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ありがとう作戦 その後

 2011年4月に話題になった「オペレーション・アリガトウ」は、現在でも当ブログで継続して最もアクセスのあるエントリーの一つだが、現在でもこの砂浜の地上文字の残したメッセージは色褪せてはいないようだ。

 仙台空港に着陸する米軍機から見えるように滑走路近くの浜辺に津波瓦礫で綴られ、空から目撃した米軍大佐に「最も心を打たれた経験の一つ」と言わせたこの地上メッセージは、その後米軍のみならず海外からの被災地への支援に対する感謝を示そうという一連の「ありがとうムーブメント」の火付け役の一つとなった。

写真:仙台空港の滑走路端から1000m東側にある北釜海岸の砂浜に書かれた「ARIGATO」の文字。2011年4月3日、米空軍第353特殊作戦群のロバート・トス大佐撮影。 (Photo: Rob Toth/Yokota Air Base)

オペレーション・アリガトウ
  1. オペレーション・アリガトウ (2011-4-24)
  2. 仙台空港の再開 --- 米軍特殊部隊による空港回復作戦 (2012-11-10)
  3. ありがとう作戦 その後 (2013-3-14)

*注:本エントリーにおける被災写真は当時の現場の様子を正確に伝えたいというご本人の意向で提供頂いたものです。後半に掲載している現場写真の一部に津波で死亡した動物の死骸の映像が含まれていますのでご了承ください。




アリガトウ作戦の反響

mixi発のアリガトウ作戦が防衛省・外務省公認の感謝メッセージに

 この砂浜の「ARIGATO」を発見した米空軍のロバート・トス大佐が、横田基地サイト上の4月7日付けのコメンタリー(英日)で地上文字に関して写真付きで言及したため、この地上文字は日本のネットでも一部で話題になっていた。
 そして同大佐が15日の日本メディア向けの記者会見で再び言及し写真を配布したために、読売、朝日、毎日、産経の主要全国紙など大手メディアに報じられこの地上文字が日本で広く世に知られる事になった。[>>1]

 この地上文字の写真とトス大佐のコメンタリーは、外務省サイトの「わかる!国際情勢」(2011年5月20日掲載)において、南三陸町の名足小学校の校庭の「THANK YOU USA」の地上文字[>>2]とともに米軍の献身的な働きぶりへの「多くの被災者」の感謝の表れと米軍の日本人の規律や克己心への尊敬の念の例として紹介された。
 更に防衛省の『平成23年度防衛白書』(2011年8月22日発行)において、地上文字に対するトス大佐のコメンタリーがトモダチ作戦にかける米軍の思いとして紹介されている。


平成23年度防衛白書より (防衛省)[>>3]

 外務省サイトより (外務省)[>>4]

米空軍『トモダチ・タイムズ』2011年4月9-10日号 (Yokota Air Base)[>>5]

米空軍第18航空団史料部編集『チーム嘉手納&トモダチ作戦』より (Kadena Air Base)[>>6]


日本人の気持ちを代弁した行動


報道を見ていろいろ不思議だった。どういう経緯で誰がどうやって書いたのか。一人で4時間もかけて手を血だらけにして作ってくれた人がいた。

ネット上の反響より
 "ありがとう作戦の人"のチコ氏(mixiネーム)が2011年4月1日に仙台空港の米海兵隊の臨時キャンプに感謝の手紙を持って単身訪問したエピソードは彼が当時リアルタイムでmixi日記に書いていたのだが、大手メディアの報道以降にそれらの日記が数百単位のTumblrやブログに転載された事で、この「たった一人のありがとう作戦」のエピソードが世に知られる事となった。

  彼のmixi日記を転載しているのは、確認出来るだけでも87のブログ、9の掲示板、そしてTumblrで386ユーザーが転載、そしてツイッターでそれらの転載サイトのリンクが推定5000件ツイートという、数千規模での拡散がされていた。[>>7]

 実際、仙台空港の米軍にお礼の手紙を届けその帰りに砂浜に地上文字を作ったというこの「ありがとう作戦」のエピソードの一体何が多くの人に共感され感動されたのかだが、多くの日本人の気持ちを代弁する事を体を張った重労働で単身で行ったという行動力への賞賛の声が非常によく見られた。[>>8]


ありがとうムーブメント


2011年5月3日に台湾の聯合報と自由時報に掲載された「謝謝台湾計画」の感謝メッセージ。[>>9]
 この「ありがとう作戦」が世に知られるようになった2011年4月中旬に先駆ける3月末頃から、海外からの義援金が寄せられたニュースが連日報じられていたが、このありがとう作戦の評判と前後して世界からの支援への感謝を形で表そうというありがとうムーブメントの風潮がこの頃から全国的に起こっている。

 その代表例が台湾からの義援金に対する感謝メッセージを台湾の新聞に掲載する費用を募金で集めた『謝謝台湾計画』である。
 その他にもNPO団体によるワシントンタイムズ紙や星条旗新聞への感謝メッセージの掲載など具体的な活動も計画されて実現している。[>>10]

 ネット上でもアリガトウムーブメントの動きはあり、YouTubeには米軍への感謝を示した動画が多数投稿された。





「ありがとう作戦」その後


読売新聞の紙面版4月17日付け朝刊 [>>11]


ANNの4月17日の報道 [>>12]
 4月13日の仙台空港旅客再開の日に米軍が既に撤収していた事を知ったチコ氏は、この後トモダチ作戦の司令部が置かれた空軍の横田基地や、陸軍司令部のあるキャンプ座間、海軍司令部のある横須賀基地など首都圏の米軍施設に手紙を届ける計画をしていた。[>>13]

 そして4月16日に砂浜の地上文字が主要メディアに報じられた事で[>>1]、この日を境に状況は一変した。

 mixi日記にはコメントが殺到し、数百単位のパーソナルメッセージが送られ、彼のmixiアカウントには4月16日の1日だけで12万、最終的に33万を超えるアクセスがあるなど突然の怒濤の大評判となった。[>>14]
 当初彼のマイミクを中心に20数人で始まった「ありがとう作戦」のコミュニティは5000人規模に膨れ上がった。

 彼のmixiの携帯メール通知は、コメント、パーソナルメッセージ、マイミク申請などで数秒置きにアラームが鳴る状態だったという。

 ありがとうムーブメントの火付け役の一人である彼自身がそれ以降全く表に出て来なくなってしまったのだが、個人で対応出来る規模でない反響が来た事は勿論として、全くの個人行動だった物がある日突然被災者や日本人を代弁した行為になってしまった事で、その重みを改めて認識した事を翌年2月になってmixiで書いている。


2月3日に、仙台空港に行ってきました
2012年02月11日 01:06
久しぶりだったからどんな感じなのかドキドキだったけど、少なくともターミナルに限っていえば、アクセス線も復活して完全に元通り。
展望台から飛行機の離発着を見るのは本当に楽しかったです。

オイラは一人で例の砂浜に向かいました。
「立ち入り禁止」の看板があったけど、近くにいた工事のおっちゃんに事情を話したところ、快く通してくれました。本当にありがたかった。でなきゃそこで帰るはめになってたからね。
砂浜は、大雪で降った雪がたっぷり残っていて真っ白だった。
だけど、どうも先客がいたらしい。よく見ると猫の足跡が点々と残っていました。
姿は見えないけど、ここには猫がいる。なんだか凄い嬉しくなった。そして、シロのことを思い出した。

あの「ARIGATO」がニュースになって、ちょっとした有名人になったオイラは、とんでもないアクセスと、びっくりするくらいたくさんのメッセージやコメントをいただきました。
その中で唯一、直接お会いした方がいます。「ARIGATO」は直接関係のない、震災前の閖上で撮影した、この写真の猫に関してでした。



