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通州虐殺の惨状を語る 生き残り邦人現地座談会

お知らせ:

このエントリーは2007年7月16日に通州事件生存者の座談会を掲載したものですが、このエントリーを基に再構成と追加情報を加えて完全に書き直したものを2009年3月20日に新エントリーとして掲載し、こちらは跡地なので新エントリーの方をご欄下さい。なおこの旧エントリーはコメント欄の記録を残す目的として保存してある。






1937年7月30日、通州事件翌日の通州。南門から北門方面を見る。 (毎日新聞社「昭和史第8巻 日中戦争勃発」より/Wikipedia) [a]

 1937年(昭和12年)7月29日午前2時過ぎに北京の東の通州 (現在は北京市通州区) で起こった「通州事件」。これは7月7日の盧溝橋事件から日中が本格的戦闘状態に突入した8月13日の第二次上海事変の間に連続して起こった日本人襲撃斬殺事件で最大規模のものであり、当時通州にあった「冀東防共自治政府」の中国人保安隊が、通州に居住していた日本人と朝鮮人の軍人と民間人230人を残虐な方法で虐殺した事件です。

 7月25日の廊坊事件、26日の広安門事件に続いて起こったこの日本人大量虐殺事件は当時日本でも大々的に報道され、それによって対中世論が一気に悪化したと、当時を知る方はそのように話しています。

 その当時をリアルタイムでご存知のHNあきらさんは当ブログを始める以前から某所でご一緒させて頂いたり、ミクシィでもお世話になったりなど数年来お付き合いさせて頂いている方ですが、そのあきらさんが昭和12年10月号の月刊『話』に掲載の現地座談会を全て携帯電話入力でテキスト化して6回に渡ってミクシィ日記で紹介したのが先週の事で、これは貴重な歴史記録であるためブログエントリーとして取り上げる事にしました。

 これは18ページ分で分量がありますが、まだ死体も全部は片付けられていない事件4日後の8月2日、生々しい状況下での生存者による座談会であり、盧溝橋事件から3週間、そしてその11日後の第二次上海事変に始まる日中の8年にわたる泥沼戦争に入る直前の現地の混乱した状況下でのリアルタイムでの生の証言、そして日中が本格戦闘に入って間もない同年9月発売の月刊『話』に掲載されたこの座談会はまた、その当時のリアルタイムの臨場感を持って伝わって来るものがあります。


 この記事が掲載された月刊『話』は現在の週刊文春の前身。

以下あきら氏の日記より。


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歴史から消された広安門事件と廊坊事件


広安門(1957年取り壊し)(第1次大戦と20世紀)[a]
 昨年支那事変(日中戦争・日華事変)に関して調べ物をしていた際に英語版ウィキペディアで見つけた項目のうち、中国に都合の悪いものに限ってその後削除されているのに最近気が付いた。

 ウィキペディアは誰でも登録すればHNで編集が可能なものであるため時折編集合戦になっている事もあり、先の大戦に関して何としても「日本が一方的に中国を侵略した」と言う結論に導きたい英語版ウィキの中国人編集部隊がしらみ潰しに、中国側の加害行為を隠そうとすると言う傾向が目立つ。ウィキペディアは中立を是とするという建前の筈がその現状としては、日本語版に比べて同項目の英語版に用いられている資料が中国側に極度に偏っているものが圧倒的に多く、数にものを言わせたプロパガンダ交戦のようなフェアでない状況に見える。

 以下に挙げる二つの事件は、1937年7月7日の盧溝橋事件と8月13日の第二次上海事変の間に相次いで起こった数々の日本人襲撃殺害事件のごく一部であり、そう言った現代のイラク戦争顔負けのテロ事件の連続が、日中開戦の大きな理由と実際なっているにもかかわらず、編集合戦の結果極度に内容の乏しいものになったり、項目自体が消滅してしまったりなど、中国側の加害事件を矮小化しようとする傾向が非常に見られる。

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フェイク・オブ南京

 YouTubeに、南京大虐殺の記録映像とされる映画の捏造を検証した動画がアップされ、2ヶ月で延べ32万4千人が見て2000のコメントがつくほど大反響になっている。これは是非御覧になって頂きたいと思う。日本語と英語の二言語表記になっているこの7分余りのビデオのタイトルはアイリス・チャンの『レイプ・オブ南京』を皮肉った『フェイク・オブ南京』(南京の偽造) である。

THE FAKE OF NANKING - 1 (7'44")

TAMAGAWABOAT. "The Fake of Nanking - 1". YouTube, May 6, 2007.

