は当初より同国側の好まざりし所にして、殊に最近同国官民のこれに対し不満を表示するもの多きを加えたる観あり。
     その理由の当否は暫く措き、我が方として右様支那側感情を無視すて、従来の用例を墨守するの必要なきのみならず、近来本邦民間の用例を見るも、中華民国の呼称を使用するもの頓に倍加しつつある状況なるに顧み、目下のところ支那政府より本件改善方に付き何ら申し出来れる次第にはあらざるも、この際我が方より進んで従来の用例を変更すること時宜に適するものと認めらる。

     就いては、今後支那国を表示するに付いては、条約国書など既に前記大正2年6月閣議を以って「中華民国」の呼称を使用すべきことを定められたるものに於いては、勿論その他国内又は第三国との間に用うる邦語公文書に於いても、一律「中華民国」の呼称を用うることを常則と致したく右閣議決定を請う。

    (読み易さの都合上、カタカナを平仮名に、仮名表記・送り仮名を現代表記に改め、句読点を追加している。原文は元サイト参考のこと)

  4. ^ 于紅. 『第二次幣原外交期における中国の国号呼称問題 : 「支那共和国」から「中華民国」へ(研究)』.Tea Pot (御茶ノ水女子大学教育・研究成果コレクション). (PDF)
    楊文書局長が国民政府記念週で日本の「支那」国号使用を批難について

     (前略) 日本が国際上の文書に於いて、今なお我が国を指して支那と称せることなり。我が方は彼を大日本帝国と称するに、彼はなぜ我が国を支部と称するや。個人間の交際に於いてすら相手方の名前を尊重するに、国際間に於いてはなおさらのことなり。
     日本は前清時代に大清国と称しながら、今や大中華民国と称せずして支那と称するは、国民政府を清国政府以下に取扱うものなり。仮に吾が人が彼を倭奴と為し国際上の文書に彼を大倭奴国と称せんか、日本は必ずこれを承知せざるべし。
     今後日本側が重ねてそのごとき無礼の字句を使用するときは、我が方はこれを返附すると共に厳しく詰責し以って国家を辱しめざることを期すべし云々。
    『日本外交文書』昭和期。第1部第4巻、1041頁。

    (読み易さの都合上、カタカナを平仮名に、仮名表記・送り仮名を現代表記に改め、句読点を追加している。原文は元サイト参考のこと)

  5. ^ Wikisourse. 『支那の呼称を避けることに関する件』.
    文合第三五七号
      昭和二十一年六月六日
    外 務 次 官(官印)
    内閣書記官長   殿
    支那の呼称を避けることに関する件

     本件に関し外務省総務局長から6月6日付で、都下の主な新聞・雜誌社長に対し念のため写しのように申し送った。右参考のため御送りする次第であるが、機会があったら御関係の向へも同様伝えを得たい。

    本信送付先 各省次官、内閣書記官長、法制局長官、統計局長、内閣審議室、各都道府県、終戦連絡地方事務局長

     中華民国の国名として「支那」という文字を使うことは、過去に於いては普通行われて居たのであるが、その後これを改められ、「中国」などの語が使われているところ、「支那」という文字は中華民国として極度に嫌うものであり。
     現に終戦後、同国代表者が公式非公式にこの字の使用をやめて貰いたいとの要求があったので、今後は理屈を抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様にしたいと考え、念のため貴意を得る次第です。

     要するに「支那」の文字を使わなければよいのですから、用辞例としては

      中華民国、中国、民国。
      中華民国人、中国人、民国人、華人。
      日華、米華、中蘇、英華

     などのいずれを用いるも差し支えなく、ただ歴史的地理的又は学術的の敍述などの場合は、必しも右に拠り得ない。例えば東支那海とか日支事変とかいうことはやむを得ぬと考えます。
     ちなみに現在の満州は満州であり満州国でないことも念のため申添えます。

      昭和二十一年六月七日
    岡 崎  外務省総務局長

    (読み易さの都合上、送り仮名を現代表記に改め、句読点を追加している。原文は元サイト参考のこと)

  6. ^ 東京新聞 (清水美和). 『【国際】「シナはべっ称でない」中国』, 2000年9月22日.;転載:はなごよみ. 『支那=CHINA』.