その方は、震災前に閖上漁港で野良猫の面倒を見るボランティアをしていました。
漁港には約50匹の野良猫が住み着いていて、地元の人や漁師さんに可愛がられていたそうです。
そして、この白猫の名前はシロだということを教えてくれました。ニュースで大騒ぎになった際、どこかのリンクから偶然オイラのページを見つけて、フォトアルバムの写真を見て気づいたんだそうです。
50匹の猫たちにはそれぞれ縄張りがあり、それぞれ個性がありました。
その方は、一匹一匹の性格や特徴を教えてくれました。シロは、サイクルセンター脇の海に抜ける辺りが縄張りで、とても臆病な性格だったそうです。 そこはまさに、この写真を撮った場所。そして、カメラを向けたら警戒感剥き出しで、さっと逃げていきました。全てその方の言う通りでした。
ただの野良猫じゃなかった。シロって名前もあって、大事に思ってる人もいたんだってことを、その時初めて知ったんです。
そして震災以来…閖上の猫たちはみんないなくなったことも。
シロだけでなく、50匹もいた猫がみんな。遺体さえも残さないで。

「せめて遺体でもいいから会いたい…」

そうぽつんと漏らされた言葉が、凄く痛かった。
オイラには何もできなかった。ただ、プリントアウトしたシロの写真と、データの入ったUSBを渡すことしかできなかった。そんなことしかできなかったのに、その方は「ありがとう」と言ってくれた。「写真でもまた会えてよかった」と。

一人になったとき、どうしようもない無力感でいっぱいになった。涙が流れて止まらなくなった。
なにより信じられなかった。ほんの数ヵ月前に「にゃんにゃーん♪」とかやりながら撮影したのに。生きていたのに…。

だけど、オイラが知ったのはそれだけじゃなかった。敢えて冷たい言い方をすれば…この話は、数ある話の一つでしかなかった。

仙台空港で友人を亡くしました。岩手で家も家族も失いました。今でも行方不明の親戚を探しています。原発の影響で避難生活を送っています。自衛官として現場で活動しています。慌ただしく出撃していく自衛官、米兵、警察官、消防士の夫を見送りました。頑張って欲しいです。
今回の震災だけでなく、阪神大震災のことを教えてくれた人もいました。どれもとても丁寧で、温かい文書でした。
そしてみんな「ありがとうと伝えてくれてありがとう」「チコさんのような人がいることに救われました」「あなたのおかげで元気になれた」と伝えてくれたんです。それどころか「同じ宮城県民として、名取市民として誇りに思う」「阪神の時、なぜあなたのように行動できなかったのかと悔やまれます」とまで書いてくれる人もいました。
「長々と自分のことばかり書いてごめんなさい。けど、あなただから伝えたいと思ったんです」「チコさんだから、お話ししたいと思いました」って。 恐らくは誰にも伝えられないでいた悲しみと苦しみを伝えてくれて、その上で「ありがとう」と伝えてくれたんです。
それはとても光栄ですし、嬉しいことです。むしろ、オイラに連絡することで少しでも気が晴れるならじゃんじゃんしてくれと思いました。本当にありがたいと、いまでも思っています。

けど…正直に言う。
辛かった。
すごく辛かった。
あまりに重すぎた。

数通なら耐えられたかもしれない。だけど、届いたのは百や二百じゃすまない数だった。それこそ、津波みたいな勢いでやってきたんだ。
ぶっちゃけた話、何度も思ったよ。

やめてくれって。

日記にも挨拶にも書いたじゃないか。オイラの家も家族も無事だったって。だからオイラは、津波で大切なものを失った悲しみや苦しみなんてわからないし、わかるはずがない。
釜石とか南相馬とか言われても、行ったことないからわかんないんだよ。そこが本来どんな土地で、震災でどんな風に被害を受けて、いまどうなってるのか、なんにも知らないんだよ。ましてや、阪神大震災の話なんかされたってこれっぽちもわからんがな。
…猫だぜ?たかが野良猫の話でさえ、苦しくて死にそうになってるんだよ。 なに勘違いしてんだよ。オイラは自他ともに認めるクソ野郎。この震災で誰かを救えたわけでもない。
ただ感謝の手紙とフォトブックを渡して、砂浜に「ARIGATO」と描く、誰にでもできることをやっただけ。
そして、そんなちっぽけな行動に寄せられた温かい言葉に対して、返す言葉さえ見つけられないまま途方に暮れることしかできていない、その程度の人間なんだぞ。

…ゴミになった気分だった。

というより、オイラはゴミなんだって事実を思い知らされた。オイラは東北のことも、人の痛みさえもわかってない、ちっぽけな人間でしかないんだって。
いや本当、実にいい気分だった。最高の気分だった。
未だかつて、あんな孤独は味わったことはなかった。
そして、本気でわからなくなった。

なあ、「震災」って…「被災地」ってなんなんだ?

あの日以来、その単語を聞かない日なんてない。だけど、当たり前のように被災地っていうけど、具体的にどこのことを指すんだ?
青森のことか?岩手のことか?宮城のことか?福島のことか?茨城か?千葉か?東京か?
考えてみたら、それまで被災地と聞いて思い浮かべるのは東北のこと、空港周辺のことばかりだった。だけどそれは、全体のごく一部でしかない。正直なところ、都内や千葉で亡くなった方もいるのにまるで考えていなかったことに、文字どおりあらゆる地域の方からメッセージをいただいたことで気づくことができた。
メッセージをいただくまで、オイラの口にしていた「震災」や「被災地」って言葉に対する認識はあまりにも曖昧で、穴だらけで、なんの重みもないものだった。
いまのオイラにはこの震災がわからない。だから復興ってなんなのかもわからないし、これからの日本でどう生きてけばいいかもわからない。
それなのに、皆さんにお返事するわけにはいかない。その意味を理解できていないまま「震災」「被災地」なんて言葉を使うことはできない。
文字どおり、返す言葉がなかった。そんなとき、大尉さんからこんなメールが返ってきた。

チコさん、申し訳ございません。。。私の返信は大変遅いでございます。
チコさんのメールを貰ったから本当に喜んでいます。三ヶ月ぐらいアメリカへ帰りますがいつも日本が大好き。未来にはチコさんがアメリカにいらっしゃったら連絡なさって下さい!
日本人のほうが自然災害より強いとおもいます。がんばろう東北!

おおきにありがとうございます!

