mumurブログで最近女系天皇に関する議論があったが、幾つか良い意見があったので、その要旨をまとめてみた。数人の意見をまとめたものである。

■何故男系の伝統があるのか
男は女を強姦出来るが女は男を強姦出来ない。つまり女性は誰の子供を産むかを強制させられる危険性がある。女系天皇を認めると、天皇家から嫁を貰えば他の豪族が天皇家になることが出来る。天皇家の女性を一人強奪して天皇家を滅ぼせば、その豪族が天皇家になってしまう。
■125代続く伝統があるから海外から「天皇 Emperor」と認められてる
外国では王族は子孫の血は残っても万世一系なんて無い。どんな暴君でも日本人である限り、手を出さず、その系譜の人達を敬い、残し存続させてきた。そう言う過去から現在に繋がる天皇家には敬意を表されている。だからこそ敬意をもって Emperor と呼称されてる。法王が自ら足を運んで会談したのは昭和天皇だけ。エリザベス女王とか米国大統領とかでも、会談の場まで自分達が法王の元へ赴くのが普通。
■血筋だけの繋がりなら各国の国王と同じ
始めに皇帝という地位があり国王よりも厳密な繋がりにより継承されたからこそ世界で貴重。世界で天皇家は皇帝という位を男系男子の継承で認められてきたのに女系容認により皇帝という位が途絶えて、天皇家は国王の位になる。日本国内では扱いは変わらないが世界から見ると天皇家の扱いは国王並に位落ちする。皇室外交の価値は、天皇家という伝統ある存在への、諸外国の敬意に基づいている。
■「皇帝」カードは権威としては世界で一番偉い「唯一」のカード これは「大統領」カードや「国王」カードより偉いので、他国を訪れる際の対象国の処理順位が変わって「相手の予定を空けさせる」ことができる。次に、他国を訪れる際には、「世界で唯一の皇帝」という権威が効く。ミッテラン大統領のとき、陛下が訪仏なされ、フランスで「皇帝ブーム」と「日本ブーム」が起こったのは覚えている方は覚えているでしょう。
■韓国は天皇を「日王」と呼んでいるが
日本の天皇家を女系にすると、男系の王朝を持つ韓国が「朝鮮王朝が日王よりも格上」と言う口実を与えることになる。
■「権威」と言うのは一種のレアリティの総評
古い物、再現できない物、高度な物、高価な物はレアリティが高い、ゆえに「権威」がある。そして「権威」がある物は守られるべきである。「権威」ある物品。「権威」ある建築物、「権威」ある伝統。人類はこれらを守る責任がある。
「天皇家」と言う物は世界一古く、再現できない、よって世界一高い「権威」を持っている。ゆえに「天皇家」は守られなければならない。そして人類、特に日本人はこの「権威」を守る必要があるのでは無いだろうか。それが「過去」から与えられた「現在」の責任なのではなかろうか?
■失われたものは取り戻せない
正倉院に伝わる数千点の宝物の中に
■日本の歴史に一貫して存在し続ける唯一の存在が皇室
アイデンティティとは教育の問題だけではなく、自己を如何に認識するかの問題。自分が見えない人にアイデンティティは見えず、そして皇室の存在が理解出来ず、歴史の重みと価値が分からず、先人の叡智を軽んじ、そして民族や国家の存在する意味というものが理解出来ない。
日本は万世一系で続く皇室を持っているために、幕府・政府や権力者が変わろうともアイデンティティに揺らぎが全くないという歴史を持っている。ここら辺が中国との違い。中国は数百年毎に国の範囲や支配民族が変わり、彼等は漠然とした「中華」という古代文明に拠り所を持っていても、国の中心となる存在が変わり続けた。そこら辺に彼等の不安定さと弱さがある。
■日本の天皇家には玉璽のようなものはいらない
中国には56年の歴史しかない。更に良く考えてみると、中国では王家同士の略奪が数千年続いてきたため、どういう血の系統の国なのかを証明する物が無くなってしまった。
日本の天皇家には玉璽のようなものはいらないし、日本国がずっと日本国であることを証明するのも、男系であるためにとても楽。
■日本は天皇陛下という象徴を戴くことで成立している国
伝統を根拠として認めないとなると、そもそも「血統による君主制」自体を認めないことになる。今、その根拠を神に求めることはできないし、立憲制である以上政治の継続性も理由にはならない。女系天皇容認は皇室の権威低下だけではなく、皇室解体に直結しうる論。さらにそうなると、日本という国家に存在意義が無くなる。
日本はあくまで、天皇陛下という象徴を戴くことで成立している国。強力なイデオロギーのもとに成り立っているわけではなく、かつてのように富国強兵・文明開化のような国を挙げてめざす明確な目標があるわけでもない。反支那でまとまることはできるかもしれないが、そんな国是を持ったらどこぞの反日国家の裏返しができるだけ。それなら国を保つ必要はなく、どっかの多民族国家の一部なり自治区なりになってしまえばいいとなる。