1)There is the heated controversy regarding whether Nanking Massacre happened actually or not among historian groups. This incident called "Nanking Massacre" is thought to have occured in December of 1937 during Japan-Sino War. Nanking was the then capital city of China. Nanking was fallen by Japanese troops on Dec.13 of 1937. At that time, Chinese Army could not express any intention to surrender to Japanese Army. Though Chiang Kai-sheki commanding Army of Chinese Nationalist Party ordered Chinese soldiers to strive to defend Nanking from Japanese Army, he secretly escpaed from Nanking by plain on Dec.7, 1 week before the fall of Nanking and he left Chinese Army behind. There was Tang Shengzhi appointed 'the commander of Nanking' by Chiang Kai-sheki, however, he also escpaed from Nanking with leaving Chinese soldeirs behind. When Japanese troops entered Nanking castle, Chinese Army without the commander was fell into confusion. Most of Chinese soldiers abandoned arms, changed into cibvilian's clothes and ran into the safty zone in Nanking.

2)China insists that more than 300,000 people were slaughtered by Japanese Army at the fall of Nanking. Is this the fact or not? When Japanese Army entered Nanking, more than 120 pressmen were embedded with Japanese Army. However, nobody took such a picture as to prove Japanese Army slaughtered 300,000 people. It is certain that China government shows so many pictures of Atrocity and insists on Nanking Massacre. Those pictures that China government shows are true or not? In these 10 years, Japanese histrian groups inspected each picture that China shows as evidence of Nanking Massacre. As a result of their inspection of 30,000 pieces of pictures, it turned out that there is not a picture to be able to prove Japanese Army's Atrocity at all.

3) We should think where the origin of Nanking Massacre is. I think this origin is "The Battle of China". This is so-called War-time propaganda film and was directed by Frank Capra in 1944 during the World War 2. The purpose of this film was to implant anti-Japan feelings into American people. But it is the most serious thing that...even now after the war ended, China has been spreading the strong hatred against Japan to the world by utilizing this "The Battle of China". China's true purpose of this black propaganda is to spread the strong hatred against not only Japan Imperialism but also each Japanese person of all Japanese including from 1 years old baby to over 80 years old person as if China wants to insist that DNA of Japanese race is a born inferiority and evil.

Iris Chnag's "The Rape of Nanking" turned out to be "The Fake of Nanking".

*付録文章はTAMAGAWABOAT氏が最初にアップした時に付いていた英文解説。
オリジナルが削除されたため差し替え (2008.5.9)
markun2dg. "THE FAKE OF NANKING - 1". YouTube, July 14, 2007.


南京のフェイク

1) 南京大虐殺が本当にあったかどうかは、歴史学者の間で白熱した議論となっている。「南京大虐殺」と呼ばれる事件は日中戦争の最中の1937年12月に起きたと考えられている。南京は中国の当時の首都で12月13日に日本軍によって陥落した。当時中国軍は日本軍に降伏する意思はなく、日本軍から南京を死守するように蒋介石率いる国民党が中国人兵士に命じたにも関わらず、彼は南京陥落一週間前の12月7日に密かに飛行機で脱出し、中国軍を置き去りにした。蒋介石は鄧星甫を南京の司令官に任命したが、彼もまた中国兵を残し逃走した。日本軍が南京に入城した時、司令官を失った中国軍は統制を失い混乱状態に陥っていた。中国兵の殆どが武器を捨てて民間人の服装で南京安全区に逃げ込んだ。

2) 中国は30万人以上が南京陥落時に日本軍によって虐殺されたと主張している。しかしこれは本当の事か? 日本軍が南京に入った時120人以上の報道陣が同行していたが、日本軍が30万人を虐殺したような写真を誰も撮影していない。中国政府が多くの残虐写真を提示して南京大虐殺を主張しているのは確かである。中国政府が提示しているこれらの写真は果たして本物か? この10年間で日本の歴史学者は中国政府が南京大虐殺の証拠として提示した一つ一つの写真を検証し、日本軍の残虐行為を証明出来る写真は一つもないと言う結論に達した。

3) 我々は南京大虐殺の発祥がどこであるかを考える必要がある。私はこの起源は「バトル・オブ・チャイナ」であると考える。この「戦争プロパガンダ」と呼ばれるフイルムは第二次大戦中の1944年にフランク・キャプラ監督によって制作された。この映画の目的はアメリカ人に反日感情を植え付けるものだったが、しかし最も深刻な事態は・・・戦争終結後も中国はこの「Battle of China」を利用して、日本への強烈な憎しみを世界中に広めて来た。この中国のブラックプロパンダの真の目的は、日本帝国主義への強烈な憎しみを広めることだけでなく、1歳の子供から80歳までの全ての日本人に対する憎しみを広め、日本人のDNAが生まれながらに劣等であり邪悪であることを中国が望みそのように主張しているかのようである。

アイリス・チャンの「レイプ・オブ南京」はここに「フェイク・オブ南京」となる。


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