ガーブラクト・ロバート
米海兵隊の大尉


大尉さんは、わざわざ日本語で書いてくれた。「おおきに」はちょっと違うけど、大尉さんなりに日本語のくだけた表現を選んでくれたんだと思うと胸が熱くなった。
皆さんと同じ、魂あるメールだった。
すぐに返信しようと思ったさ。だけど、実はまだ出来ていないんです。
日本には言霊って言葉がある。
魂ある言葉には、魂ある言葉で返すのが人として当然のこと。
そんな当たり前のこともせず、本当はこれっぽっちも元気じゃないのに「オイラは元気です」とか、うわべだけの言葉を並べ、自分はなにもわかっていないことを自覚しながら、大尉さんにお返事する。そんな誠意のない真似が出来るか。
そんなのが絆で、そんなのがトモダチだというならクソ食らえだ。

だけど、結局オイラは、皆さんにも大尉さんにも返す言葉を見つけることはできなかった。
「せめてデブリーフィングはちゃんとやらなきゃ…」って、本を書くことしかできなかった。
本を書き終えようとしていた7月9日。ちょっとばかしお出かけをして、キャンプ富士まで行ってきた。コゼニスキー大佐と再会する数少ないチャンスだったから、本当は会わす顔なんかないくせに会いにいったんだ。
大佐はオイラの顔を見た瞬間、すぐに気づいてくれた。みんなが作った「ありがとう作戦」のワッペンを渡したらとても喜んで、キャンプ富士のワッペンと交換してくれた。そして、最後の方にこう言ったんです。「もっと多くのことができたらよかった」って。



信じられるか?ドヤ顔で自慢してもいいスゲーことをやりながら、あれ以上の支援があるわけねえってくらいの仕事をしときながら、そんな言葉が出てくるんだぜ?
まったくたまったもんじゃない。そんな立派な人からコインをいただいた身にもなってみろ。安っぽいコインがメチャクチャ重く感じんだろうが。
冗談じゃねえよ、本当に。どいつもこいつもよ。オイラをなんだと思ってんだよ?オイラはどうすりゃいいんだよ?
それが、どうでもいい日記を書いてお茶を濁してきたこれまでの日々。

…そして、この砂浜まで来た。

滑走路端のARIGATOを描いた場所には、なにもなかった。もう本当に、なんにもなかった。Googleマップも含めて確認したから間違いない。

「ああ、もうないんだ」って、結構普通に思った。そうか、もうないのかって。



とりあえず、腰を落ち着けた。
優しい潮騒。穏やかな時間。たまにやってくる飛行機。
なにもない砂浜で、震災前にそうしていたように静かにたたずんでいたら…。
なんか…段々腹が立ってきた。無性に腹が立ってきた!!

スターウォーズの皇帝陛下がいたら絶対に「お前の怒りを感じるぅ…」って言うくらい腹が立ってきた!!!

なにもない砂浜?…違うぞこの野郎!!!!

オイラだって、この震災で知ったことが一つある。
一見するとなにもないこの砂浜からでも、はじめられることがある。伝えられることがあるって。

チコ@ありがとう作戦. 『2月3日に、仙台空港に行ってきました』. mixi, 2012年02月11日 01:06.

 「ありがとう作戦」のmixi日記がネットで大量拡散されたのは、当初彼が日記に転載フリーと但し書きをしていた事もその原因の一つではあるが、米軍の活躍ぶりが今一つ報じられていないためもっと世の中に知って欲しいという考えで、当初は本人も拡散意向を持っていた事もあった。[>>15]

 ところがその2週間後の報道による実際の反響は本人の想像を遥かに上回る物であり、全くの想定外の規模の反響と被災各地からのメッセージが来た事で、彼自身の認識に少なからぬ変化があったようである。



「ありがとう作戦」が書籍化


(宝島社)
 上記の日記で本を書いていた事が言及されていたが、それは震災から5ヶ月後の2011年8月に出版された書籍版『オイラのありがとう作戦』の事である。
 これは既出のmixi日記をまとめたものではなく新たに書き下ろされた全222ページのフルサイズの書籍である。

 「日本人の気持ちを代弁した行動」という世の中からの「ありがとう作戦」の受け取られ方とはこの本のアプローチは正反対で、震災後の被災地での精神的な極限状態において自分の半生を振り返るというひたすら内的な描写が赤裸裸に綴られ、そういったパーソナルで内的な背景から「ありがとう作戦」の実行に至った経緯が書かれている、ある種独白録的な性格の強い著書である。

 この「ありがとう作戦」が、空軍特殊部隊を投入するなどトモダチ作戦にかける米軍の本気度に、無類の飛行機好きであり震災2ヶ月前まで自衛官だった彼が感銘を受けた事が動機で行われたという点に関してはmixi日記でも説明されていたが[>>16]、実際のところ津波で壊滅した故郷を目撃したトラウマから落ち着き始めた頃に自然に出て来た感情だったという。[>>17]


震災4日後の3月15日、仙台空港北側にある養豚場「名取ファーム」から流され冠水した県道上で死んでいる豚。名取市杉ヶ袋。チコ氏撮影。 (チコ@ありがとう作戦)[>>18]
 仙台空港の近くで生まれ育った彼にとって仙台空港とその近くの北釜海岸は、彼が17歳の時に他界した亡き父の思い出の場所でもあり、その空港を蘇らせた米軍に被災前の同海岸の風景写真のフォトブックを持って訪問し、その海岸に感謝メッセージを作った事への伏線となっているように見える。[>>19]

 そしてmixiで手紙の英訳者を探したという以外は人集めをする訳でもなく徹頭徹尾個人行動だったこの「ありがとう作戦」だが、それを発見した空軍大佐が救援物資輸送のハブ空港として仙台空港確保の必要性を軍に提言しそれを実行した張本人であり[>>20]、それが丁度仙台空港の整備がほぼ完了し米軍が撤収する直前というタイミングだったなど偶然が重なった結果、地上文字にえらく感動した空軍大佐が空軍サイト上のコメンタリーだけでなく日本メディア向けの記者会見でも言及したために全国紙で報道され、被災者を代表して日本政府公認の感謝メッセージを米軍に送った事になってしまったというミラクルストーリーがこの「ありがとう作戦」の顛末である。





映像で残る被災記録とありがとう作戦の記録


3月17日、北釜海岸沿いにあった乗馬苑「ベル・シーサイド・ファーム」から流され仙台空港の近くで瓦礫の下敷きになって死んでいる馬。名取市下増田北釜地区。チコ氏撮影。 (チコ@ありがとう作戦)[>>21]
 書籍版『オイラのありがとう作戦』に書かれている震災時のエピソードに関連する一連の写真が同書やmixiフォトアルバムに掲載されているが、彼は東北芸術工科大学で映像技術を学んだ元々その道の専門であり、「ありがとう作戦」のようなシチュエーションの活動としては関連する映像記録が豊富に残っている珍しいケースでもある。

 チコ氏は名取市の実家に戻った翌日の3月15日と17日に、まだ冠水し家畜の死骸が散乱していた仙台空港周辺や、大量の津波瓦礫や遺留品が打ち上げられ自衛隊が捜索活動を行っていた北釜海岸を撮影しているが、その光景を自らの目で見届け写真に記録する事で、自分が幼少期を過ごした故郷が被災し破壊された現実を受け入れたという。[>>22]

 そして17日朝に北釜海岸で仙台空港に着陸する海兵隊のCH-46Eシーナイトヘリを目撃した事でここに米軍が来た事に気付いたというが、それでその前日の3月16日朝に空軍特殊部隊が空港の飛行場機能を仮復旧させていた事を知る事となった。[>>23]

 この2日間にチコ氏は200枚余りの津波数日後の被災写真を撮影しており、その一部は彼のmixiフォトアルバムに当時から掲載されていたが、瓦礫の直撃を受け大破した住宅、近くの養豚場から流され大量に散乱している豚の死骸、瓦礫の下敷きになって死んでいる乗馬クラブの馬、モーターボートや貨物コンテナや乗用車が打ち上げられている凄まじい状況の海岸、津波で大破した防潮堤、根こそぎ消滅した海岸沿いの住宅街など、彼自身が目撃した生々しい被災状況がそこには映されている。
 その時の現地の状況の詳しいエピソードも書籍版に書かれている。


ありがとう作戦当日の北釜海岸

 チコ氏は震災1周年の昨年になって、「ありがとう作戦」当日の2011年4月1日に地上文字を作る直前に北釜海岸で撮影した数枚の写真をツイッターで初めて公表している。本人は「今まで生きて来た中で一番寂しい風景」だったと表現している。[>>24]

 震災1周年の特集番組の取材を受けた際にも、かつて人が暮らしていた穏やかな風景が全て瓦礫の山になり、動物の死骸が散乱する地獄絵図の中からこの地上文字が生まれたという事が全く理解されていないといった苦言もチコ氏はmixi日記でも書いていたのだが、飛行機から見れば感動的な美談に見える地上文字でも、実際彼が地上で撮影した写真には生々しい津波の爪痕が映されている。

 2011年4月1日、津波の流れた跡が砂上に残り、遺留品や瓦礫や動物の死骸などが散乱する死の砂浜と化した北釜海岸。近くの養豚場「名取ファーム」で飼育されていた豚の死骸は震災から3週間経ち既に風化が進んでいる。[>>18]


2011年4月1日。「ARIGATO」の砂浜にて。描く前に撮影したもの…
same_desu. 『2011年4月1日。…』. Twitter, 2012年3月11日 11:42.