■皇室に男女平等の概念は成立しない
皇族には「人権」が認められていないため、一般国民における男女平等、ジェンダーフリーなどの概念は皇族には成立しない。
どうも巷には「女性天皇」と「女系天皇」で混乱している人がいるようだが、この二つは全く意味合いが違うので明確に区別して認識する必要がある。
「女性天皇容認」とは、天皇家の血筋を引く女性、例えば愛子様や紀宮様を天皇に出来ることであっても、お二方とも天皇陛下や皇太子殿下のご子息であるため男系の女性である。しかし、このお二方に将来男子が生まれた場合は「女系」になり、皇位継承権はない。「女性天皇容認」とは、女性であってもあくまでも男系の系統から継承者を選ぶことである。
「女系容認」とはつまり、民間に嫁ぐ紀宮様の将来の子供も継承候補に含まれるということ、つまり従来皇族でも宮家でもない人にも皇位継承資格が生じるという事である。
■男系とは古来の「家」の定義・概念
継承者は本来一族から選ぶものであって、直系や第一子にこだわるという「核家族的概念」はむしろ近代の産物である。天皇が終身在位で直系なのは明治天皇以降のことで、つまり明治天皇から皇太子殿下まで直系で男系が、たまたま一世紀半続いただけのことである。
例えば徳川幕府の場合でも、宗家(本家)が度々絶えたため、御三家から将軍が出ているが、あくまでも男系である。徳川吉宗の場合紀伊家の三男であり、本来は継承順位は低かったにも関わらず、宗家の継承者が次々と死亡、更に吉宗の二人の兄が死亡したため将軍になった例である。吉宗も男系。
徳川家など日本の江戸時代の武家で現在も後取りが続いている家が多いが、女性は本来は他家に嫁ぐ者として、家の継承者として扱われていないため、これらの武家の継承者も全て男系のはずである。
男系が絶えるということはすなわち家が断絶するということを意味する。男系とは、遺伝子や染色体の問題ではなく、古来よりの「家」の定義と概念の問題である。千年単位の伝統に、遺伝子論など近代生物学の概念を持ち出すのはナンセンスに過ぎない。
■「伝統」を終らせたい理由
そういう中で、天皇家に限り女系容認という考え方は、これはまさしく「日本の象徴である皇室の歴史を終わらせる事によって日本の社会規範、ひいては国家日本を根本的に壊す」という、時代遅れの狂信的ジェンダーフリー論者、皇室の存在や日本の伝統を敵視する共産主義者や共和国主義者、神道を認めない特定宗教、天皇を「日本の権威の象徴」とみなす特定外国人や特定市民団体などが、最終的に天皇制廃止へ持って行くための突破口として、女系容認を推しているというのは想像に難くない。また、これはあくまでも皇太子ご夫妻に男子がいないために出て来た議論であり、それに便乗して女系容認どころか「男女を問わず第一子継承」論など、一部の偏った思想による本末転倒の行き過ぎた議論である。
西欧の王家に女王がいるということは日本の伝統とは何の関係もない。
■伝統を変えることはその存在意義の根幹に関わる問題
「伝統」とは継承することによってその価値と存在意義が引継がれるものであり、一度途絶えさせてしまえば、何千年もの歴史の重みを捨て去ることになる。「何故男でなくてはいけないか」の論議など、何千年も続いた歴史と伝統の重みの前には論じる価値は全くない。私達に出来ることは、中国のように伝統を一時の価値観で捨て去るのではなく、歴代の先人達が今まで絶やさず残して来たものを後世に伝えることである。
要するに、日本の皇室の流れを捨て去る事は、2600年余りの歴史を持つ皇室が終焉し、21世紀に創設された「旧天皇家の血をひく新たな王族」となると言っても過言ではない。「識者」と言われる人達は、日本の歴史に対し一体何の権限と資格があるのか。「朝敵」として平将門や足利尊氏と共に後世まで語られることになるだろう。
先日朝鮮王朝の直系末裔の李玖氏が他界したが、李玖氏に子供がいなかったため従兄弟にあたる人が養子縁組で朝鮮王朝の後取りになったが、この人も男系である。
伝統と言えば、例えば宝塚に男優が入ったらもはや宝塚ではなくただの劇団となる。歌舞伎も役者から演奏まで全て男性だが、これに「女性差別だから女性を入れろ」としたら、それはもはや歌舞伎ではなく「お江戸でござる」等の新劇になってしまう。
と言うのは冗談として、歌舞伎の「女形」そのものが1629年以来の400年近い歴史を持つ伝統であるため、それを変えることは歌舞伎の終焉を意味し、事実上新たなジャンル「新・歌舞伎」の創設になるため、それは「新たな伝統」の始まりであり「伝統文化」と認知されるまでには少なくとも数百年の時間がかかるものである。
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