
「オペレーション・トモダチ」(トモダチ作戦) で仙台空港の復旧作業に携わった米軍特殊部隊の指揮官が、空港近くの浜辺に木材で「ARIGATO」と書かれた地上文字を機上から発見したというニュースが16日に各メディアに報じられ話題になっていた。
報道によれば、米空軍第353特殊作戦群のロバート・トス大佐は4月15日に、嘉手納基地でワシントンDCの報道陣との電話会見において、仙台での任務終了間際の4月3日頃に最後に仙台空港に着陸した時にその着陸間際に浜辺に書かれた「ARIGATO」の文字に気付き[>>1]、「苦しくても感謝の気持ちを忘れない日本人の心に感動した」と語っている。[>>2]
地震発生当時、韓国で演習中だった大佐は急遽特殊部隊を率いて横田基地に戻り、3月16日朝より空港の復旧作業に加わった。[>>3]
当初は瓦礫に埋まって浸水し早期復旧が困難と見られていた仙台空港を「救援物資の輸送拠点として最優先で復旧すべき」と判断し[>>4]、16日に管制機能と滑走路の一部を仮復旧、20日には滑走路を全復旧させ救援物資の輸送ルートを確保し、4月1日には管制業務を日本側に引き継ぎ、6日には米軍の任務が終了、そして13日には旅客便が再開という、この規模の災害では異例の超スピードでの空港再開となった。
この映画かドラマの感動的ラストシーンのようなニュースが日本で報じられたのが4月16日だが、その9日前の4月7日にトス大佐は横田基地のウェブサイトに、仙台空港復旧支援に関するコメンタリー (実況解説) を寄稿していて、砂浜の「ARIGATO」を発見した事にも触れている。[>>5]

4月3日に仙台空港の第27滑走路から1/2マイルの砂の上に、大きな松の木で出来た日本語の「thank you」の文字が発見された。同空港は3月11日の地震と津波の被害を受けたが、嘉手納基地の第353特殊作戦群の支援で3月16日に仮復旧し、人道支援のハブとなった。 (Photo courtesy of Col. Rob Toth)
米軍が仙台空港再開を支援
Posted 2011年4月7日 Updated 4月8日
横田空軍基地
ロバート・P・トス大佐
統合軍特殊部隊
【横田基地 4月7日】3月11日の9.0の地震とそれに続く33フィート [10m] の津波が残した大量虐殺は言葉で言い表す事は出来ない。日本の本州の300マイル [480km] 以上の東海岸が破壊された。
当初の最も生々しい映像には仙台空港とその近隣の名取市と仙台市もあった。津波の直撃を受けた仙台空港とその周辺の市街地のビデオ映像を見るショッキングさと同様に、私達が仙台空港に到着した3月16日に最初に目にした光景に対してどのような心の準備も出来るものではなかった。
数千の大破した車両、捩じれた航空機、根こそぎ倒れた木、全壊した家屋、そして水や砂や魚や貝殻で覆われた使用不可能な空港の映像はビデオと私達の記憶に刻まれた。
しかしながらそれとは対照的に、本日の仙台空港の写真は希望と復興の一つである。
私達のビジョンは最初から、被災エリアの奥まで人道的援助の配送を可能にするための仙台空港再開を日本側と協力して促進する事だった。3月16日に仙台空港の主要滑走路に最初の固定翼機を着陸させ、私達はそのビジョンを達成した。
最初にMC-130が着陸してから4日後に、日米チームは滑走路全体をきれいにしてC-17の着陸を可能にした。私達が力を合わせてハブを築き、最も被害の大きい被災地に援助物資が流入し始めた。
仙台空港の再開が希望のシンボルとして宮城県の人々を奮い立たせる事になろうとは私はその時は考えてすらもいなかった。私達が到着する以前には、日本の国土交通省、航空局や仙台空港関係者は、仙台空港の再開は無理かもしれないとも考えていたようだ。[>>6]
仙台空港を津波以前の状態に復旧するプロセスは、日本の政府と自衛隊、米国の空軍、海兵隊、陸軍、海軍や政府機関の二国間の大きな連繋を必要とするものだった。二国間協力委員会が設立され、まず日本側の作業員が復旧作業を行なっている間、救援物資を配送するために空軍特殊部隊員が暫定的に全ての空港オペレーションを行なう計画を立てた。
3月20日に陸軍と海軍の部隊が到着し、彼等は迅速にこのプロセスに加わった。援軍の増強によって二国間協力委員会は主要目標達成に基づいて日本側に空港オペレーションを戻す計画を立てた。
米空軍CCTが仙台空港の日本側の旅客管制官に管制業務を引き継いだ4月1日に、私達はその目標の一つに到達した。その日に私が仙台空港に着陸した時、仙台の管制塔から私達を誘導する日本の管制官の堂々とした声を聞いた時に私は嬉しさでぞくぞくした。
その短い21日間で米空軍のCCT達は仙台空港において、トモダチ作戦に参加した空軍、海軍、陸軍、そしてオーストラリア空軍の250機以上の航空機を管制した。これらの航空機は231万ポンド [1041トン] 以上の人道的援助物資と、人道的船舶と復旧車両の燃料として1万5000ギャロン [5万6775リットル] 以上の軽油とガソリンを輸送した。
米軍が空港オペレーションと支援物資輸送を24時間体制で行う中、空港の日本側作業チームは空港をクリーンアップしインフラ修復を行なうために重機を使って猛烈に作業をした。
4月3日に私が仙台空港に最後に進入した時、わずか19日前には完全に壊滅していた同じ空港を見ているとは信じられなかった。
滑走路への最終アプローチで見たものは更に信じられないものだった。滑走路27への最後の1/2マイル [800m] にある砂浜を通過した際に見下ろすと、津波で倒された20-30フィート [6-9m] の松の木を用いて作られた日本語の「ARIGATO」(Thank you) に気が付いた。
本州の現地における私達の努力は、日本の人々によって進められた努力と比べれば霞んでしまうものであり、私達が去る時も彼等の苦闘は続けられるだろう。生きるための苦闘と不明者の捜索のまっただ中で、彼等は驚くべき努力を進めて来た。
4月5日に陸上自衛隊東北方面隊総監の君塚栄治陸将の立ち会いで、米軍から空港側に空港運営の最終引き継ぎが行なわれた。4月6日には仙台空港が再開し、3月11日の朝の状態に空港は戻った --- 完全に日本の人々によって運営されていた状態に。
仙台空港でのトモダチ作戦に参加した全ての米軍は日本の本州[>>7]と沖縄に駐留している。私達のホストで友人で隣人である日本の人々を支援する事は私達の名誉であったと私が言う事は、全ての支援部隊を代弁する事が出来ると思う。
米空軍第353特殊作戦群、米海兵隊富士任務部隊、海兵隊第35兵站連隊、そして陸軍第35兵站任務部隊の皆へ:仙台空港再開と日本の人々の希望の回復を手助けするための皆のハードワークに感謝する。
聖アウグスティヌスはかつて「私達がするべき事をやり、それらが正しい事であれば、私達が賞賛に値する事はない」と言った。
日本の皆さん、礼には及ばない。
英語原文:Toth, Col. Robert P. "COMMENTARY - "Thank You" is not necessary; U.S. forces honored to help reopen Sendai", Yokota Air Base, Posted 4/7/2011 Updated 4/8/2011.
地上文字の作者は4月3日にミクシィで詳細を書いていた
3月16日朝、被災後初めて仙台空港に着陸するMC-130H『コンバットタロンII』 (Photo By SSgt. Samuel Morse/US Air Force)[>>8]
この地上文字の作者は制作時にリアルタイムでmixi日記で事の経緯を書いていて当初からmixi内では地味に評判になっていたのだが、それが4月16日の大手メディアの報道以降に大量のブログに転載されたためにネットで大評判になっている。[>>9]