同じく砂浜。何だかんだで公開しそびれてたから、この機会にいくつかあげます。
same_desu. 『同じく砂浜…』. Twitter, 2012年3月11日 11:48.

同じく4月1日。
same_desu. 『同じく4月1日。』. Twitter, 2012年3月11日 12:00.

同じく。
same_desu. 『同じく。…』. Twitter, 2012年3月11日 12:01.

散々迷ったけど、これも。
same_desu. 『散々迷ったけど、これも。…』. Twitter, 2012年3月11日 14:00.

そしてこれも。
same_desu. 『そしてこれも。…』. Twitter, 2012年3月11日 14:14.

空から、そして唯一公開してた地上からの写真には写ってないけど…あの「ARIGATO」は、この中から生まれた。
same_desu. 『空から、そして唯一…』. Twitter, 2012年3月11日 14:18.

同時に…その一人ぼっちの寂しい砂浜に、力強く舞い降りてきたコンバットシャドウにどれだけ勇気づけられたかもわからない。
same_desu. 『同時に…その一人ぼっちの…』. Twitter, 2012年3月11日 14:35.

柱や梁、板切れ。自分が手にしているものがなんなのかはわかっていた。ついこのあいだまで当たり前の生活があった場所。誰かの我が家。誰かの幸せ。そのカケラだった。

 この時点で依然行方不明者が多く、この日4月1日より3日にかけて三県で日米合同の集中捜索が行われている[>>25]。ここ名取市の犠牲者は最終的に982人に達した。[>>26]

 馬や豚など移動に人手の要る大型家畜の死骸はその後も殆ど手つかず状態で、犬や猫などのペットなど所有者がいると見られる動物は自衛隊も移動出来ず毛布がかけられた状態で現地にそのままあったという。
 4月13日の空港再開の日の日記『RTB』でチコ氏が仙台空港で警官と話した場面があるが、その脇にも腐敗しどろどろの液を出している犬の死骸があったという。またその日にも上記写真の馬や豚は同じ場所で腐敗を続けていたそうだ。[>>27]

 文章や映像では直接は伝わって来ないが、チコ氏は被災地独特の臭いを泥と海水と油と腐敗臭がない交ぜになったものだと表現している。[>>28]


ありがとう作戦の2週間前の3月17日、大量の遺留品が打ち上げられている北釜海岸で捜索活動を行う陸上自衛隊第35普通科連隊。チコ氏撮影。 (チコ@ありがとう作戦)

 なお、この「ARIGATO」は米軍だけでなく、自衛隊や警察など当時引き続き捜索活動を行っていた人達全般にも向けられたものだとチコ氏は当時日記で書いていたが[>>29]、実際、大手メディアの報道以前に陸自のヘリ隊もこの地上文字を発見していて当時「砂浜にARIGATOがあった」と霞目駐屯地内で話題になっていたという。[>>30]



海兵隊に渡したフォトブック


仙台空港正面の駐車場に設けられた米軍臨時キャンプのテント群。左上のドーム型天幕がチコ氏がコゼニスキー大佐と面会した指令作戦センター。4月2日頃撮影。 (Nathan A. Bailey/Stars and Stripes)[>>31]
 チコ氏が4月1日に仙台空港で海兵隊にお礼の手紙とともに渡したフォトブックに収録されていたのは、震災2ヶ月前の2011年1月13日と17日に撮影された名取市沿岸部の写真である。

 フォトブックを持参した動機に関して、被災後の荒れ果てた風景しか知らない米軍にこの海岸の本来の姿を見て欲しかった事、そして米軍の支援にいかに感謝しているかを示すためにこちらがいかに郷土を愛し誇りを持っているかを伝えたかったとmixi日記と著書で説明している。[>>32]

 また写真の配列に関しては、仙台空港から貞山堀沿いに閖上漁港まで歩き、そこから閖上浜に出て仙台空港近くの北釜海岸まで戻ってくるという、アメリカから来た客人をバーチャルに被災前の名取の海岸を案内するというコンセプトにしたという。[>>33]
 この辺りも美大出身者らしい発想である。


 様子をうかがっていたほかの海兵たちが寄ってくる。
 汚しちゃいけない大事なものでも扱うかのように、手紙を手にして読み始める。それから、大尉と一緒にフォトブックをまじまじと見始めた。
「ビューティフォー!」「ナイス!」と口にしながらヒューッ!と口笛を吹いたりしている。数分前までのその恐さはどこへやら、だった。
「きれいな写真ですね」と大尉。「これって、仙台空港ですよね?」
「そうです。この写真はすべて、この周辺を今年の1月に撮影したものです」
「そうなんですか」大尉はほんの少し悲しげな表情を浮かべた。

仙台空港





貞山堀河口付近















閖上漁港







閖上浜〜北釜海岸

























「Hey!」一緒に外に出た大佐は、ぼくを呼び止めると、抜けるような青空を見上げ、フォトブックをヒラヒラさせながら何ごとかを英語で話した。「Beautiful」「Sky」「Photo」 聞き取れたのはそんな単語だけだったけど、充分だった。
「きれいな空じゃないか。そうだろう? 君の写真とおなじくな」
 ぼくもにっこりと笑った。「きれいな空です」
 お互い、自分の意思が通じていると確信していた。そこに言葉の壁なんてどこにもなかった。

 トモダチ作戦に関わった米軍関係者は一様に、最初に到着した時に目にした現地の惨状にショックを受けたと語っているが、そこに地元の人が震災前の美しい風景写真を持って現れたというハプニングは、恐らく米軍の災害支援の歴史でも前例のない事であり、海兵隊にとってもちょっとしたサプライズだったのだろう。






チコ氏の震災2周年のコメント

 チコ氏は昨年秋より福島第一原発で作業員として働いていたが、今年の初めに事故で指切断の重傷を負い現在名取市で療養中。アリガトウ作戦以降の方がむしろ波瀾万丈ではある。


チコ@ありがとう作戦 2013年03月12日 05:30
お久しぶりです。
昨日で震災から2年が経ちました。それぞれの想い、それぞれの2年を振り返る一日だったと思います。
自分の方もご無沙汰しているこの1年の間に、彼女さんと別れて現在彼女ぼしゅーちゅーだったり、福島で原発作業員やってたら事故って指を二本ほど切断して短くなっちゃったりとかいろいろありしましたが、案外元気でやってました。

これまでの2年間を支えてくださった皆様にありがとう、と同時に、3年目のこれからに、多くの幸せがあることを願って。

チコ@ありがとう作戦. 『お久しぶりです。…』. mixiコミュニティ『ありがとう作戦』, 2013年03月12日 05:30.