    【国際】「シナはべっ称でない」中国
    東京新聞ニュース 2000年9月22日:

    最大級ネットが改名拒否

     【北京21日清水美和】中国で最大規模のポータルサイト「シナ(sina)・ネット」を経営する新浪網公司は二十一日、本紙の取材に対し「シナ(支那)は中国へのべっ称」と一部の学者などから出ていた改名要求を拒否する方針を表明した。「シナは英語のチャイナを語源としており、それ自体に侮辱の意味は込められていない」というのが理由だ。

     最近、「中国青年報」など一部新聞が、中国最大のネットが「シナ」を名乗るのは国辱的だと、日本から帰国した学者などの意見を紹介する形で批判。北京大学の劉金才教授は「日本が中国への侵略を開始するにつれ中国へのべっ称として使われるようになった。シナは支那と発音が全く同じであり、もし日本で中国のことをシナと呼べば中国人とけんかになる」と名称の再考を促した。

     これに対し新浪網広報部は「シナは英語のチャイナの過去の発音。中国の英語名を変える必要がありますか。シナに侮辱の意味が込められているというなら、自身の国家を強大にすればいいだけの話。新浪網は将来、シナを世界のブランドにし、中国人が誇れる呼び名にする」と批判を一蹴(いっしゅう)。シナ・ネットにも「欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら日本人にだけシナと呼ぶのを許さないのは不公平」など同社を支持する意見が寄せられている。


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テーマ:歴史雑学 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント

文太さん、こんばんは。

読み始めた瞬間に、同じく脱力。
それにしても、こういった輩はいなくならないものですね。
言葉狩りといえば、90年代の出版業界血祭り騒ぎが記憶に新しいですが、やはり、「人道的粛清」の快感には強烈なものがあるのでしょう。
人道どころか、手前勝手な解釈を後付けして「差別だ」と騒ぐ、ただの「言葉の当たり屋」な訳ですが。

「サッポロ」と呼ぶのは私のためにならないそうです。 (勿論、「札幌」という漢字表記は論外)
いずれ言葉尻を取られてレッテルを貼られるらしいので。
北海道民に対する私の見方を端的に示すメルクマールとして使っているのだとしても、もう少し上手い方法があるそうです。

公正かつ倫理的な態度の為に、札幌の新名称、募集中。(※アイヌ語除く)

  • 2010/03/30(火) 02:01:09 |
  • URL |
  • ぐい呑み #-
  • [ 編集]

以前から拝見しています。勉強になる力のこもったエントリーをいつもありがとうございます。
私もいつも支那という言葉を使います。メディアでも同様に使用します。片仮名でシナと表記する場合も、漢字で支那と表記する場合もあります。正しい言葉を使うことが文化への寄与になると考えているからです。
政治主義から文化を守るためにも、正しい言葉を使いましょう。

  • 2010/03/30(火) 02:05:52 |
  • URL |
  • 西村幸祐 #kls4iAVU
  • [ 編集]

こんにちは。
こういう方まだまだおられるんですね。
エントリーへ感服したのなら、なんで態々支那と表記されておられるのかご理解いただきたいものですね。
想像力の欠如以前に、いや~、あの人みたいですねw

  • 2010/03/30(火) 05:18:44 |
  • URL |
  • 白獅子 #-
  • [ 編集]

勉強になりました。

  • 2010/03/30(火) 07:44:49 |
  • URL |
  • 非理法権天 #-
  • [ 編集]

中華民国

まっとうな文太さんの論調に対しておかしなイチャモンを付ける人間が判りません、内容に関らず送りつけるのか?それとも熟読するに足る時間がないのか日本語の理解力がないのか?支那がダメなら中国もダメなのではとさえ考えます中ではない大国だと。
国名では中学一年の初めての中間試験の記憶があります。
国名記入で中国と書いたら×、中共が正解であるとの指摘、中国とは現在の台湾つまり中華民国の略であると。
もちろん日教組が強い時代でした。
支那を否定する事は自国の歴史を否定する事とさえ思うのですが、他所様の事でどうでもいいのですが画一的なイチャモンの為のイチャモンでしょうね。

ぐい呑みさん

学生時代に、人の事を批判するのにいちいち「だってみんなが」と自分の意見を如何にも周りの全体の意見であるかのような演出をする同級生がいました。
それからブルログでも、ブログ主を批判したい時に限って見た事のないHNがゾロゾロ出て来て、やれ自分は読者だとか、自分は味方側だが敢えて批判するとか言いながら言いたい放題という事が時々ありましたね。

自分は客観的な第三者を装いながら自分の意見を如何にも社会常識のように主張するのは責任回避と事大主義の常套手段に過ぎず、味方の忠告を装って批判の大義名分にするのは自分が反論や批判をされたくないから予防線を張っているだけの話です。
こういう非公開にする必然性のない内容を敢えてシークレットコメントにする動機は、単に他の投稿者に反論や批判の集中攻撃を受けたくないという理由なので、こういう当たり屋に対しては公開する事自体が制裁処置になります。