この作者のチコ氏 (mixiネーム) は仙台空港のある宮城県名取市出身の元自衛官で、東京で震災に遭ってから交通機関の混乱の中3月14日に実家に辿り着いている。[>>10]
そしてその2週間後の4月1日に、特殊部隊や特殊作戦輸送機を投入してわずか震災5日後に仙台空港を仮復旧させた米軍の本気度に感銘を受けた彼が、「ありがとう作戦」と銘打って米軍へのお礼の手紙と被災前の名取市沿岸や仙台空港の写真を持って空港に駐留していた米海兵隊の臨時キャンプを訪問したところフレンドリーにもてなされたため、その帰りがけに空港に着陸する航空機から見える位置に「ARIGATO」の地上文字を作ったというエピソードが4月3日のmixi日記に書かれている。
そして米空軍のトス大佐が地上文字を発見した事を10日に知った彼は、砂まみれの素手の作業で手から出血しながら4-5時間かけて地上文字を作ったという「ARIGATO」制作時のエピソードの日記を4月11日に書いている。
ネット上の多くのサイトに転載されているのは主にこの二つの日記だが、このエントリーでは関連mixi日記にトス大佐のコメンタリーと記者会見の翻訳を加え、片や米軍大佐で片や一人の地元民というこの地上文字の日米の当事者の双方の生の言葉をそのまま紹介する。
- コメンタリー:「礼には及ばぬ」 米軍が仙台空港再開を支援 ---- ロバート・トス空軍大佐 (4月7日) (日本語訳)
- 何が「トモダチ作戦」だよ、まったく…。 ---- チコ@ありがとう作戦 (3月28日)
- Operation Arigato!! ---- チコ@ありがとう作戦 (4月3日)
- ありがとう ---- チコ@ありがとう作戦 (4月4日)
- Operation Arigato!!外伝 ---- チコ@ありがとう作戦 (4月11日)
- 空の上にも届いた ---- チコ@ありがとう作戦 (4月11日)
- RTB ---- チコ@ありがとう作戦 (4月15日)
- ごあいさつ的なもの ---- チコ@ありがとう作戦 (4月17日)
- 記者会見「仙台空港の再開」 ---- ロバート・トス空軍大佐 (4月15日) (日本語訳)
米軍の本気度への感銘が最初の動機
3月15日、仙台空港のゆがんだフェンスと積み重なっている乗用車。チコ氏撮影。 (チコ@ありがとう作戦)[>>11]
トス大佐のコメンタリーに書かれていた通り、3月16日朝にトス大佐の率いる米空軍特殊部隊の第353特殊作戦群が戦闘管制員(CCT)を動員した戦場さながらの作戦で仙台空港を仮復旧させ、短距離離着陸が可能な特殊輸送機MC-130の離着陸が始まっていた。[>>8]
そして3月20日には滑走路が全面復旧した事でC-17大型輸送機の離着陸が始まり、被災地への支援物資の大量輸送が可能となった。[>>13]
以下はありがとう作戦4日前の3月28日の日記。3月末のこの時期は空港の整備がほぼ完了しつつあったが、行方不明者の捜索活動や救援物資の輸送などで米空軍や海兵隊のヘリが頻繁に飛んでいた頃である。
2011年03月28日19:22それをこいつら、たった一日で復活させやがってよ、アザラシみてえなでっかい輸送機で次々と支援物資運んできやがってんの。てめえらサンダーバードかアホ。15日にショックで泣いたのがバカみたいじゃねえか。オイラの涙返せってんだ。
今日も朝っぱらからブンブンうるせえなと思ったら、市内へ買い出しに向かってたオイラの目の前を、米軍のすっげえごっついブラックホークヘリがアホみたいな低空飛行で飛んできやがったんだ。
しかもさ、見上げてるオイラに気づいたあんちゃんの一人が「ヘーイ!!」って手を振りやがったんだぜ。
なにが「ヘーイ!!」だバーカ。思わず手を振り返して「ありがとよおー!!頼んだぜえええ!!」って全力で叫んじまったじゃねえかよ。こんな大声出すの久しぶりだボケ!!
米軍だけじゃない。世界中から次から次へと、オイラの宮城、大好きな東北までわざわざ支援にきやがって…。
世界中の「ありがとう」を覚えなきゃならないオイラの身にもなってみろってんだ!!
「オペレーション・アリガトウ」のエピソード
この時期は海外各国からの被災者への義援金が寄せられたニュースが連日報じられており、特にアフガニスタンのような貧困国からも義援金があった事や、この時被災地生活をいろいろ目撃していたチコ氏は、何不自由ない暮らしの時には気付かなかったありがたみを感じたと30日の日記で書いているが[>>14]、そういった諸々の事が「ありがとう作戦」の動機となったようである。
そして「被災地の一市民からの米軍宛の感謝の手紙」に被災前の名取市沿岸部の風景の写真のフォトアルバムを添えて、仙台空港正面の駐車場に設置されていた米海兵隊の仮設キャンプに単身乗り込んでいる。
2011年04月03日13:44そっちがトモダチならこっちは「ありがとう作戦」だ!!
あれこれ考えた末、UPしている震災前の名取の写真をまとめたフォトブックを見てもらおう、せっかく遠くから来てくれた彼らに、せめて写真でもいいから本来の姿を見てもらいたいと考えて、お手紙も一緒に仙台空港まで渡しに行くことにしました。
とはいえ、オイラの英語力は中学、高校と壊滅的に悪かったせいで、一昼夜でどうにかできるレベルでもなく…失礼なのを承知しつつ、イイネ!やコメントを残してくれた方のプロフィールを拝見し、英語が出来る方の何名かに、下記の文章を英訳していただけないかとお願いしたのでした。
「トモダチ作戦」に参加されている合衆国軍全将兵の皆様。
名取市に暮らすものとして、合衆国軍の皆様にどうしてもお伝えしたいことがあり、筆をとりました。
私は、現在では一市民でしかありませんが、かつては日本の陸上自衛隊に所属していました。それゆえ、皆様が過酷な訓練を乗り越えた優秀な軍人であり、そしていま現在どれほど辛く、危険な任務に従事されているか、わが身のことのように理解しているつもりです。日々私たちのために、本当にありがとうございます。いくら感謝の言葉を書き綴っても、とても足りないほどです。
宮城は、かつて伊達政宗という武将が統治していました。
仙台空港の目の前を流れる運河「貞山堀」も彼が建設したものですし、また彼の鎧兜のデザインは、あのスターウォーズのダースベイダーのモデルにもなっています。
日本にはその彼の人柄にちなんだ「伊達」「伊達男」という言葉があります。皆様の言葉で言う「cool guy」のような意味です。
あの惨状の仙台空港に命がけで強行着陸し、僅か一日で復旧させ、多くの支援物資を運び、嫌な顔一つせず、私たちの支援を続けてくださっている皆様にふさわしい言葉だと感じています。
同封した写真は、仙台空港周辺の砂浜を、今年の1月に撮影したものです。
せっかく遠くからお越しいただいたのに、皆様には現在の惨状しか目にしていただけないのはとても悲しく感じ、せめて写真でもいい、是非本来の姿を見ていただきたいとの思いから、この手紙を書きました。
震災当初こそ、あまりの惨状に絶望し、思わず涙を流してしまいましたが、皆様のおかげで、この美しい本来の姿もすぐ取り戻せると、大きな希望を持つことができました。本当にありがとうございます。
「トモダチ作戦」に従事されている合衆国軍全将兵の皆様に、心より感謝と敬意を表して。
いきなりのお願いなんで「なんだこいつ」と無視されてもしょうがないにもかかわらず、皆さん全員から丁寧にお返事していただきました。
残念ながらお忙しかったり、被災して大変な思いをされていたりしていたのですが、そんな中、一人の方が快く英訳してくださったのです。
早速、完成したフォトブックと一緒に、1日に手紙を手に仙台空港へ向かいました。
空港のそばまで行くと、ちょうど米軍のC-130輸送機2機が着陸しようとしているところでした。
普通、飛行機が着陸するときは1機がまるまる滑走路を使うものですが、彼らは先頭の1機が滑走路の真ん中から前を、後続の1機が後端から真ん中までを…っという、滑走路を半分づつ使う妙技で着陸。