オペレーション・アリガトウ
  1. オペレーション・アリガトウ (2011-4-24)
  2. 仙台空港の再開 --- 米軍特殊部隊による空港回復作戦 (2012-11-10)
  3. ありがとう作戦 その後 (2013-3-14)




書籍版のありがとう作戦

オイラのありがとう作戦
著者:佐々木直人(チコ@ありがとう作戦)
ISBN 978-4-7966-8447-7
出版社名 : 宝島社
発売日 : 2011年8月5日
税込価格 : 1,260円

mixi日記で話題となった感動のエピソード

米軍さん、そっちがトモダチ作戦ならこっちは、ありがとう作戦だ!」
砂浜に流木で「ARIGATO」と書いた青年の物語
ネットで30万アクセス!
世界が涙した

震災復興支援、広がる感動&感謝の輪!

ある日突然、無名の青年のmixi日記が大騒ぎに。1000人が「イイネ!」ボタンを押し、「コメント」は200件を記録(いずれも機能の上限の数)、足跡(その日記を読みに訪れた人の数)は30万件にも及びました。日記のタイトルは、「Operation Arigato!!」。東日本大震災における米軍の救援活動「オペレーション・トモダチ」を目の当たりにした青年は、「そっちがトモダチ作戦なら、こっちはありがとう作戦だ!」と、たった一人で仙台空港に向かったところ……。国境を越えた友情の物語に感涙と絶賛の声多数。今、あなたは誰にありがとうと伝えますか?

目次
プロローグ
第1章 東京(3月11日~3月13日)--オイラの故郷を助けてください
第2章 宮城(3月14日~3月27日)--空港周辺も、なんにも残ってませんでした
第3章 ありがとう作戦(3月27日~4月1日)-ヒーローなんかになれなくたって、「ありがとう」を言うことはできる!
エピローグ 届いたメッセージ。つながるきずな
故郷・宮城の写真
mixi編

佐々木直人(ササキナオト)プロフィール
1985年生まれ。宮城県名取市出身。
東北芸術工科大学卒業後、陸上自衛隊に入隊。のちに退職。東日本大震災後、米軍の大規模な「トモダチ作戦」に対し、たったひとりで「ありがとう」を伝えに言った。

『オイラのありがとう作戦』 (佐々木直人). 2011年8月5日. 宝島チャンネル




余談

地上文字の実際の大きさ

 この地上文字の航空、地上写真の双方ともに写真上の比較オブジェクトに乏しいため大きさが実感しにくいのだが、この「ARIGATO」メッセージの実際の大きさは約9×30mである。[>>34]
 これはさしずめ学校のプール規模に相当する大きさであり、使用した木材も大きい物は4-5mの長さはあるだろう。

 この大きさの水を吸った木材のこの量を運ぶのはかなりの重労働であり、20年以上の災害支援経験のあるトス大佐は飛行機の上から即座にそれを理解したのである。

Google Earthの「過去のイメージ」(2011年4月6日取得) に映っている地上文字の画像より計測。実際の数値は9.02m x 29.56m。 (Google Earth)




余談2:

「ARIGATO」の現場はその後・・・

 チコ氏が2012年2月に撮影した写真では雪が積もっている海岸に何か2本の線が一直線に伸びていたのだが、これは堤防工事用の仮設道路か、又は建設途中の仮設堤防と見られる。この海岸に2012年2月時点には土嚢を積んだ仮設堤防が作られていたようである。[>>35]

 地上文字の寿命は1ヶ月程度だったようで、Google衛星画像ではありがとう作戦1ヶ月後の2011年5月3日の時点でほぼ砂に埋もれて消えかかっている。
 Google衛星画像で正確な位置を比較すると、地上文字のあった場所は仮設堤防の位置にはぎりぎりでかかっていないようであり、現在でも同じ場所に埋まっているのかもしれない。

 同海岸は現在津波で大破した防潮堤の再建工事中であり、2013年3月末まで立ち入り禁止となっている。


北釜海岸の変遷(Google衛星画像)(最新→過去)

2012年4月12日
現在のGoogle衛星画像。ありがとう作戦1年後。仮設堤防が作られている。
*カーソルを合わせると地上文字の位置を表示。

Google Map

2011年5月3日
ありがとう作戦1ヶ月後。ほぼ消えかかっているが、砂の流れに文字があった痕跡が残っている。
*カーソルを合わせると地上文字の位置を表示。


2011年4月6日
ありがとう作戦5日後。「ARIGATO」の文字が確認出来る。


以下はありがとう作戦以前の画像。

2011年3月28日


2011年3月27日


2011年3月24日


2011年3月17日
チコ氏がこの海岸で自衛隊の捜索活動を撮影した日。


2011年3月14日


2011年3月13日


震災前
2009年8月14日






資料

「ありがとう作戦」へのネットでの反響

・米兵の中に入って行くのは元自衛官でも勇気が必要だったのか。行動力やフレンドリーな米兵達に頭が下がる思い。

・人間対人間の素晴らしい交流

・政治的意図などない純粋な行動

・思いやり予算などいろいろ問題はあるが、援助してくれた事に対してはきっちりお礼を伝える事が大事。

・筆者にもありがとうを言いたい。よくやってくれた。

・自衛隊や支援部隊やボランティアを見かけると祈っていた。この人の行動を見て、感謝を伝えないでどうすると思った。

・アメリカ兵の中には正式許可が出る前に支援を始めたニュースもあった。感謝を伝えるのは照れくさかったりきちんと言えない事もある。ましてや相手がアメリカ人だと余計そう。でもやはりありがとうをきちんと伝える事は大事だと思った。子供にも読ませたが思うところがあったようだ。

・まだまだ日本も捨てたものじゃない。

・軍の支援に感謝していた一日本人として粋な事をやるもんだと嬉しく思っていたら、これが一人の一般人の心温まる行動によるものだと知った。

・一人の日本人がアメリカを感動させた。言葉に表せないくらい感動した。

・気持ちを米軍に伝えた心意気が素晴らしいが、対応してくれた軍人も人として尊敬する。肩書きがどうであれ皆一人の人間なんだと思い知らされるエピソード。

・米軍の支援にも、ありがとうと伝えた彼のどちらにもありがとう。

・一人で書いた物とは知らなかった。何のつてもないのに一人で基地に乗り込んだ勇気も立派だけど、それを受け止めてくれた米軍も素敵。心で繋がるもの。

・こういう思いでの行動だった事や米軍の本気の支援など知らない事ばかりでとても驚き感動した。

・震災で本当に存在感を見せつけた米軍、そして基地問題。様々な政治要因があっても、今は素直にありがとうを言いたいと思う。

・自治体関係者と出ていたが、元自衛隊員のmixiユーザーだった。

・感謝の気持ちをここまで持って実行した事に感激した。

・こんな経緯があったとは知らなかった。なにこれ熱い。

・粋な計らいに感動。

・自分が何を出来るかを考えて実行する力と覚悟が欲しい。

・背景が分り素直に感動した。米軍とのやり取りの時の感情が伝わって来た。

・ありがとうを伝えてくれてありがとう。有志でなく一人の行動に兜を脱いだ。

・こういう人が日本にいる事が素晴らしく、自分も日本人である事を誇りに思えた。

・感謝を行動で示す事がどんなに素晴らしい事か。

・重労働だったようだ。

・どろどろになった体育館をきれいにしてくれた米軍にありがとうと言いたかった。

・彼の行為一つでどれだけの人が感動し明日への力に繋げられたか。

・まっすぐな思いがしっかり届いた。アリガトウを敢行してくれて惜しみない拍手と感謝の気持ちでいっぱい。心が洗われる。

・米兵とのやりとりも心温まる話。

・皆さんの想いが被災者に届きますように。

・誰かが動いてくれているから復旧出来るのだから。

・地域総出で木を集めたのだと思っていたら一人でやったと知ってじーんと来た。

・今やれる事を少しでも続ける事が大事。頑張ろう。

・現地の米軍は現場を見て人として感じて行動してくれたと思う。その彼等にただ一途に感謝の想いを伝えたいと奮闘した元自衛官の青年の想いに感動した。それが伝わった彼の喜びを伝えたいと思った。

