このまとめに関してこれは難癖だとか、鳥越氏が空襲体験をしていないとは言えない等のいささか藁人形なご批判も(恐らくまとめを最後まで読んでいない)一部から頂いたので実際の事を書いてみる。
このまとめを立てて以降に複数のネットメディアが鳥越氏の空襲体験が疑わしいといった論調の記事を出していたが、それらのネタ元であるこのまとめではそういった主張はしていない。
実際のところ、Togetterとはコメント欄が賑わってなんぼという性格の場ではあり、あえて結論は出さず様々な意見を種類ごとに分類して並列させ、まとめという形で議論のトピックを提供したに過ぎない。
問題提起の未解決のボールは投げたのだから、あとは読者がそれぞれの考えで判断すればいい事である。
鳥越氏が昭和15年の生まれなのに終戦時に20歳だったと会見で話した件に関しては方々から突っ込まれてはいたのだが、言い間違いの類には最初から関心はなかった。
まとめで提示した意見(ツイート)は以下:
- 鳥越氏の出身地の福岡県吉井町(現・うきは市)は空襲を受けてなく、空襲体験自体が疑問
- 吉井町は伝統的建造物が数多く残る保存地区
- 15km離れた大刀洗飛行場には空襲があった
- 7km離れた田主丸町では機銃掃射があった
- 20km離れた小郡町では空襲があった
- 23km離れた久留米空襲時の空襲警報で吉井町でも防空壕に入ったのか?
- そもそも5歳の記憶に信頼性はあるのか?
- それとも空襲体験自体が嘘なのか?
明治大正期の建物が現在も残る旧吉井町では空襲を受けた可能性は非常に低い事は推定でき、隣町では機銃掃射があり、煙が上がったところで見えるかどうか微妙な20km圏(東京駅から鶴見駅位の距離)では空襲があった事から、吉井町でも空襲警報で防空壕に避難した位の事はあっただろうという事は上記の条件から導き出せる。
コメント欄やツイッターでも概ねその辺りを結論にしていいだろうという意見も多かったように思う。
そしてそれは鳥越氏の過去の発言とも矛盾しない。
上空を米機が通過、大人がするのをまねて
道の横の小川に飛び込んで伏せていたことや、
空襲警報のサイレンの音、
いつも首に巻いていた防空ずきんの感触、
家の土間に掘ってあった防空ごうの中に入るのが
怖かったという思い・・・
これはきっと今の閉所恐怖症にも
つながっているんでしょうが・・・
1945年の吉井町に幼稚園があったかどうかはいささか疑問が残るが[>>1]、5歳の鳥越氏が怖かったのは米機よりもむしろ暗い防空壕だったようだ。
吉井町が空襲を受けていないから空襲体験は嘘であるとか、吉井町でも防空壕に避難をしただろうから空襲体験は本当であるとか、それを「体験」と言う言わない等の、そういった「あったなかった論」や言葉の定義論は問題の本質ではない。
空襲のなかった地域で上空を通過する米軍機を見て空襲警報で防空壕に入った5歳の記憶でもって、かつて犠牲者11万人の東京大空襲を経験している東京都の知事に名乗りを上げた会見で、戦争を知る世代の代表かのように振舞っていた鳥越氏には非常に違和感を覚えた。
したがって、戦争を知る最後の世代として、そして戦後昭和21年に小学校に入りましたので、戦後第一期生として、戦後の平和と民主主義の教育のなかで育ってきた第一期生として、やはり今申し上げたようなことは、あえて言いませんでしたけれども。(中略)
そういうことで、私は私なりに戦争を知る時代の端くれとして、そのことを申し上げて、東京都民のみなさんにもそういうことを訴えて…(7月12日の出馬会見より)
戦後を知る世代だから都知事にふさわしいかというアピールは傲慢にすら聞こえるが、そのあってないような戦争経験を選挙アピールにするのは東京大空襲の犠牲者11万人の前では余りにも軽すぎる。
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