すっげえ…。
そしてmixiでは公言してなかったけど、飛行機オタクなオイラは気がついた。
これはただのC-130輸送機じゃない。普通は垂直尾翼に所属基地を表すテイルコードってのが大きく書かれてるもんだけど、それもない。国籍やUSAFのマークすら、敢て小さく、薄く、分かりにくく描いてる。
翼の空中給油用タンク、機首のセンサー、突き出たアンテナ。これは…MC-130P「コンバットシャドウ」じゃないか!!現物は初めて見たぜ!!
「コンバットシャドウ」は、ちょっとカワイイ外見とは裏腹に、アメリカ空軍の空の特殊部隊「空軍特殊作戦飛行隊」に所属する機体で、敵地で撃墜されたパイロットを救出したり、特殊部隊を潜入させたり、ヘリコプター部隊を支援したり、そして、瓦礫の山と化した空港にさえ涼しい顔で着陸し、一日で復旧させて支援物資を輸送するような、凄まじい任務を遂行するために作られた特別な飛行機。
アメリカは本気なんだと実感。そんじょそこらの輸送機とはわけが違う、機体も中の人もスペシャルな特殊作戦機を堂々と投入してるんだもの…。
そのままさらに歩いて仙台空港ターミナルへ。
ようやく到着した空港前の駐車場に広がっていたのは…。
あ…ありのまま今起こったことを話すぜ!
『瓦礫の山だった空港が、米軍基地になっていた』
な…何を言ってるかわからねーと思うが、
俺も何が起きたのかわからねえ…
頭がどうにかなりそうだった…
緊急展開とか支援だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を見たぜ…
とはいえ、フェンスも仕切りもなく外から丸見えだったので、中の様子をうかがってみた。うろついてる兵隊は空軍のタイガー迷彩や陸軍のACU迷彩も混じってたけど、圧倒的に多いのはマーパット迷彩。
つまり「黙らん泣く子はぶち殺す」合衆国海兵隊の皆さんじゃないですか…。
あまり知られていませんが、アメリカ軍は全部で5軍に分かれています。
陸軍と海軍と空軍、そして海兵隊と沿岸警備隊です。
海兵隊は独自の艦船と航空兵力、強力な歩兵を保有し、どこかで何かがあった時真っ先に乗り込んで橋頭保を確保する、上陸作戦や強襲作戦を専門とする部隊で、陸海空全ての面での作戦能力を単独で持ってるわけです。
また、海兵隊は他の軍隊と違って「アメリカ本土の防衛」は任務のうちに入っていません。外征専門の殴りこみ軍隊なわけです。従ってそらもう鬼のように強いわけです、ええ。
ちなみに沿岸警備隊は任務の内容や法執行権を持つ関係上、日本の海上保安庁と混同されがちですが、海上保安庁があくまで海の上の警察組織であるのに対して、沿岸警備隊は軍隊として認識されていますし、有事の際には海軍の指揮下で戦うことが明確に規定されています。余談の余談でした。
さてさて、そんな海兵隊ですから、オイラの中ではなまはげ以上、彼女さんの次に怖い存在なのです。とは言え、「ハロー」と呼びかけてみても車両のエンジン音やらなにやらのせいで誰も反応してくれず…仕方ないので恐る恐る中に入る。
でもって、どういうわけかやたらと強そうに見えるブルドーザーの周りにいた海兵さんたちに、ビビりながら声をかけてみた。「え、えくすきゅーずみー…」
(´・ω・)(´・ω・)(´・ω・)(´・ω・)ナンジャイ?
と全員の視線が突き刺さる。う…こえぇぇ。なんかみんなガムくちゃくちゃしてるし。そして素晴らしいガタイだし。
なんかね、身体の作りが根本から違う。日本人がいくら鍛えても絶対ああはなれない、そんな感じ。K-1に出てても全然違和感ない。むしろこいつら、本当はサイバーダイン社製のターミネーターなんじゃないかと。実は目が赤く光るんじゃないかと。うう…ちびりそうだ。
けど「マジギレした彼女さんの方がもっと恐ろしいじゃないか」と自分に言い聞かせ、頑張って手紙とフォトブックを渡し、とにかく読んでくれとたどたどしい英語とボディランゲージで伝える。早速読み始める海兵さんたち。
( ´・ω)(´・ω・)(・ω・`)(ω・` )ワオ…ビューティフォー…ナイス…ダテマサムネ…ダースベイダー?…リアリィ?…ダテオトコ…なんて言葉が辛うじて聞きとれる。
「どうもありがとうございます」
手紙を読み終わった、大尉の階級章をつけた海兵さんから、スーパー流暢な日本語と丁寧なお辞儀が返ってきました。「アリガトゴザイマース」とか「サンキューデース」とかそんなんじゃない。
もう普通に日本語。会話の端々に嫌でも方言が混じるオイラより遥かに美しい日本語。
ビンゴ!!日本語でコミュニケーションの取れる相手にいきなりぶちあたった!!
改めてオイラの想いや写真を撮った場所、そして手紙は心優しい方が協力して書いてくれたんだといったことを説明。
それを大尉さんがささっと英語でみんなに説明してくれました。ちょっとでも意思疎通が出来ると、さっきまでのコワさはどこへやら。俄然人懐っこく感じるから不思議です(笑)
事情を理解した他の海兵たちが次々と手を差し出してくる。
「サンキュー!!アリガトウ!!」
「サンキュー!!」
「アイム、ダテオトコ??」
「ユーダテオトコ!!」
「サンキュー、トモダチ!!」
いぇぇええええええええええええい!!
ってな感じで全員と固い握手。すっかりフレンドリーに♪
「…ところで」と大尉さん。「私達の司令官には会いましたか?」
「いえ…皆さんが最初にお話した相手です」
「私達の司令官はコゼニスキー大佐です。あちらにいるのでご案内します」
いやいやいやいや!!!!
平民ごときのそれがしが他国の将にお目通りなど滅相もございませぬ!!!!
うろたえまくるオイラの気持ちなんぞこれっぽっちも察することなく、「こちらです」とにこやかに案内してくれる大尉さん。仕方ないのでそのまま、見ただけで指揮所用だとわかる天幕の前に案内される。
「ちょっとお待ち下さい」と入り口のとこで待たされる。中で「ブラックホークダウン」のサム・シェパードみたいな、やっぱりガム噛んでるいかつい紳士となにやら話してる大尉さん。どうやら彼が大佐らしい。フォトブックと手紙にも目を通している。
(´・ω・)(・ω・`)ゴニョゴニョ…。
(`・ω・´)カモン!!
「どうぞ」と、大尉さんにも促され中へ。思わず自衛隊時代のノリで「入ります!!」っと大声で言ってました(笑)
「こちらが私達の司令官、コゼニスキー大佐です」
(`・ω・´)「コゼニスキー大佐デス。コノ度ハ、アリガトウゴザイマス」
大尉さんほど流暢ではないものの、それでも日本語で言い、丁寧に頭を下げてくれました。よく「アメリカにはお辞儀の文化がないから、彼らのお辞儀はとてもぎこちない」なんていいますが、大佐は日本の文化をちゃんと理解しているらしく、とても自然な所作でした。書き忘れていましたが、大尉さんもそうです。
改めて事情をお話し、大佐の「あなたが撮ったの?」「ここはどこの写真?」「ご家族や家は大丈夫だったかい?」といった質問を、大尉さんに通訳してもらいながらお話ししました。
「海兵隊にいて長いが、こんなに嬉しいことはなかったよ」と言われた時は思わず(´;ω;`)ブワってなった(笑)
大佐は最後に「ツマラナイモノデスガ…」っと、所属部隊のロゴが入った記念コインをオイラにくれました。
すげえ…一生の宝物が出来ちまった!!
バッグの中にカメラがあったので、本当は「記念写真をお願いします」と言おうかとも思ったけど、やっぱりやめた。支援とはいえ、彼らはいま作戦行動中なんだ。写真を撮られていい気分なはずがないし、元自衛官だからこそ「兵隊は自分たちの宿営地にいるところを撮られるのは嫌」って習性もわかってたので、敢て言いませんでした。
一部隊の指揮官が、お忙しい中オイラなんかの相手をしてくれただけでもありがたいし、それに、おじいちゃんになってからも孫に繰り返し語るであろうほど、バッチリ記憶に残ったからなんの問題もない。
もう一度皆さんと堅く握手をして、その場をおいとましました。
そしたら、帰り道を歩くオイラを、大尉さんが追いかけてきたのです。
「これ、私のメールアドレスです。もしよかったら連絡下さい」と、お名前とアドレスの書いたメモを渡してくれました。「写真とあなたの優しさに感激しました。ありがとうございます。頑張ってください♪」
なんてこった!!
オイラに合衆国海兵隊大尉のお友達が出来たぜ!!
じゃあ、っと大尉さんは忙しく任務に戻って行きました。
ホントはそのまま帰るつもりだったけど、ふと思いついたので、コインと大尉さんのメモを握りしめて、砂浜に向かいました。震災前からお気に入りだった、仙台空港へアプローチする飛行機が目の前で見えるポイントへ移動する。
しばらく待ってると、水平線の向こうからまたしても「コンバットシャドウ」2機がやってきて、手の届きそうなところを飛んで行って着陸したので間違いないと確信。