確かに「サッポロ」はアイヌ語に由来していますね。
でも残念ながらアメリカで「Sapporo」というと大半の人にはビールの名前として認知されているので、札幌に対するアメリカ人の見方を端的に示すメルクマールとして、いずれ言葉尻を取られてレッテルを貼られるでしょう (笑)

  • 2010/03/31(水) 09:52:39 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

西村幸祐様

いえいえ恐縮です。こちらこそ Media Patrol Japan でご紹介頂きありがとうございました。

中華民国側が自国の呼称に「中国か民国を用いて欲しい」と要請するのはまだ理解出来ますが、問題は意図的に「差別」を作り出し誰かを「差別主義者」に祭り上げるという、事の本質よりもそれを葬り去る事がむしろ目的化している言わば踏み絵か魔女狩りの道具にされ、それが時間の経過とともに既成事実化してしまうという悪質な意図に社会が支配されている事であり、むしろこれは外交よりも日本国内の問題であると考えています。

また、文化や歴史に対する知識に基づいて個々が判断するならまだ許容出来るまでも、長年の既成事実化の結果である知識や情報の欠落による思い込みで「人道的粛正」を行うこういった輩が跋扈している現状もまた憂慮されるべき状況だと思います。

  • 2010/03/31(水) 10:22:34 |
  • URL |
  • 岩谷文太 (Red Fox) #gJtHMeAM
  • [ 編集]

白獅子さん

批判する人に限って読んでいない・内容を理解していないというのは、「善光寺コピペ」の時を初めとして相変わらずいつものパターンですね。

それから白獅子さんが管理していた某コミュニティでもそうでしたが、いろいろ指図して来る輩に限って自分では絶対に何もしないで人に文句を付けるだけの連中であり、やたらと上から目線でいろいろ注文を付けるというのも、例の方も含めてこれもいつものパターンでした (笑)
当たり屋やクレーマーや書き逃げに誠意を尽くしても尽くさなくても結局のところ結果は同じなので、最近はむしろネタとして有効利用のエコ活用をしています (笑)

そもそも一つのエントリー内に「シナ」と「中国」の両方が存在している事にすら気付いていないので、想像力以前の問題でしょう。

  • 2010/03/31(水) 10:29:47 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

非理法権天さん

こちらこそお世話になっております。
日本において「支那」が漢民族とその国家を指す名称として江戸時代より用いられている件と、中華民国が1930年に非公式に「中国または民国」の呼称を要請して来たなど「中国」が中華民国側でも固定した絶対的な呼称では実際なかった件に関しては、3年ほど前にTっS君が非理法権天さんの所に殴り込んで来た際に言及した事はありましたが、明治から戦中までの地図を集めて当時実際にどうであったかを例証するというアイデアは例の件以来計画していました。
従って、実際今回の方は飛んで火に入る夏の虫ではありましたが (笑)

歴史的にも歴代のシナ国家が日本、朝鮮半島、ベトナムに対しては漢字における統一名称を要求し、その他には秦の始皇帝の時代の名称のままでもクレームを付けないというのは、これは漢字言語圏同士の特殊な関係ではありますが、実際彼等が歴史的に一番誇っているのが唐の時代であり、そんなに唐の栄華を懐かしむなら「唐人」(モロコシ人、又はカラ人) とでも呼んであげればいいかなと思います (笑)

とう‐じん〔タウ‐〕【唐人】
1 唐土の人。中国人。からびと。
2 外国人。異国人。異人。
  例:「マドンナと云うと―の言葉で、別嬪さんの事じゃろうがなもし」〈漱石・坊っちゃん〉
3 ものの道理のわからない人をののしっていう語。
  例:「ええこの―めらあ」〈滑・膝栗毛・五〉
(大辞泉/Yahoo!辞書 http://bit.ly/aJFYhJ)

江戸文学によれば、道理の分らない人が「唐人」だそうです。中華独特の非論理性というものは今でも全く同じですね。 (笑)

  • 2010/03/31(水) 10:37:17 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

tatu99さん

ご無沙汰しております。
論調に対するイチャモンどころか読まずに批判しているのだから話になりません (笑)
単に「シナ人」の一単語に脊髄反射して書き込んだだけの話でしょう。

日本としては1972年の日中国交正常化までは中華人民共和国とはその建国以来23年間国交がなかったため、未承認の共産政権の方を日本のメディア等では「中共」と呼んでいたとの事なので、当時はそれが正解だったという事ですね。
同様に、清朝崩壊後の1913年に日本が中華民国を完全には承認し切れずに「支那」の呼称を採用し、27年後に「中華民国」に閣議決定したというのも、当時としてはごく当たり前の話でしょう。シナ全土を掌握しているとは程遠い新興政権がその後どこまで持つかなどその時点では未知数だった訳です。