・5時間もの長い時間をたった一人で痛みと疲労と闘いながら成し遂げたその強い想いに感動した。

・この浜辺のメッセージにはこんなエピソードがあった。

・仙台の被災者が大勢で作ったのかと思っていた。飛行機から見えるように書くにはかなりの重労働だった筈なのにそれをたった一人で作った。一人の心が多くの人の心を動かした事。一番大切なのは心。

・被災地の「漢」さんの心意気に感動。

・足を取られる砂浜で素手でやったこの労力半端じゃない。あの修羅場にかけつけた海兵隊に対しての感謝の気持ちと、海兵隊の思いやりなど、熱い気持ちが伝わる。ある意味米軍が同盟で良かった。アメリカは本気だった。ありがたく思う。これだけ米軍が本腰入れているのにメディアの取り上げが少ない。

・人々の交流はとても暖かく善意に溢れ「感謝と敬意」が満ちている。チコ氏の心情はまさしく支援を受ける我々が共有出来る感情だ。在日米軍が市民より与えられる「善意と成果に対する報酬」は恐らく彼等自身の想像を越えるだろう。

・自分より困っている人がいるのに結局行動に移す勇気がない。行動に移したあなたは凄い。米軍も凄い。

・あなたがカッコよ過ぎ。尊敬する。

・報道を見ていろいろ不思議だった。どういう経緯で誰がどうやって書いたのか。一人で4時間もかけて手を血だらけにして作ってくれた人がいた。






関連動画

第3海兵遠征軍と海兵隊太平洋基地の幹部が
復興の進展を賞賛
(日本語字幕)
第3海兵遠征軍/海兵隊太平洋基地 2012年1月26日

第3海兵遠征軍と海兵隊太平洋基地チームのメンバが仙台空港を訪問した。数万人の犠牲者を出し莫大な損害を出した2011年3月11日の本州を襲った地震と津波の被災以来、沖縄にベースを置く海兵隊は日本政府への支援提供のために本土に展開した。この空港は深刻な被害を受け、本州の北部への救援物資の難所となった。トモダチ作戦において空港の復旧活動の先頭に立ったのは、兵站部隊の指揮官を務めたジム・ルビーノ大佐である。
[訳・字幕=岩谷] (原文:英語)
3mefcpao. "III MEF, MCIPAC Leadership Applaud Restoration Progress", YouTube, 2012/01/26 .




関連記事

「ARIGATO」は芸工大卒業生記す 名取の砂浜、米軍へ感謝伝える
2011年05月05日 10:05


浜辺に木を並べて記した「ARIGATO」の文字の一部=宮城県名取市(佐々木直人さん提供)
 東日本大震災の人道支援に当たった米軍に向け、仙台空港(宮城県名取市)近くの浜辺に木を並べて「ARIGATO(アリガトウ)」の文字を記したのは、名取市出身の東北芸術工科大(山形市)卒業生だった。

 2009年に同大映像コースを卒業した佐々木直人さん(25)=東京都=で、昨年自衛隊を辞め、今は求職中だ。

 佐々木さんの家族と実家は無事だったが、実家に住む母、妹、弟が心配で3月14日に帰郷した。その際、小さいころからよく行った空港付近を訪れ、惨状を目の当たりにし、絶望感に襲われた。空港で復旧活動に尽力していたのが米軍で「自衛隊や消防への感謝はもちろんあったが、自分の故郷のために異国の人が頑張ってくれている。感謝を伝えなければ」と感じたという。

 佐々木さんは中学生のころから写真を撮り続けている。4月1日、佐々木さんが撮った震災前の名取市沿岸部の写真を添えたお礼の手紙を、空港で作業する米軍海兵隊に渡した。大佐は「家族は無事だったか」と気遣ってくれたという。

 その足で空港そばの砂浜に立ち寄り、空から見えるように、打ち上げられた木材などを使って感謝の言葉を並べた。中には民家の残骸もあった。誰かの思い出が詰まっているであろう木材を一つ一つ運んで並べた。穏やかな海に腹が立った。感謝を伝えたい一心で書き始めたが、途中「実家も家族も無事だった自分がこんなことをするのは道楽ではないか」と葛藤にも襲われた。

 「米空軍指揮官が『アリガトウ』の文字を見つけ感激した」という報道があった4月中旬以降、佐々木さんが日記を掲載する交流サイト「ミクシィ」には約1000件のメッセージが寄せられた。非難されてもおかしくないと思っていたが、多くは「ありがとうと伝えてくれてありがとう」という反応。家族や友人を失った人たちからも長文のメッセージが届いた。佐々木さんは想像以上の反響に「気が引ける」と恐縮しながらも「素直にありがとう、と思っている」と話している。

関連サイト:

静かに立ち去った米軍 (maclalala2 2011年 4月 14日)


資料

2011年4月当時に「ありがとう作戦」のmixi日記を転載又は紹介したサイト

この他にTumblrで385ユーザーがリブログしている。

記事名の横:
・グレーの数字:Topsy集計のツイッターにリンクが貼られた数。
・ users:はてなブックマーク。
・LINK:Ceron.jp集計のはてブとツイート。

掲載日記欄:
・読:読売新聞
・朝:朝日新聞
・毎:毎日新聞
・産:産経新聞
・m:mixiニュースの読売記事
・Y:Yahoo!ニュースの読売記事
・B:Boglobe掲載の読売記事
・山:山形新聞
・[ ]:鉤括弧表記は記事リンクのみ
・4/3:日記「Operation Arigato!!」
・4/11:日記「Operation Arigato!!外伝」
・4/17:日記「ごあいさつ的なもの」
・トス:横田基地ウェブ掲載の米軍トス大佐のコメンタリー
・抜:抜粋。表記なしは基本的に全文

記事名サイト名日付掲載日記情報源
 
4月14日
ありがとう作戦 [1] [2] 8耐への挑戦! 4月14日 19:39 4/3, トス mixi
 
4月16日
ありがとう マッコののほほん日記 4月16日 22:06 読, 4/3 mixi
【ありがとう】仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激 [ログ速] (599, 606, 618, 632, 639, 650, 661) 2ちゃんねる 4月16日 22:14 読, 4/3 mixi
(転載)ARIGATO作戦ご本人の日記。 テッコちゃんが行く!!! 4月16日 22:24 [m], 4/3
仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激 まめとの子供たち 4月16日 22:37 [読], 4/3
ARIGATO 20110201。 4月16日 22:44 [Y], 4/3 mixi
【とある方の転載日記-Ⅰ】Operation Arigato!!
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ekko 4月16日 23:04 4/3
【ありがとう】仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激 テツテツのポケットの中の宇宙 4月16日 23:13 [m], 4/3 mixi
4 ぽーちゅらかん日記 4月16日 23:36 [毎], 4/3 mixi
 