「よっしゃ!!ここだな!!」っとわかったので、そこらじゅうに落ちてる木片を使って、空から見えるようにでっかく「ARIGATO」と書いときました(笑)
いびつだし、下手くそだからわかってくれるかはわからないけど、まあ、いい自己満足にはなったよ(笑)
いまは大尉さんへのメールを、辞書とテキスト片手に頑張って書いています。あんだけ流暢だったんで、日本語で書いても余裕でわかると思うけど、ここはちゃんと英語で伝えるのがマナーってもんだ。友達だしな!!
大変だけど頑張る(笑)
追記。
これがもらったメダル。描かれているのは海兵隊のシンボルマークとSemper fidelis(ラテン語で「常に忠義・忠誠・忠実であれ」的意味)のモットー。

ちなみに裏には部隊マークが描かれています。
ぶっちゃけ、とても高価とはいえないちゃちなメダルだけど、それでもこれはチコ家の家宝にするし、「Semper fidelis」を家訓にすると決めた!!!!(笑)
2011年04月04日22:27すっごい強そうなブルドーザーがいっぱいいたし。おまけにこんなんが次から次へと飛んできてるし(笑)

なにより、実際にお会いした彼らは本当に心の優しい人たちでした。
オイラは一生忘れないよ!!
ありがとう!!
もちろん米軍だけでなく、今日も一生懸命頑張ってくださっている警察、消防、自衛隊、行政職員、医療関係者、ボランティア、各国救助隊、この震災に関わる全ての関係者の皆様も。
本当にありがとう!!
そしてまだメールの英文で苦戦してるオイラ(笑)

仙台空港正面の駐車場に設けられた米軍臨時キャンプのテント群。左上のドーム型天幕がチコ氏がコゼニスキー大佐と面会した指令作戦センター。4月2日頃撮影。 (Nathan A. Bailey/Stars and Stripes)[>>16]
mixiで評判に
4月6日頃からマイミク以外の人からのコメントが付くようになるなど「Operation Arigato!!」の日記がmixi内で地味に評判になって来ていたが、転載やリンク希望が多く寄せられたためリンク・転載フリーの意向が追記されている。
この理由は、米軍の活躍ぶりが今一つちゃんと報道されていないので少しでも多くの人に知ってもらいたいという事、そして基地問題や経済面の摩擦など必ずしも全てにおいて良好な関係ではない相手であっても支援に対しては感謝を伝えたいという考えがコメント欄で説明されている。[>>17]
空軍大佐が地上文字を発見
チコ氏が海兵隊を訪問した6日後の4月7日に、米空軍第353特殊作戦群のロバート・トス大佐のコメンタリーが横田基地サイトに掲載され、米軍が地上文字を発見した事がオフィシャルに公表された。
それをマイミクから知らされて本人が知ったのが4月10日の夜である。[>>18]