そういう歴史的経緯も知ろうともせず甘っちょろいイデオロギーや偽善で画一的にイチャモンをつける事自体が仕掛人に踊らされているに過ぎない訳ですが。

  • 2010/03/31(水) 10:38:43 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

こんばんは。エントリー拝見しました。私が学校で最初に習った地図には満洲国境西側は「中華民国」とありました。しかし、実際に使った呼称はもっぱら「支那」でしたね。新聞始め、流行歌にしても、ちょっと思いつくだけでも、「支那の夜」「支那海越えて」「奥支那だより」「支那夜曲」など枚挙に暇がありません。
結局のところ、戦後の思想、又は対支外交の中で、中華意識芬々たる呼称を押しつけられ、甘受してしまったわけです。
仮に「中国」の呼称を用いるとすれば、台湾に対して使うのが妥当と考えます。
先の戦争で、米英軍によって「解放」された名ばかりの「戦勝国・支那」、その屈辱は支那人民自身が一番身にしみて
わかってることでしょう。それだけに日本に対する「逆恨み」はなかなか消えないでしょうね。外交の要諦は対等外交のはずですが、戦後の対支外交はそれを見失っております。

  • 2010/04/22(木) 22:00:51 |
  • URL |
  • あきら #-
  • [ 編集]

あきらさん

今回の調査で見る限りでは、正式名称が「中華民国」で通称「支那」という時期は、日本の歴史で昭和5年から12年までの7年間のみですが、あきらさんは丁度その時期ですね。

ご紹介頂いた曲のタイトルにも差別的なニュアンスのかけらもない事からも、当時は「支那」が普通に用いられていた事が伝わって来ます。
それが敗戦のどさくさで禁止されたという納得出来ないという思いは、特にリアルタイム世代にとっては強いのではないかと想像します。

相手国の要望、外交上や既成事実に従う等の理由で呼称を変更したという例は、セイロン→スリランカ等など実際数多くあるので、対等外交・相互主義に本来は何の問題もない筈なのですが、「支那禁止令」の場合は他でもなく、日本の敗戦に便乗した言葉狩りであり、それに踊らされている今回のような人物がまるで自らを正義とモラルの番人のように振る舞う滑稽さですね。

大正2年の時点では、日本側において「支那」を決定した理由の一つとして、シナ大陸の統治を掌握したとはとても言える状態ではない新興国が漢字圏の日本向けにのみ「中華」を名乗るなどおこがましいという、そういう論調はあったようですが、その後になって満州事変の前年という時期に「中華」の呼称を受け入れているという辺りは、時期的に非常に意味深です。

実際に彼等の話を聞いていると、アヘン戦争に遡る欧米列強による清国への進出から彼等の屈辱の時代だとは認識しているようですが、日本との対立関係において戦勝国にはなったものの、結局のところはそういう歴史から国民党時代への憎悪ともなっていて、それが現在の共産党体勢への正当化にも繋がり北京五輪聖火の時の意固地なまでのナショナリズムに走った訳ですが、列強に翻弄された国の逆恨みとはなかなか難しいですね。

  • 2010/04/24(土) 09:54:30 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

支那の用例

『宋史』天竺表

太平興國七年,益州僧光遠至自天竺,以其王沒徙曩表來上。上令天竺僧施護譯云:「近聞支那國内有大明王,至聖至明,威力自在。毎■薄幸,朝謁無由,遙望支那起居聖躬萬福。光遠來,蒙賜金剛吉祥無畏坐釋迦聖像袈裟一事,已披掛供養。伏願支那皇帝福慧圓滿,壽命延長,常為引導一切有情生死海中,渡諸沈溺。今以釋迦舍利附光遠上進。」又譯其國僧統表,詞意亦與沒徙曩同。

上は、日本人以外が「支那」を使用した例です。時代は宋代、使用したのは、天竺の王「沒徙曩」の言葉を翻訳した天竺僧の「施護」の様です。

  • 2010/04/26(月) 19:35:21 |
  • URL |
  • 少年グザイ #klq26XPE
  • [ 編集]

蒋介石の主張

蒋介石は対日戦の最中の対日言論集のなかで「彼ら(日本人)は中国を支那と呼んでゐる。この支那とはどういふ意味であらうか。これは死にかかつた人間の意である」(Wikiより)と発言したさうです。戦後に、この発言を論拠にしてシナといふ語音そのものを非難される向きもあるやに聞いてをります。