4月17日
Operation Arigato!! [海外日本記事] やまたま 4月17日 0:16 読, 4/3
operation 'ARIGATO' 道を歩いている人が 皆泣いているわけではないけれど 4月17日 0:42 [m], 4/3, トス mixi
ありがとう作戦
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今日の昼飯 (そんなypsilonな日々) 4月17日 0:59 [m][読], 4/3, 4/11 mixi
arigato USA GI !! 気ままブログ 4月17日 1:31 4/3
Operation Arigato!! ~mixi: チコ@ありがとう作戦さんの日記から ~ 「ニュース(233744)」[1] [2] のんびり、やさしく。 4月17日 1:44 [Y], 4/3, 4/11 mixi
ミクシーから 転載の記事(上) (下) ホーチミン暮らし 4月17日 3:39 4/3 mixi
砂浜の「ARIGATO」 みつおのブログ 4月17日 4:16 4/3 mixi
Operation Arigato!!
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ちょっと東北 行ってくる。 4月17日 4:46 4/3 mixi
【米軍】特殊部隊指揮官、機上から見た「ARIGATO」に感動 [うんかー] 105-106 2ちゃんねる 4月17日 5:41 時事, 4/3抜 mixi
自衛隊や米軍の基地祭・友好祭 16 [ログ速] 859-860 2ちゃんねる 4月17日 5:43 4/3抜 2ちゃんねる
【日米】「アリガトウ」の文字に感動-トモダチ作戦の米軍幹部[04/16] [ログ速] 76-77 2ちゃんねる 4月17日 5:44 産, 4/3抜 2ちゃんねる
拝啓 「トモダチ作戦」に参加されている合衆国軍全将兵の皆様…
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ARIGATO作戦  感涙もの
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『ARIGATO』に感動。 There will never be another you. 4月17日 15:29 [m], 4/3途中まで mixi
【勝手なひとりごと】 『Operation Arigato!!』 その1 その2 その3 その4
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4月18日
Operation Arigato!!
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Operation Arigato!!☆米軍ありがとう!!
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東日本復興の道 *コメント1-6 hot-buzz 4月18日 4:15 4/3抜, 4/11抜 mixi
operation arigato!!(転載記事です☆)  (続き) もっと。。。まいぺいす日記♪ 4月18日 9:14 4/3, 読 mixi
仙台の海岸に“ARIGATO” 【その①】 【その②】 どら焼き親父写真館 4月18日 9:33、19日6:23 読, 4/3 mixi
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「トモダチ作戦へのお礼 Operation Arigato!! (本人談)」 Sour winery 4月18日 4/3 mixi
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4月19日
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そっちがトモダチならこっちは「ありがとう作戦」だ!! [1] [2] [3] [4] [5] Yahoo!掲示板 (qaz*1*67a) 4月19日 14:48 4/3
ARIGATO [1] [2] [3] [4] [5] Yahoo!掲示板 (rintyan514) 4月19日 15:27 4/3 Yahoo掲示板
Operation Arigato!!  mixi チコさんの日記  Part 1  Part 2  Part 3 北斗砂姫の「ハンパ道をゆけ!」 4月19日 21:57 4/3, 4/11
ありがとう作戦
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New York美・食・遊のススメ 4月19日 4/3, 4/11
ARIGATOは、世界の言葉 本日は、晴天なり 4月19日 [毎], 4/3, 4/11
Operation Arigato!! の紹介 ☆ VIVA☆どいちゅ 4月19日 4/3, 4/11 NY美食遊
春。そして「ARIGATO作戦」
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☆ New Photoholic Days ☆(旧・New York Days) 4月19日 4/3, 4/11
 
4月20日
「ありがとう作戦」に、感動した~♪
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※ゆみこだっぴょ~ん※ 4月20日 2:17 4/3, 4/11
ある若者の「ありがとう作戦」 ためにの前向きな後悔 4月20日 7:41 4/3
ありがとう作戦 ザリガニ 4月20日 9:35 4/3, 4/11
ARIGATO 旅・ご飯日記 4月20日 21:48 [m], 4/3 mixi
ありがとう作戦 テレビでやってたアレ 4月20日 16:46 感想 ypsilon
ARIGATO作戦 徒然なる星空めぐり 4月20日 23:45 読, [トス], 4/3抜, 4/11抜
ARIGATO作戦 NY☆今日の一コマ 4月20日 4/3, 4/11 NY Days
 
4月21日
Operation Arigato!!
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入試課ブログ 4月21日 0:56 [Y][朝][テレ朝] 著者からのメッセージ
砂浜に残された「ARIGATO」 wheels of taxon 4月21日 1:05
仙台空港近くに書かれた「ARIGATO」の文字は、とあるmixiユーザーだった。 近未来少年派 4月21日 18:06 4/3抜 mixi
張本人を発見! wheels of taxon 4月21日 20:35 4/3 mixi
"Operation ARIGATO" CRYSTAL 4月21日 4/3 mixi
 
4月22日
Operation ARIGATO まあ ごゆるりと 4月22日 2:41 [トス], 4/3
"Operation ARIGATO" [3.11] マリリン☆の綴り♪ 4月22日 4:04 4/3 mixi
Operatin arigato   ma chambre 4月22日 21:15 4/3
 
4月23日
「ありがとう作戦」の裏側 ちょっと心が温まるニュース 4月23日 22:43 4/3抜 ypsilon
 
4月24日
ARIGATOの気持ち・  せかんど・しんぐる子供もいっしょ♪ 4月24日 1:11 4/3, 4/11 mixi
オペレーション・アリガトウ
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Red Fox 4月24日 23:25 トス, 3/28, 4/3, 4/4, 4/11, 4/11a 4/15, 4/17, トス会見 mixi
 
4月25日
ありがとう作戦 (19エントリーに分割掲載) †愛すべき我が人生† 4月25日 10:00 4/3, 4/11
米軍へARIGATOの顛末(長いよ) KJ CLUB 4月25日 21:33 読, 4/3, 4/11 ypsilon
仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激--読売--
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Don't Disturb This Groove 4月25日 22:09 読, 4/3, 4/11 KJ CLUB (転載)
 
4月26日
善意の報酬【ぜんいのほうしゅう】
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現代用語のクソ知識2012 4月26日 感想 Red Fox
 
4月27日
尊敬! REAL DAYS☆ 4月27日 4/3, 4/11
震災あれこれ。。。 仙台HAPPYLIFE 4月27日 [産], 4/3 Twitter
 
4月29日
Operation Arigato!! : from mixi of チコ@ありがとう作戦さんの日記 From Japan 4月29日 0:05 4/3, 4/11 mixi
 
4月30日
たったひとりの『ありがとう作戦』 エラー691 4月30日 2:07 [m][読], 4/3, 4/11 mixi
 
2011年5月
ありがとう作戦 personal volunteer activity 5月3日 4/3 mixi
【東日本大震災】砂浜に木を並べ「ARIGATO」米軍のトモダチ作戦へ感謝伝える…芸工大卒業生の元自衛官が記していた [ログ速] 96-102 2ちゃんねる 5月6日 22:22 山, 4/3
感動 東海道線のコパカバーナ 5月7日 8:15 4/3, 4/11
発見!ありがとうの文字の真相 つれづれ日記 5月18日 13:53 4/11 Tumblr
 
2012年
Operation Arigato!! 東北日記 2月7日 22:44 4/3
ARIGATO作戦 泣けるまぁちゃんねる 3月11日14:46 4/3, 4/11

書籍『オイラのありがとう作戦』を紹介しているサイト

記事名サイト名日付
 
2011年
オイラのありがとう作戦って本 カルマンギア 8月8日
書籍「オイラのありがとう作戦」が感動 テレビでやってたアレ 8月9日
オイラのありがとう作戦
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入試課ブログ 8月13日
【感想】第63回ほんわか読書会in神戸(大阪・神戸・京都) ほんわかカフェ読書会 in 大阪・神戸・京都(関西)☆ 10月2日
オイラのありがとう作戦 新世界読書放浪 10月10日
2011検索ワードランキング 10位~8位
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入試課ブログ 12月24日
 
2012年
今日の昼飯抜き 2012.4.1
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今日の昼飯 4月1日
『オイラのありがとう作戦』読んだ
くもわた 11月28日
 
読者レビューサイト
オイラのありがとう作戦
はてなブックマーク -
読書メーター

Togetterの関連ツイートのまとめ:

[exblog] ありがとう作戦 (togetter 2011/04/17)
Mixi発 ありがとう作戦  (togetter 2011/04/20)




脚註:

  1. ^ 米海軍撮影のこの写真はFlickr等での写真キャプションでは女川町と説明されているため、外務省サイトでもそのように表記されているが、これは実際は女川より25km北にある南三陸町旧歌津町地区の名足 (なたり) 小学校の校庭である。海岸近くにあったこの学校は津波で1階部分が流され使用不能になり、現在は同町内の伊里前小学校の校舎を借りて授業が行われている。 この地上文字は学校の校庭に消石灰で書かれたものである。

    U.S. Pacific Fleet. "110323-N-1003M-097". Flickr, March 23, 2011.