キーボードを打つ手が震えてます…。
モニターもちゃんと見えないです…。
そのまさかで…間違いなくオイラが描いたものです!!!!
でっかいロープで一筆書きにしたせいでGだけちっちゃいんですが、まさか気づいていただけたなんて…。
ちなみにこれが完成直後に地上で撮影したものです。
わかりづらいんで、敢てUPはしなかったのですが…。
(o・ω・o) ツルポ38さんに教えていただいたのですが、自己満足どころか、彼らはちゃんと気づいてくれました!!!!
しかもこんな温かいコメントまで…。
なんてこった!!!!涙でモニターが見えないじゃないか…。
http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142
米軍が空から撮影したもの。

完成直後にオイラが地上で撮影したもの。

わかりづらいし、気づいてもらえるかも怪しかったんで、あえてUPはしなかったんですが、まさか気づいていただけるなんて…。
ちなみに船なんかに使うデカいロープで一筆書きしたため、Gだけやけにちっちゃいのであります(笑)
「ARIGATO」制作時のエピソード
3月17日、北釜海岸で捜索活動を行う陸上自衛隊第35普通科連隊の隊員。チコ氏撮影。 (チコ@ありがとう作戦)[>>19]
実際これはトス大佐が考えたような海岸の松林の倒木ではなく津波で流された住宅の建材などを使って作られた文字通りの「瓦礫文字」だった事、そして砂まみれの素手の作業で水を吸って重くなった木材を運び、手から出血しながら4-5時間かけての重労働だった事が説明されている。
またそれまでのツンデレのコミカルなタッチの日記とは対照的に、遺留品や瓦礫や動物の死骸などが散乱する死の砂浜と化した北釜海岸でたった一人での地上文字制作に関するこの日記は内的であり、行者の荒修行のようなエピソードである。
2011年04月11日07:30"ありがとう"などもったいない。米軍にとって仙台空港の運用再開を支援出来たことは光栄です。

http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142
これを知った時は、もう本当に涙ボロボロ、鼻水ダラダラ状態(笑)
「Operation Arigato!!」本文では「そこらじゅうに落ちてる木片を使って、空から見えるようにでっかく「ARIGATO」と書いときました(笑)」とさらりと書きましたが、実はこの「ARIGATO」を書くまで4~5時間くらいかかっているのです。
この時の想いや苦労は、自分の胸だけにしまっておくつもりでした。本当に、詳しく書くつもりはまったくなかったのです。
ですが、その時のことをちゃんと記さなければ、このニュースがオイラにとってどれだけ嬉しいものであるか、ちゃんとわかってもらえないだろうな~と考え直し、発表することにした次第です。よろしければ読んでみてください。
記事では松の木と書いてますが、違うんです。
確かに松の木も一部に使いはしたけど、ほとんどが柱や梁など、家の資材だったものなんです。あと、船の部品とかですね。
まず最初に、2メートルぐらいの手頃な大きさの角材を見つけて、ナスカの地上絵よろしく、線で「ARIGATO」と書きました。幅も深さも10センチくらいです。ここまでかかった時間は1時間くらい。
最初はそれだけでもいいかなと思ったんだけど、周りにべたべた付けた自分の足跡のせいでイマイチ目立ってないし、最初に書いた「A」は早くも風で消え始めてて「これじゃあすぐに消えてしまうじゃないか…」と思い、そこら辺に散らばっている木片を使って、少しでも目立たせることにしたのでした。
空から撮影した写真の下の方に見えている、打ち上げられたものがたくさん溜まっている場所から、使えそうな資材を見つけて、一つづつ運びました。 水を含んだ角材や板切れって想像以上に重かったので、ぶっちゃけた話、結構辛かったです(笑)
おまけに手袋を持ってなくて、素手で持ち続けたもんだから、いつの間にかささくれや釘が刺さって、手が血まみれになってました。
血がボタボタ音を立てて落ちてくし、傷口に砂が入りこんでジョリジョリするし、けど水道なんてどこにもないから流せないし、おまけに嫌でも砂が靴の中に入って、足の裏が文字通りサンドペーパーをかけられたみたいになるし…。
痛くて痛くてたまらなかった。「G」まで書いたあたりで、もうやめようと何度も思いました。
単純に資材がクソ重いからでも、切れた手が痛いからでも、死ぬほど喉が渇いてたからでもなく…。
手にしたカケラの一個一個が、誰かの家で、誰かの幸せで、誰かの思い出がいっぱい詰まっているものだったから。オイラのよく知っている、あの美しい景色を形づくっていたものだったから。
そりゃあ、震災前にもこの砂浜には流木やゴミは打ち上げられていました。
だけど、家の資材や、車の部品や、船の残骸、ましてや非常持ち出し袋やハンドバックや、家族の写真や、何かのトロフィーがそこら中に散らばってるなんてありえなかった。
正直言って、体力的にもきつかったけど、それ以上に気持ちが折れそうでした。 けど、ここで辞めてたまるかと思った。元自衛官舐めんなよ!!なにより、これでも美大生だったんだ!! この手のでっかい「ものづくり」はお手のもんじゃないか!!って、頑張って気持ちを奮い立たせた。最後の方は、
うわああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!
負けてたまるかあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
って、ひたすら絶叫しながら、溜まり場から使えそうなものを選んで、下書きした場所に運んで並べて…って作業を続けてました。
誰もいないから叫び放題だったし、誰も見てないから泣き放題だったしね(笑)
すんごくクサい書き方なのはわかってるんだけど、オイラにとってこれは、津波との戦いだったんです。
確かに今回の震災で、幸いにもオイラの家族も家も無事でした。だけどこの津波は、オイラにとって故郷と呼べる場所を何もかもぶち壊してくれたんだ。
その津波との一対一の戦い。
誰もいない。誰も見ていない。
称賛も声援もない。
途中で辞めて非難されることもない。
絶叫しながら一人作業を続けてて、ふとオイラは気がついたのです。
「これは男にとってはこれ以上にない、最高の戦いじゃねえか」って。
古くて熱血漢で単細胞なオイラは、そう気づいた途端に痛みもどっかにすっ飛ぶくらい、心から幸せな気分になっていました(笑)
いまは普通の一市民でしかないオイラには、自分の生活を立て直すのだけで精いっぱい。「るろうに剣心」じゃないけど、せいぜい目の前で困っている人のために、自分が出来ることをやることしか出来ない。みんなのために出来ることなんて何もない。
だけどせめて、復興の手助けをしてくれる人たちに感謝の気持ちを届けるくらいのことは、やり遂げてみせる!!!!
いまのオイラは助けてもらうばっかりで、何にも出来なくたって「ありがとう」と言うことは出来る!!!!
映画でいえばオイラはただのエキストラ。ヒーローでも何でもない。
だけど、ヒーローなんかになれなくたって、ヒーローの力になることは出来る!!!!
例え誰にも気づかれず、オイラ一人の自己満足で終ろうとも…この海に、この砂浜に、この惨劇の跡地に、堂々とオイラの「ありがとう」を刻んでやる!!!!無残な資材たちだって、きっとそれを望んでるはずだ!!!!
よっしゃああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
やるぞおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!
お昼前ぐらいからはじめて、終わったのは3~4時くらい、夕方だったと思います。とにかく、太陽の光がオレンジがかっていたのは覚えてるので。
とりあえず、完成した時は疲れたのと腹が減ってヘトヘトだったんで、その場に大の字になってぶっ倒れてました(笑)
「燃え尽きたジョー」の気持ちってこんなだろうな~って思うくらい、ここ最近で一番の充実感でいっぱいでした(笑)