蒋介石の主張するやうな解釈は、我々日本人にしてみれば、「思ひもよらぬ」ものですが、蒋介石がさうした解釈に心づいた理由は、手に取るやうにわかります。すなはち動詞「死ぬ」の未然形語幹「死な」との故事つけです。駄洒落としてもあまりにも無理やりなもので、日本人としては、思ひつく方が難しいくらゐのものですが、日本語を勉強した外国人が、その文法学習の課程で思ひついた駄洒落としては、マアあるのかもしれない、その程度の強引な故事つけです。

要するにこれは、「因縁をつける」と大差ない、日本人に対するぬれぎぬであると申せませう。

  • 2010/04/27(火) 12:17:54 |
  • URL |
  • 少年グザイ #klq26XPE
  • [ 編集]

少年グザイさん

ウィキの記述は知っていましたが、それが日本語の駄洒落として解釈しているとは知りませんでした。
そういえば蒋介石は清朝末期の1907年から1911年に辛亥革命に参加するまでは日本に留学していたので、その程度の日本語は知っていてもおかしくはないし、当時の日本で「支那」がどのように用いられていたかも知っていた筈です。

一方、「支那」の呼称自体が大陸では清朝期にも漢民族を表す言葉として認識され、中華民国初期に至るまで廃れてはいなかったようですが、1887年生まれの蒋介石がそれを知らなかったという事はないでしょう。

確かに、シナの歴史上においても最初に「支那」に不快感を表したのは恐らく蒋介石国民政府であり、その蒋介石は日本への徹底抗戦を是としていた人物なので、これは紛れも無く言い掛かりですね。

しかし更にタチが悪いのは、そういった「外圧」を国内批判に利用する連中で、まるでモラルの番人を気取りながら言葉狩りを行うこういう気持ちの悪い日本人です。

ちなみに日本留学中の蒋介石の保証人は松井石根だったんですね。これもなかなか意味深です。

  • 2010/04/28(水) 15:22:19 |
  • URL |
  • 文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

こんにちわ。

そのコメントされた人がよく読まずにコメントで批判してきたという姿勢は同意できませんね、でも単に今ネットでネトウヨ系(というと「ネトウヨを定義せよ」とか言われそうですが!)がほぼ全員「シナ人」という言葉を使っているので、それを知っててあえて「シナ」をネットで使えば、同じ路線論調かと思われただけなのではないでしょうか、よくわかりませんが。

英語の「Nigger」も似たような意味で差別化とうか論争にでてきますが、基本、その使用理由は相手(ここでは黒人または差別主義に反対な人)に感情的に嫌な思いをさせる目的ですからね。

でもシナと呼ばれて中国人が嫌な思いするかっていうと、それはしないかと思います。あくまでもそれは「日本において」”感じが悪い”言い方なだけであって。



  • 2013/01/05(土) 14:10:26 |
  • URL |
  • ChristalHarris #-
  • [ 編集]

ChristalHarrisさん

エントリー「『人体の不思議展』の謎の主催者」において私は「シナ人」は使っておりません。引用文中に「シナ人」があったのが私の発言として批判されました。
引用文を主義主張で変更するのはルール違反のためそのまま採用するのは常識である旨、そして「シナ」がどうして差別語になったかの歴史的経緯、および現在の中国において「sina」がどのように用いられているかも本エントリーで説明していますが、このエントリーはお読みになりましたか?

この関連エントリーに頓珍漢なコメントをする痛い人が来るのは初めてではないので(前例は荒らし化したため全て削除)アクセスを調べさせて頂きましたが:
13:26 「シーシェパードの捕鯨妨害に関するLAタイムズの読者コメント」へのアクセス
13:48 トップページへのアクセス
13:51 「『君が代』の話」へのアクセス
13:52 カテゴリー「震災・原発」へのアクセス
13:53 カテゴリー「中国」へのアクセス
13:55 このエントリーへのアクセス
13:58 「『人体の不思議展』の謎の主催者」へのアクセス
14:10 コメント書き込み

読まずにコメントする人には同意出来ないとの事ですが、この長さのコメントを書く時間を差し引けば読む時間は余り残っていないようですが?( ^ω^)

  • 2013/01/06(日) 00:48:44 |
  • URL |
  • 岩谷文太 #gJtHMeAM
  • [ 編集]

「シナ」はやめたほうがいいな。
支那だ。シナツヒコという日本の神がいるから誤解を避けるために支那にしたほうが良い。

  • 2013/09/21(土) 23:08:24 |
  • URL |
  • 名無しさん@ニュース2ch #a2H6GHBU
  • [ 編集]

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