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広開土大王石碑 英語版ウィキペディアの記述

 好太王碑拓本の捏造説から解釈まで、英語版の Wikipedia の方が日本語版より詳しく書いてある。
 英語版は中立の立場から書いているが、どこをどう取り繕っても韓国の主張の方が無理があることが見て取れるが、特に文字を置き換えてまで主張する辺りが韓国人らしく、「捏造をやってるのはお前等だろ!」と言いたくなる。
 訳の解釈の「高句麗遠征説」もかなり無理があり、順当に考えて倭遠征説が無理な変更や解釈をせずに一番自然な訳に見える。

 彼等にとって「歴史研究」とは事実探求ではなく「空想小説」の世界なのだろう。

 参考までに Wikipedia の『広開土大王石碑』英語版の一部を訳してみた。



広開土大王石碑
http://en.wikipedia.org/wiki/Gwanggaeto_Stele

◆古代のメッセージへの論争


広開土大王石碑の拓本



碑文の辛卯パッセージの部分
 この石碑は391年から413年に即位した広開土大王に捧げられたものであること、又それは大王の空の墓の側にある記念碑であることは間もなくはっきりと分かった。歴史学者や金石学者は大部分が読解された文面の一部を解釈しようと、今なお努力している。一面は高句麗の伝説の基本的な部分、もう一面は大王の墓が永続するものであることが書かれている。碑文の残りが最も議論が盛んである大王統治の概要と彼の業績についてである。

 日本の学者は間もなく391年の辛卯年の王の出征の記述に最も熱心になった。最も論争を生んだのは「辛卯パッセージ」として知られる部分である。日本の学者はその文面が最初に訳された時、8世紀に書かれた日本書紀で最初に登場する「4世紀における朝鮮半島での日本の存在」という、これまでは根拠のない伝説であった記録が、ここで確認されたことに興奮した。この「辛卯パッセージ」で完全に読める文字は以下である:

「而倭以耒卯年來渡海破百殘XX[x斤]羅以爲臣民」

◆陰謀説

 酒匂氏の拓本の正統性は、在日朝鮮人の学者李進煕氏によって疑問視され、酒匂氏が4世紀の朝鮮半島での日本の存在が書かれた日本の古い記録の証拠を作るために、石灰を塗布することにより意図的に石碑を損傷したという証拠を、韓国側に拓本が存在しないまま、1970年代に示した(石灰塗布作戦説)。

 1981年に日本と韓国(イ・ヒュング氏)の双方で、学術研究が行なわれ論争を更に深めた。韓国側は漢文の字体と文法の不規則性から、酒匂氏が石灰を用いて「」「不貢因破來渡海破 」と変更したと主張。従って、もしそのように改竄されたのなら、辛卯パッセージの内容は高句麗の勝利記念のモニュメントとなる。また韓国側は、酒匂氏が大王碑の拓本を作る以前に、粘土製の偽判を石碑の一部として使ったことを見つけたと主張し、彼等の「歴史の繰り返し」と「歴史の挽回」に対して日本の学者を奮起させた。その新たな暴露に対する日本側の反応は:一部の学者はその説を採用し、その他多くは日本の歴史研究の正統性を更に否定する動きを非難した。

 研究が続けられ、酒匂氏の拓本以前に中国人によって作られた拓本が幾つか発見された。中国社会科学院の徐建新教授は、酒匂氏の拓本よりも古い一つを含む50以上の拓本を調べ、日本の将校が意図的な改竄をした証拠はどこにもないと結論付けた(そうであろうとなかろうと、そもそも碑文の文章字体の表現が不明瞭で誰が誰に勝ったかなどを正確に読み取ることは出来ない)。今日、中国と日本の殆どの学者は、酒匂氏の拓本より古い拓本と、碑本体の検査により、改竄説は否定している。

 共同の歴史研究プロジェクトで、弘益大学のキム・テシク氏と九州大学の浜田耕策氏は大王碑の解釈に触れているが、誰も李氏の「改竄説」は採用していない。

◆解釈

 殆どの日本の学者はこのパッセージを以下に解釈している(鍵括弧は判読不可能な字の部分):

「そして辛卯年に、倭が[海]を越えてやって来て、百済[判読不能]と[新]羅に打ち勝ち、彼等を従属させた」

 多くの韓国の学者は、日本が百済と新羅を打ち負かしたというこの解釈を拒絶している。文字は隙間なく書かれているため、文章の切れ目がどこであるかを見つけるのは難しく、脈略によって判断するしかない。更に、パッセージ中の「百済」と「新羅」の表記は完全な形ではない:「百済」の「百」は書かれているが、「新羅」の「新」は右半分のみで完全ではない。更に高句麗の「百済」の侮蔑表現として「済」の代わりに「残」が用いられている(別な国が百済を征服したと高句麗の一部の願望を表示しているとも考えられる)。従って、このパッセージを、欠字や脈絡を考えながら見る時以下になる:

「そして辛卯年、倭が海を渡り(誰かの名前の略号)(?) を (?) に従属させた」

 しかし、日本でなく高句麗が海を渡り百済に勝った、又は高句麗が海を渡り倭に勝ったと見るとの説もある。これは韓国にある歴史書と一致する。この解釈で広開土大王の略称とする場合(日本の学者には無視されている):

「そして辛卯年、倭が海を渡った。広開土大王(の略称)は新羅と百済を (?) に従属させた」

 (韓国の)学者達は日本の従来の解釈の幾つかの点に疑問を呈している。まず「倭」とは石碑の当時、日本人のみを指すのではなく、特に加羅連邦など朝鮮半島南部の人達も指した。更に日本の大和王朝が近畿地方を平定した当時、百済と新羅、高句麗は全て、熟練した軍隊を持つ中央集権的な国家であり、それは371年の百済が高句麗軍を破ったことからも例証される。


関連リンク:

広開土王碑(日本語版 Wikipedia)
広開土王碑全文(繁体中文版 Wikipedia、句読点の解釈入り)
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