クサくて暑苦しいことを散々書きましたが、これが、この「ARIGATO」と書いた時の正直な想いです。だからこそ…このニュースを知った時は涙が止まりませんでした。
オイラが1日に書いた「ARIGATO」はばっちり3日まで残り、パイロットさんに気づいてもらえたんだ!!!!
「ありがとう」とは国や言葉の壁を越えるだけじゃなく、空の上にだって届く!!!!
こんなに嬉しいことはありません!!!!
本当、あの日以来、毎日感動しっぱなしです♪
「ありがとう」と伝えに行った筈なのに、オイラが一番感謝の気持ちでいっぱいになってますよ、まったくもう(笑)
「ありがとうには及びません」ってカッコよ過ぎだこんにゃろう!!!!
2011年04月11日12:40幸い家族は無事で、実家も海から離れていたため津波の被害に遭うことはありませんでしたが、幼い頃から家族と出かけ、また日頃から良く遊びに行っていた仙台空港、閖上漁港といった沿岸地域は津波によって壊滅しました。
15日に様子を見に行った時、どう考えても復旧は絶望的な仙台空港を、あっという間に復旧してくれた人たちがいました。「トモダチ作戦」として行動した、在日米軍の皆様です。
「どうにかして米軍の皆様にお礼がしたい!!」と思ったオイラは、1日に仙台空港まで行って米軍にお礼のお手紙と、震災前の、美しかった名取沿岸部の写真をまとめたフォトブックを渡してきました。
彼らはとても温かく迎えてくれて、お礼を言いに行った筈なのに、むしろ余計に感謝の気持ちを一杯もらってきちゃいました(笑) 彼らのおかげで、「ありがとう」という気持ちを伝えるのに、国や言語の違いなんて関係ないということを学べました。
本当はそのまままっすぐ家に帰るつもりだったのですが、ふと思い立って仙台空港近くの砂浜に向かい、そこらじゅうに散らばっている木片を使って、空から見えるようにでっかく「ARIGATO」と書いてきました。
そして震災から1ヵ月目の今日。
マイミクさんからアメリカ空軍横田基地が発表したニュースを教えてもらいました。
http://www.yokota.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=18142
"ありがとう"などもったいない。米軍にとって仙台空港の運用再開を支援出来たことは光栄です。
(中略)
4月3日に最後の着陸を行なった時、これがほんの19日前には壊滅的な状態だった空港かと、我が目を疑った。
それよりもさらに驚いたのは、滑走路に向かって最終アプローチをかけた時だった。滑走路27番に向けて800メートルほど離れた砂浜の上空を飛行していた時、ふと下を見るとそこに日本語の"ARIGATO"の文字があるのに気がついた。津波でなぎ倒された松の木を20~30本使ってかたどったらしい。
米軍が空から撮影したもの。

完成直後にオイラが地上で撮影したもの。

確かにこの震災で、悲しい思いもたくさんしました。いまだって結構苦労しています(笑)
だけど、いまも五体満足で生きていて、「ありがとう」は国の違いや言葉の違いを越えられるだけじゃない。空の上にだって届くんだってことを知れたオイラは、最高に幸せ者だと思うのです。
亡くなった方たちの分まで…なんて偉そうなことはとても言えないけど、せっかく生きてるんだから、こういう気持ちを大事にして生きてかなきゃなと思うんです。次の1か月も、その次も、それから先もずっと。
そして、一個人のささやかな行動に対してまで、組織としてきっちり返答したアメリカ合衆国空軍に対し、心から感謝と敬意を捧げたいと思います。
本当にありがとうございました。
静かに立ち去った米軍
4月1日にチコ氏が手紙とフォトブックを渡した海兵隊のメンバーは、4月5日には既に仙台空港を離れ石巻市の湊小学校の瓦礫撤去作業を自衛隊と共同で行っていた。 (DODvClips)[>>24]
トス大佐のコメンタリーに書かれていたように4月5日に空港運営が米軍から日本側に引き継がれたが、米軍は空港の整備が一段落した4月初旬より段階的に撤収を始め、4月6日に駐車場の臨時キャンプを完全に引き払って最終撤収している。
空軍の大半は沖縄の基地に戻っているが、海兵隊の一部は残って引き続きその他の被災地の支援活動を行っていた。
タイトルのRTBは軍事用語で「Return to the base」(基地に戻る)の意味。
2011年04月15日03:30最初はまた砂浜にでっかく「おかえり」とでも書いてみようかな~とか考えたのですが、前日からどーにも頭痛とダルさが酷くて、下手したら行けないかも…って言うくらい体調が悪かったので、行くかどうかは保留のまま一日休み…当日の朝4時。
多少は回復したし、行かないで一生後悔するよりはと、出発したのでした。徒歩だからそれぐらいの時間に出発しないと、到着予定時刻の8時に間に合わないので。
っで、自宅から徒歩3時間半。7時半過ぎというギリギリのタイミングで到着した仙台空港に広がっていたのは…。
あ…ありのまま今起こったことを話すぜ!
『空港にあった米軍基地が、きれいさっぱりなくなっていた』
な…何を言ってるかわからねーと思うが、
俺も何が起きたのかわからねえ…
頭がどうにかなりそうだった…
撤退だとか撤収だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を見たぜ…
コーラの瓶とかアメリカンなポテチの袋くらい残ってそうですが、そんなもんさえ一つもありませんでした。「キャンプ・センダイ」なんて、まるで最初から存在しなかったみたいに。
冗談抜きで、大佐も大尉さんも幻だったのかと思った。だけど…メダルは確かに手の中にある。
近くにいたお巡りさんに聞いてみると、彼らは数日前に突然いなくなってしまったとのことでした。「来るのも早かったですけど、帰るのはもっと早かったですねえ~。本当、一日でなくなっちゃいましたよ。あれだけの基地が」
「そうですか…」
「ところで、あなたはこの辺りにお住まいの方ですか?」と、怪訝な顔になるお巡りさん。どうも疑われているようなので、事情を手短に説明。「このメダルまで頂いたので、撤収する前にもう一度、あらためてちゃんとお礼を言いたいと思って来たんですが…そうですか、もう帰っちゃったんですね…」
「疑って申し訳ありませんでした。ここ数日、写真を撮ってキャッキャしてる物見遊山のロクデナシばっかりだったから、あなたみたいな人もいるんだなと知れて、心が洗われましたよ♪」
いえいえそんな…どうもどうも…お気をつけて…と、日本人特有の儀式を一通りやって別れる。
彼らがもう帰ってしまったのは寂しいけど、それならそれで、第一便の飛行機の写真を撮って、大尉さんに送ろう。きっと喜んでもらえるはずだ。
なんてことを考えながら時計を見ると、時刻は7時45分。
ヤバいヤバいヤバい!!!!もう飛行機来ちゃうじゃないか!!!!
心の中で「24」のクロックが鳴る音が聞こえる。慌てて砂浜に出て「ARIGATO」と書いた場所へ走っていると、遠くからごおぉぉ…っとジェットエンジンの音が聞こえてくる。はっと見上げると、一カ月ぶりに旅客機が頭上を飛んでいるじゃないか!!

陸地側から現れた旅客機は、そのままオイラを飛び越えて海の向こうへ。いったん空港を確認してから改めてアプローチする気だなと察して、真っすぐ「ARIGATO」と書いた場所へ急ぎました。
しかし「ARIGATO」を書いた場所だと飛行機の真下過ぎて、胴体側面に描かれている特別マーキングが上手いこと撮れないかも…と思い直し、適当なところで止まる。
どんどん近づいてくる飛行機をファインダー越しに見ながら、オイラの中で「TOP GUN」の「ANTHEM」が流れてました(笑)
まっ白い胴体に描かれた「がんばろう日本」が見えた瞬間、眼に砂が入ったらしく、視界がぼやけて何にも見えなくなりましたね、ええ。



それでも何とか撮れたのは、何度も何度もここに足を運んで、同じように飛行機に手を振って写真を撮っていたからだと思います。あと、カメラのハイテクっぷりのおかげかと(笑)
30分後にANA機がおりてきた時もまた砂が入ったみたいで、見えなくなっちゃいましたね。本当、風が強くて困ります。




撮影を終えてから、ほとんど砂に埋もれていた「ARIGATO」を補修。確かに米軍はいなくなったけど、この砂浜は当分の間捜索活動を続ける自衛隊や警察のヘリコプターが飛び続けることになります。だから、もうしばらくこの「ARIGATO」には残ってもらわないとね♪
ターミナルの方にも寄ろうと思いましたが、やっぱりやめました。どうせマスコミがいっぱいだし、マスコミは今回の震災で嫌いってわけじゃないけど、出来ればさけたいな~って思う存在なので(笑)
ので、コインを握りしめて真っすぐ帰り道を歩きました。
それにしても、海兵隊はもう帰っちゃったのか…寂しいなあ…寂しい…。
けどそれ以上に…
あったまきた!!!!
本当あったまきた!!!!!!
「クリリンのことかああああああ!!!!!!」並みにあったまきた!!!!!
オイラの中でサイヤ人になるときの効果音が鳴った!!マジで鳴った!!!!!
いまならかめはめ波でも元気玉でも余裕で出るくらいあったまきた!!!!!
ふ ざ け ん な!!!!!!!
自分たちが一生懸命作業にあたった空港が、無事に再開する瞬間を見もしないで帰るとか水臭すぎるぞこの野郎!! そこまでやったんなら、どや顔で飛行機を迎えるくらいやってけ!!
撤収やら何やらで忙しいのはわかるけど、一言くらい言ってから帰れよ大尉さん!!最後にちゃんと「ありがとうございました」って言わせろ!!
ムカついたからとりあえず大尉さんに「飛行機が帰ってきました、ありがとう♪」って写真を送りつけといた!!!!
砂浜の「ARIGATO」にカッコよく返答しやがった横田基地と、実際に降下した嘉手納の特殊作戦飛行隊にも、お礼の手紙と写真を送りつけてやる!!あと横須賀の第7艦隊!!!!
「ARIGATOにはおよびません」だあ?
礼はきっちりするから覚悟しやがれこんちくしょう!!!!!!!!!
(´;ω;`)ブワ