    米海軍撮影の別アングルの写真:

    U.S. Pacific Fleet. "110323-N-8646H-001". Flickr, March 23, 2011.


    4月10日に現地入りをした人による写真と動画

    youth_ceo. 『名足小学校とパンク社長』. 渋谷ではたらくパンク社長の告白, 2011年04月11日.

    tsukasayouth. 『名足小学校』. YouTube, 2011/04/10.
  2. ^ 平成23年版 防衛白書. 『「トモダチ作戦」について』. 防衛省・自衛隊, PDF版「特集」, p 20.
  3. ^ 『東日本大震災においてクローズアップされた日米の絆』 (わかる!国際情勢 Vol. 72). 外務省, 2011年5月20日.
  4. ^ 18th Wing History Office. "Team Kadena & Operation Tomodachi (Friend) 11 March - 13 April 2011". Kadena Air Base, April 26, 2012.
  5. ^ 2ちゃんねるなど一部では、報道された後に作者が名乗り出たと思われているような書き込みもあったが、実際はその逆の順序で、報道の結果既出の日記が大量拡散されたという顛末である。
    これら確認出来たブログと掲示板へのツイート数は計1912件だが、この他にTumblrの385のリブログのそれぞれにツイートがあって、中には数百にのぼる物もあり総数は集計していないが、恐らく5000件近くはあるのではないかと思われる。
  6. ^ 謝謝台湾計画は、4月11日に米、中、韓、英、露、仏の主要紙に日本政府が掲載した謝意メッセージが、義援金最大額の台湾の新聞に掲載されなかった事から、デザイナーの木坂麻衣子氏が呼びかけを行って実現した企画。 ・謝謝台湾計画.
    『「謝謝台湾計画」最終報告!』. You As A Friend ★ yosshiyのひとりごと, 2011/5/4(水) 午後 10:24.
  7. ^ 2011年4月22日付けの星条旗新聞に幸福の科学グループ、日本再生ネットワーク、沖縄の自由を守る会、公教育・学力再生を目指す会のクレジットでトモダチ作戦への感謝を伝える意見広告が掲載。『米軍への感謝のメッセージ』, ハピネスレター ☆ 幸福実現党, 2011/05/05. ; 『もうひとつ意見広告「トモダチ作戦、ありがとう」』, いつも気分は・・・, 2011/05/05 11:17.
    同年5月11日にワシントンタイムズの紙面に環プロジェクトによる「ARIGATO」の意見広告が掲載など。これは謝謝台湾計画と同様に、広義での米国からの支援への感謝というコンセプトだが、NPO団体が政治家や著名人を賛同人にして行ったこのプロジェクトの情報が一般公表されたのは紙面掲載の前日であり、謝謝台湾計画のように一般公募で募金を募ったものではない。『Arigato Project』. WA Project.
    WA project. 『Arigato Project 始動!』. Facebook, 2011年5月10日 17:52. ; 『秘密のお願い』. Facebook, 2011年5月10日 3:45.
  8. ^ 読売新聞. 『仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激』, Yomiuri Online, 2011年4月16日17時45分. ; 画像:ミー太郎倶楽部.
  9. ^ 『ありがとう作戦~TOKYO OPS~』. 「ありがとう作戦」コミュニティ. mixi, 2011年04月16日 09:24.
  10. ^ same_desu. 『「こないだのスナイパー幼女のつぶやき…』, Twitter, 2013年4月6日 - 20:08.
  11. ^ チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』(コメント欄), mixi, 2011年04月03日 15:21.
  12. ^ チコ@ありがとう作戦. 『Operation Arigato!!』, mixi, 2011年04月03日13:44.
  13. ^ 同 P130-139
  14. ^ 海岸から1.3km、仙台空港の北東側の名取ファームでは2,000頭の「蔵王ありが豚」が飼育されていたが、津波で5棟の豚舍は壊滅、2000頭のうち97頭しか生き残らなかった。
    『有限会社名取ファーム 髙橋通義さん・清美さん』. 復興支援メディア隊 For Our Children, 2011/11/20 .

    『災害支援金のお願い「蔵王ありが豚」』. 蔵王ありが豚 HOPEFUL, 2011/03/29 09:10 .
  15. ^ 『オイラのありがとう作戦』P31-32
  16. ^ Fackler, Martin. "U.S. Airmen Quietly Reopen Wrecked Airport in Japan", New York Times, April 13, 2011.
  17. ^ 同乗馬クラブでは41頭の馬のうち39頭が津波で死亡し、スタッフ1名が行方不明となった。 現在は生き残った馬に知人より譲り受けた馬を加え、2011年8月に仙台市太白区の森林スポーツ公園内で「ベル・ステーブル」として再開された。
    『名取乗馬苑 ベル・シーサイド・ファーム 』.
    『乗馬クラブ ベル・ステーブル 』.
    『再出発へ人馬一体/乗馬クラブ代表・鈴木嘉憲さん=名取市』. 河北新報, 2011年07月14日.
    『震災をバネに (仙台市秋保)』. 宮城県復興応援ブログ ココロ♡プレス, 2012年1月16日.
    『☆支援活動報告②』. ★**Happy Life**★, 2011-03-26 23:50:31 .
  18. ^ 『オイラのありがとう作戦』P102-104、116
  19. ^ 『オイラのありがとう作戦』P117-118
  20. ^ ここでの「寂しさ」とは虚無感のニュアンス。(『オイラのありがとう作戦』P175)
  21. ^ 『東日本大震災における被害等状況』. 宮城県, 2011/9/30 17:00. (PDF)
  22. ^ 本人談。
    なお、動物に関する処理は各自で行うよう行政から通達が出されていたという。
    『☆支援活動報告②』. ★**Happy Life**★, 2011-03-26 23:50:31 .
  23. ^ 『オイラのありがとう作戦』P96-97
  24. ^ チコ@ありがとう作戦. 『RTB』, mixi, 2011年04月15日 03:30.
  25. ^ 本人談。震災時に霞目駐屯地に展開していた陸自のヘリ隊所属の自衛官からのパーソナルメッセージによる。
  26. ^ Robson, Seth. "U.S. troops making best of situation at Sendai Airport", Stars and Stripes, April 4, 2011.
  27. ^ 『オイラのありがとう作戦』P143
  28. ^ 『オイラのありがとう作戦』P146-147
  29. ^ 2ちゃんねる等で地上文字の大きさを過小に理解している書き込みもあったが、これが数十メートル規模である事は写真上の足跡の大きさから推算しても容易に分る事である。
    この数値はGoogle Earthより計測しており正確な客観的データである。
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