米軍から日本側に空港運営が引き継がれた4月5日、きれいに整備された仙台空港ターミナル前の道。 (U.S. Air Force photo/Osakabe Yasuo)[>>26]
同、米軍ヘリが撮影した空港全景。整備された空港と対照的に空港の海側(写真手前側)にあった名取市北釜地区の住宅街跡は冠水したままである。(同)
日本のニュースで大きく報じられ30万件のアクセス
4月15日にロバート・トス空軍大佐が嘉手納基地からトモダチ作戦の仙台任務終了の記者会見を行っているが、そこで砂浜の「ARIGATO」に関して言及したのを翌日16日に時事通信、テレビ朝日、読売新聞、毎日新聞など大手メディアが報じた事で大量のブログやTumblrユーザーがチコ氏のmixi日記をリンク付きで転載したため、16日以降にmixi日記にアクセスやコメントが殺到し、最終的に足跡が30万件に達するというmixi史上前代未聞の大反響となっている。
そして数百単位のコメントやパーソナルメッセージは対応出来る量ではなくなるなど、これ以降本人がmixi日記でレスをしたり「ありがとう作戦」コミュニティに書き込む事は無くなったのだが、その代わりに翌日17日に挨拶とまとめレス的な日記を書いている。
2011年04月17日02:09正直なところまだ未読メッセージが1百以上あったりするのですが、頂いたメッセージやコメントは、全てに目を通させていただきます。
お一人お一人にきっちりとお返事やレスを返したいと思うのですが、ちょっと追いつかないので、大変失礼ながら、この日記でご挨拶のかわりとさせて頂きます。
皆様からたくさんのお褒めの言葉を頂き、大変嬉しく思っているのですが、本当に自分など大した人間ではないのです。
美大に入ったものの、写真でも映像作品でもパッとしないまま卒業。自衛隊だってロクに続かず、逃げるように去りました。
それでも映像や写真と言った表現の道を諦めきれず、地味にコンテストに応募し続けるも落選続きと、「僕の小規模な失敗」の主人公並みに残念な感じの日々が続いていたのです。本当ダメです。いまでもダメです。
ですが、そんな自分のつまらない写真でも、彼女さんがいなければ「フタエノキワミ アッー!!」な素敵ガイだった米軍の皆さんは喜んでくれました。
砂浜に描いた「ARIGATO」も、ちゃんと伝わり、返答までいただけました。
なにより、皆様から頂いたメッセージやコメントで一番多かったのが、
「ありがとうと伝えてくれてありがとう」
であったことに感激しました。自分と同じように、感謝の気持ちを抱いていた、伝えたいと思っていた人がこれだけいたんだと思うと、胸が熱くなりました。
家族も家も無事で、ライフラインが回復した今は普通の生活を取り戻している自分なんかより、遥かに辛い思いをされている避難所の方にまで「ありがとう」とご連絡頂きました。
「人に何かを伝えたい、そういう人間でありたい」と志したものの、パッとしないままずっと無名の存在だった自分にとって、自分の作った「ARIGATO」に込めた気持ちが、これほど多くに届いたという事実ほど、嬉しいことはありません。
自分の行ったことは、本当にささやかなことでしかないと思っています。
震災以来、連日捜索活動を続け、瓦礫を除去し続けている警察、消防、自衛隊といった関係機関の皆様に比べたら、「ARIGATO」を書いただけな自分など称賛にはとても及びません。
なんだか横田基地のコメントみたいですが、本当にそう思います。
また、自分以外にも、学校の校庭に「ARIGATO」と描かれた方や、「ありがとう」という看板を立てた方、それ以外にも報道されていない部分で、同じよう行動をされている方々がたくさんいらっしゃいます。自分だけではないのです。
それと、この場をお借りして特に多く寄せられたご質問にお答えしたいと思います。
・「コゼニスキー大佐の名前を出してしまってもいいのか?」
コゼニスキー大佐は、この名前で検索していただけるとわかると思うのですが、海兵隊公式、一般のニュースサイト等でインタビューに答えられていたり、ツイッターで「小銭好きそうwww」「小銭好きーwww」とツイートされまくってたりしていたことなどから、大佐は指揮官として「おおやけの人」であり、また自分が「海兵隊の司令官を紹介していただきました」と伏せた形で書いたとしても、検索すればすぐにわかってしまうために、あまり意味はないと判断。公開した次第です。
逆に、そうではない大尉さんは伏せてあります。
もし海兵隊やCIAやFBIから連絡があればビビって伏せます(笑)
・なぜ「Thank you」じゃなく「ARIGATO」なのか?
自分も最初は確実に伝わる「Thank you」しようと思ったのですが、やっぱり母国語の響きが好きですし
「支援活動を行う中で、米軍の皆様は何度も聞いて「ありがとう」という日本語を覚えたに違いない!!」
と判断して、「ARIGATO」にした次第です。また「トモダチ」に対して「ありがとう」と返したかった、というのもあります。
また、この砂浜は米軍が撤退した現在も自衛隊、消防、警察のヘリコプターが飛び交い、捜索活動を続けられておりますので、その方たちにもお伝えしたいという想いもありました。
「U」がないのは自分の「いつか抱きたい芸能人」第3位の広末涼子のアルバムが「ARIGATO!」だったからです。ちなみに2位は綾瀬はるか、1位は堀北真希です。 似ててオイラに抱かれたいという方はぜ…なんでもありません。
・名取に住んでるって大丈夫なの?
幸い自分の家族も無事でしたし、家も海から離れていた場所にあるので無事でした。震災当初こそライフラインが途絶し、しばらくは大変でしたが、現在は既に回復し、飲食店やコンビニもやや品不足ではありますが、営業を再開しております。自分はただ、本当に大好きだった場所、思い出のたくさん詰まっていた場所を失っただけです。
ので、はっきり言って既に被災者ではありませんし、被災者面をするつもりもありません。ですが、自分が出来ることはやろうと思っています。
・「あんた親米感情を演出したいCIAの工作員だろ!?」
ごめんなさい。こういうとき、どんな顔をすればいいかわからないの。
…あ、笑えばいいのか。
んなわけないです。だったら貯金通帳が減る一方なわけありません(笑)
自分は福満しげゆきの「妻」みたいな彼女さんに頭が全く上がらない、尊敬する人は「グラハム・エーカー」、好きな食べ物はプリプリのエビちゃんな、しがないただの変態です。はい。
とまあ、簡単ではありますが、そんな感じです(笑)
最後になりますが…
皆様、本当にありがとうございます!!!!
トス大佐の4月15日の記者会見
横田基地発行の日本の救援活動の日刊機関紙『トモダチ・タイムズ』の4月9-10日号にはトス大佐のコメンタリーが掲載 。[>>28]
トス大佐のショートスピーチと質疑応答からなるこの会見は、米軍特殊部隊の仙台での任務の終了の報告の場として「仙台空港の再開」と題されて、嘉手納基地とニューヨークを電話回線で結んで、共同通信、時事通信、テレビ朝日、日経新聞、毎日新聞、経済レポートなど8社の米国駐在記者に向けて行われた。
基地問題など政治的な問題への質問にも及んだこの4月15日の長い会見から、それを扱った全てのメディアがこの地上文字を中心に報じたという、非常に話題性の高い出来事として実際この地上文字は報じられていた。
「逆に日本人に感謝が込み上げた」や「ありがとうは日本の人々に言いたい」等、通常は政治や外交問題を扱っている日本メディアの海外特派員によって“国際親善的”に解釈された一連の報道記事だが、実際の会見の原文を見るとこれは国際親善的なリップサービスやエールの交換というより、空軍特殊部隊指揮官のリアルな“現場の声”としてこの地上メッセージの何にトス大佐が感動をしたのかがより具体的に語られている。
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Federal News |
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国務省海外プレスセンターのテレビ会見(国務省発表) ・タイトル:仙台空港の再開 ・会見:ロバート・トス空軍大佐(統合部隊特殊任務共同支援隊「オペレーション・トモダチ」指揮官) 2011年4月15日(金)11:00 海外プレスセンター(ニューヨーク) (抜粋) Q:こんにちは。毎日新聞の海保真人です。滞在中で最もドラマチックで印象的な経験は何ですか? トス:最もドラマチックな経験は、いずれにしても --- 津波による惨状を最初に目の当たりにした事が最もドラマチックな経験だと言えるでしょう。 しかし私が見た最も印象的な事は恐らく、自国の復興のための日本の人々の労働倫理と集中力だと思います。彼等は24時間体制で働き先頭に立ち、全てを非常に秩序正しく非常に集中し、津波で破壊されたエリアをクリーンアップし回復させていました。 最も私の心を打った一つで --- 仙台空港の整備の最終日近くに --- それは4月3日頃のいつかだったと思います --- 私が仙台空港に到着しようとしていた時 --- 仙台空港に入る前に実際砂浜上空を通過します。 そして滑走路へのタッチダウンまで約1/4マイルに来たMC-130から何気なく見渡すと、地元コミュニティの誰かが20-30フィート [6-9m] の長さと思われる木をどこか付近から引きずっていた形跡に気付きました。 それらは大型の椰子の木か松の木で[>>29]、そしてそれら(の木)は「arigato」 --- 日本語の「thank you」と読めるブロック体の文字を形作っていました。 この全ての苦境のまっただ中にあり、空港での米国人の誰よりもハードワークをしているはずの人々がその時、実際にそこ(海岸)に出て行って私達に感謝するそのサインを置くために時間を割いて労力を払った事は、直ちに私の心を打ちました。 そしてその(地上文字の)感謝は、本当は日本の人々に送られるものであり、その正反対がより真実とは私には言えません。 そして彼等にとって私達に感謝するために努力をしに行く事は、仙台の現地で彼等が対処している事のまっただ中でそれは本当に凄い事だと思います。 司会:実際ここにその写真があります。これを記者の皆さんに送る事にします。 トス:お願いします。もし良かったら記事を送って下さい。 (以下略) [訳=岩谷] (原文:英語)
Federal News Service. "Reopening the Sendai Airport", April 20, 2011 Friday. |
このロバート・トス大佐が指揮官を務める第353特殊作戦群とは、3月16日に仙台空港の空港機能を3時間で仮復旧させ最初の航空機を着陸させた空軍特殊部隊で、また被災地への支援物資の輸送拠点としての仙台空港の早期確保を軍に提言し実行したのがこのトス大佐である。
特殊部隊や特殊作戦輸送機を投入して仙台空港を一日で復旧させた米軍の本気度がありがとう作戦の動機だったとすれば、まさしく「その人」からの返答である。
米軍大佐を感動させたものとは
3月24日、壁に浸水の跡が残るターミナル周辺の堆積物の除去作業を行う米陸軍兵とターミナルビルの復旧作業を行っている日本側の作業員。撮影:陸上自衛隊東北方面隊。[>>30]
ここでトス大佐は「日本の人々」と日本人一般のような表現をしているが、これは直接的には、空港再開を実現したのは空港関係者、熊谷組や前田道路などの民間業者や自衛隊など日本側の当事者であって、その「ARIGATO」は本来は彼等に送られるべきだという趣旨の発言である。[>>32]
東北地方出身者や現地在住者の多い陸自東北方面隊や空自松島基地の自衛官、空港職員、地元土木業者など自身が被災者でもあり、そういった人達が昼夜を徹して復旧作業を行っている姿に感銘を受けたというのがトス大佐が言わんとしていた事である。
今回の震災における日本の被災者の秩序正しさはこれまでも海外メディアで盛んに報じられていた事だが、そういった現場の日本人の労働倫理の高さに加え、この非常時にも感謝の気持ちを示す事を忘れない日本の被災者に対し、これはリップサービスというより本当に感銘を受けたようなニュアンスの会見である。
米軍が控え目だった事情
前年のハイチ地震など、これまでも世界各地で災害支援活動を行って来た米軍だが、米軍が全てを取り仕切り一方的に与えるだけの第三世界への援助とは違い、世界トップの国家水準を持つ先進国の日本は官民ともに当事者能力のある国であり、トモダチ作戦に関して米軍としては当初より「あくまでも主導は日本政府であり米軍は支援の立場」という方針であったが、それはトス大佐のコメンタリーにおいて徹底的に日本側を立てている辺りにも表れている。
仙台空港再開の日には空軍も海兵隊も既に去っていたなど、米軍が日本でのパブリシティに慎重だったのは、かつての敗戦国日本において占領側だった米軍が出過ぎる事や、トモダチ作戦に参加した米軍の大半が駐留している沖縄の基地問題など、日本世論への配慮もあったという。[>>25]
チコ氏は日米関係は基地問題などいろいろ難しい面もあるが、彼等の本気の支援に対してはどんな形であっても謝意を伝える事が良い結果に繋がるとmixiでコメントをしていた。[>>33]
そのたった一人の行動がトモダチ作戦の指揮官に

4月6日、米軍の最終撤収時に撮影された空港復旧関係者の集合写真。後ろに置かれている乗り物は右から空軍のコンバットシャドウ、空港車両、海兵隊のトラック、そして陸軍のヘリと、それぞれの軍・組織を代表している。前列は各軍の幹部、自衛隊幹部と空港責任者と見られ、彼等を取り囲むように後列に米各軍と日本側の工事関係者が並んでいる。撮影:陸上自衛隊東北方面隊 (Pacific Air Forces)[>>34]
チコ氏のツイッター
https://twitter.com/same_desu
mixiありがとう作戦コミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5567438
オペレーション・アリガトウ
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オペレーション・アリガトウが書籍化 (2011-8-5)
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オイラのありがとう作戦 著者:佐々木直人(チコ@ありがとう作戦) ISBN 978-4-7966-8447-7 出版社名 : 宝島社 発売日 : 2011年8月5日 税込価格 : 1,260円 mixi日記で話題となった感動のエピソード
「米軍さん、そっちがトモダチ作戦ならこっちは、ありがとう作戦だ!」砂浜に流木で「ARIGATO」と書いた青年の物語 ネットで30万アクセス! 世界が涙した 震災復興支援、広がる感動&感謝の輪! ある日突然、無名の青年のmixi日記が大騒ぎに。1000人が「イイネ!」ボタンを押し、「コメント」は200件を記録(いずれも機能の上限の数)、足跡(その日記を読みに訪れた人の数)は30万件にも及びました。日記のタイトルは、「Operation Arigato!!」。東日本大震災における米軍の救援活動「オペレーション・トモダチ」を目の当たりにした青年は、「そっちがトモダチ作戦なら、こっちはありがとう作戦だ!」と、たった一人で仙台空港に向かったところ……。国境を越えた友情の物語に感涙と絶賛の声多数。今、あなたは誰にありがとうと伝えますか? 目次 プロローグ 第1章 東京(3月11日~3月13日)--オイラの故郷を助けてください 第2章 宮城(3月14日~3月27日)--空港周辺も、なんにも残ってませんでした 第3章 ありがとう作戦(3月27日~4月1日)-ヒーローなんかになれなくたって、「ありがとう」を言うことはできる! エピローグ 届いたメッセージ。つながるきずな 故郷・宮城の写真 mixi編
佐々木直人(ササキナオト)プロフィール 1985年生まれ。宮城県名取市出身。 東北芸術工科大学卒業後、陸上自衛隊に入隊。のちに退職。東日本大震災後、米軍の大規模な「トモダチ作戦」に対し、たったひとりで「ありがとう」を伝えに言った。 『オイラのありがとう作戦』 (佐々木直人). 2011年8月5日. 宝島チャンネル
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「オペレーション・アリガトウ」の関連資料
日本語メディア報道
| 記事名 | メディア | 日時 [日本時間] | |||
| 4月16日 | |||||
| • | 「ARIGATO」文字に感動=機上から発見-復旧支援の米軍指揮官
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jiji.com | 9:25 | ||
| • | 【地震】仙台空港復旧作業に携わった米大佐が会見
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tv-asahi | 11:57 | ||
| • | 仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激 |
Yomiuri Online 山田哲朗 |
17:45 | ||
| • | 東日本大震災:米空軍大佐 「ARIGATO」に感動
|
毎日jp 海保真人 |
18:33 | ||
| 4月17日 | |||||
| • | 浜辺に「ARIGATO」 復旧参加の米大佐「感動」
|
asahi.com 村山祐介 |
0:15 | ||
| • | 米軍指揮官「アリガトウ」に感動 トモダチ作戦で |
共同通信 | 6:00 | ||
| • | トモダチ作戦の米大佐 浜辺の「ARIGATO」に感動
|
msn産経ニュース | 7:56 | ||
| • | 〈世界から被災地へ〉ARIGATOに感動 「トモダチ作戦」参加の米大佐 |
asahi.com 村山祐介 |
10:50 | ||
| • | 米軍に伝えたかった「ARIGATO」 |
The Liberty web | |||
| 4月18日 | |||||
| • | 米大佐「ARIGATO言う必要ありません」 震災復旧に黒子役 |
大紀元 陳櫻華、佐渡道世 |
|||
| 4月20日 | |||||
| • | 復興のため静かに動き静かに去る そして「レベル7」の意味を静かに語る |
Diamond Online 加藤祐子 |
|||
| • | 米軍が名誉に思う「トモダチ作戦」と、たった一人の「ありがとう作戦」 |
ロケットニュース24 | |||
| 4月21日 | |||||
| • | 日米協力 関係再構築のきっかけに 東日本大震災
|
西日本新聞 | |||
| • | 米軍が名誉に思う「トモダチ作戦」と、たった一人の「ありがとう作戦」 |
サーチナ | 13:06 | ||
脚註:
- ^村山祐介. 『 〈世界から被災地へ〉ARIGATOに感動 「トモダチ作戦」参加の米大佐 』, asahi.com, 2011年4月17日 10:50.
- ^佐々木類. 『トモダチ作戦の米大佐 浜辺の「ARIGATO」に感動』, msn産経ニュース, 2011年4月17日 7:56.
- ^ 実際は横田基地ウェブサイトで日本語訳を掲載していたのだが、訳した時点で訳の存在に気付いていなかったため、これは公式版とは別の当ブログのオリジナルの訳。横田基地ウェブサイトの訳は恐らく日本語の出来る米国人によるもので、やや外交的・国際親善的な解釈となっているが、当ブログでは米軍を代表した外交的な立場ながらも「現場の声」が滲み出ている微妙なニュアンスを忠実に訳すように試みてみた。
- ^ 原文は「believed Sendai's Airport would never open again.」で「仙台の空港が再開する事は二度とないかもしれないと信じていた」という、仙台空港が廃港になるような意味に見える表現だが、日本側としては旅行行楽シーズンの「夏までの旅客再開は無理かもしれない」と考えられていたという話のようだ。
トス大佐はNYタイムズの取材で「仙台空港に関しては日本側が匙を投げていた」という発言をしているが、これは空軍だけでなく海兵隊や陸軍の関係者からも日本政府からの支援要請が遅い事や空港復旧の見通しが全くないなど、拠点空港の早急な確保を重視していた米軍の各軍から一様に不満の声が見られるのもまた一面である。
Liepold, J.D. "Soldiers help open runways at Sendai airport", United States Army Japan & I Corps (forward), April 7, 2011.
Tritten, Travis J. "Marines help clear out Sendai Airport after tsunami", Stars & Stripes, March 24, 2011.
Fackler, Martin. "U.S. Airmen Quietly Reopen Wrecked Airport in Japan", New York Times, April 13, 2011. - ^ ここでの「本州」(Honshu) は恐らく米軍の視点では、1972年まで米国統治だった沖縄と日本本土を区別する「本土」の意味で使っている米軍用語と思われる。九州に佐世保基地がある一方で北海道と四国に米軍基地はないため大ざっぱな「日本本土」の意味だろう。
- ^ Photo by Samuel Morse. Sited in Cram, Aaron (Tech. Sgt.). "Special-ops Airmen open strategic runways for relief operations". U.S. Air Force, 3/16/2011.
- ^ mixi日記の転載やリンクの希望が多く寄せられたために4月6日か7日時点で本人が転載・リンクOKとアナウンスしていたため、大手メディアの報道以降の大量転載となっている。
- ^チコ氏のmixiフォトアルバムより。仙台空港北側の県道10号のアンダーパス付近で撮影。右側の県道10号は水没している。フェンスの向こう側が仙台空港の滑走路。積み重なっている車は空港東側の北釜地区や南側の空港駐車場より流されて来たものと見られる。
チコ@ありがとう作戦. 『仙台空港付近 15日の様子」』 (mixiフォトアルバム). mixi, 投稿日時:2011年03月16日 20:58 | 撮影日時:2011年03月15日 17:17. - ^Cram, Aaron (Tech. Sgt.). "SOG Airmen open two strategic runways for relief operations", 353rd Special Operation Group, Posted 3/16/2011 Updated 3/16/2011.
- ^"Humanitarian relief supplies arrive via C-17 at Sendai Airport", Yokota Air Base, Posted 3/20/2011 Updated 3/20/2011.
- ^チコ@ありがとう作戦. 『ありがとう。ごめんなさい。』, mixi, 2011年03月30日04:57.
- ^ 実際のところ「Camp Sendai」とは陸上自衛隊の仙台駐屯地の英語名称である。毎日新聞では米軍が仙台空港を「キャンプ・センダイ」と呼んでいたと書いているが、仙台空港で復旧作業を行う米兵は3日に1度仙台駐屯地(Camp Sendai)のシャワー施設や宿泊施設を利用しており、米軍内で仙台空港が「キャンプ・センダイ」と呼ばれていたという事実はない。
- ^ Robson, Seth. "U.S. troops making best of situation at Sendai Airport", Stars and Stripes, April 4, 2011.
トモダチ作戦前進部隊の司令部、宿泊用テント、駐車場、支援物資置き場その他施設から成るこの臨時キャンプは、海兵隊本隊が到着して以降に徐々に増設され4月6日までに撤去されている。
Google Earthの記録では3月24日の時点では存在せず27日に指令作戦センターを数個のテントが取り囲む形で出現している。星条旗新聞の4月4日付けの記事(日本時間の3日)付属のテント群の写真は撮影はチコ氏が訪問したのとほぼ同時期の4月1日か2日と見られ、ほんの数日間の米軍キャンプだったがこの時期に最大規模になっていたようである。
画像取得日:2011年3月24日
画像取得日:2011年3月27日
画像取得日:2011年4月6日 (Google Earth) - ^チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月03日 15:21、2011年04月08日 21:56 (コメント).
- ^チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月10日 23:51 (コメント)
トピック『ニュース・報道から』, コミュニティ『ありがとう作戦』. mixi, 2011年04月11日 00:30 (コメント8) - ^手前に打ち上げられているのは水上バイク、奥には二隻のレジャー漁船が打ち上げられている。陸上自衛隊第35普通科連帯は名古屋の部隊であり名取市に災害派遣されている。
- ^これは仙台空港東側にあった名取市北釜地区の住宅街の写真。海岸沿いにあったこの地区の住宅および農地は津波の直撃を受けて全滅している。
チコ@ありがとう作戦. 『震災前の名取沿岸部』 (mixiフォトアルバム). mixi, 投稿日時:2011年03月17日 03:02 | 撮影日時:2011年01月13日 10:12. - ^仙台空港北側の名取市杉ヶ袋地区は元々水田地帯で震災後も暫く冠水していた地域である。この住宅は海側から流されて来た松林の倒木の直撃を受け1回部分が被害を受けている。
チコ@ありがとう作戦. 『仙台空港付近 15日の様子」』 (mixiフォトアルバム). mixi, 投稿日時:2011年03月29日 01:02 | 撮影日時:2011年03月15日 16:46 - ^ チコ氏の応対をした大尉が湊小学校での作業現場で4月5日のこの報道でインタビューに応じている。
DODvClips. "Troops Clear Rubble". YouTube, 2011/04/05. - ^ Fackler, Martin. "U.S. Airmen Quietly Reopen Wrecked Airport in Japan", New York Times, April 13, 2011.
- ^ ターミナル前の写真はAFRATによる放射線検査と同じ時に撮影されているため撮影は4月5日。ヘリ映像は不明だが6日にアップされた写真である事と空港の整備状況からこれも5日撮影と見られる。6日の時点では片付けられていた駐車場のテント群がまだ見られる。
Osakabe, Yasuo. "On the road to recovery". U.S. Air Force, 4/6/2011. - ^"Tomodachi Times" Vomume 7 , Issue 27. Yokota Air Base, April 10, 2011.
- ^4月6日のコメンタリーでは「松の木」と書いていたトス大佐だが、15日の会見では「ヤシの木か松の木」と説明しており、東北地方に自生している筈のないヤシの木という不思議な発言である。
当初は海岸の松林の倒木を持って来たと大佐は思ったようだが、松の木にしては木材に枝がなく真っすぐなためヤシの木かもしれないとも考えたのだろう。 - ^日本PFI・PPP協会. 『関連画像』, トモダチ作戦特設ページ, 2011.;Tohoku Bulletin & Japan Behind News. "Reopening Sendai Airport and the New U.S.-Japan Cooperative Strategy", Cultural News, 2011 July Issue.
- ^ チコ氏のありがとう作戦が日本で知られるようになったのは大佐の会見の後の話である。また、チコ氏が訪問したのは海兵隊であって「地元の人がフォトブックを持って現れた」と災害支援活動中の海兵隊から別組織の空軍のトップに話が行っていた筈もないだろう。
- ^ 日本のメディアの報道ではトス大佐が記者会見で日本人に感謝したいと発言したように報じられていたが、実際トス大佐が言わんとしていた事は「(トス大佐が)日本人に感謝したい」ではなく、「お礼を示して貰ったのは有り難いが、お礼をする相手が違う」である。
実際原文が二重否定のような文章であるために分りにくい言い回しではあるが、「日本人に感謝したい」よりも「苦しくても感謝の気持ちを忘れない日本人の心に感動した」の方がよりその趣旨に近い。
朝日「(苦境にある中我々への感謝に時間を割いてくれた人達に)逆に日本人への感謝がこみ上げた」「日本人の感謝の心に感動した」
読売「(日夜復旧に努める日本人に)ありがとうは日本の人々に言いたい」
毎日「(ARIGATOの文字に)こちらこそ日本の人々に感謝したい」
産経「苦しくても感謝の気持ちを忘れない日本人の心に感動した」
テレ朝「被災しながら感謝の気持ちを忘れない皆さんに逆に感謝したい」 - ^チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月08日 21:56 (コメント).
チコ@ありがとう作戦. 『空の上にも届いた』, mixi, 2011年04月11日 22:51 (コメント). - ^写真の説明文から撮影日は恐らく6日である。
当初260名いた米海兵隊の人数が既に60名程度のため(写真左側)ここに映っているのは最後に撤収した部隊と見られる。写真右側には陸軍兵も見られる。
また自衛隊が幹部しか映っていないのは隊員は被災地への支援や捜索活動にあたっていたためである。前列の一番右は恐らく笠松誠陸自一佐、3人目は仙台空港の責任者と見られる。
また写真右側には前田道路東北支店の北原正俊所長が映っている事から日本側の民間業者関係者も写真に加わっている事が分る。
Pacific Air Forces public affairs. "Japanese Defense Minister expresses his appreciation", Pacific Air Forces, 4/7/2011.
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【ワシントン=佐々木類】東日本大震災の人道支援をする米軍「トモダチ作戦」の一環として、仙台空港の復旧に尽力したロバート・トス空軍大佐が15日、沖縄県の米嘉手納基地(嘉手納町など)から電話回線を通じて記者会見した。





